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卒論のテーマ決まったよって話。

大学3年から研究室配属させてもらい、約1年間、ずっと卒論のテーマを探っていました。んー、漠然と英語科とか数学科とか教科学習の研究じゃなくて、「教育学」全般の方でいきたいと考えてました。でも、自分の興味関心の幅が広い+解像度が粗かったため、なかなか定まらずにいました。当事者意識の醸成とか、非認知能力の育成とか、教師言説とか、メディアは教育をどう消費するのかとか、ウェルビーイングとか、コンピテンシーとか、教師の働き方とか、なんかそんなテーマばっかり挙げてました。世間的に関心度が高いテーマとかホットワード的なものにすぐ食いつく癖があって。

で、もう何を研究したらいいかわからなくなってゼミの先生に相談に行ったんです。

「今まで、そういう(上記に挙げたような)テーマを持ってきてたけど、なんでそれに引っ掛かっちゃうのかな?そこにヒントがあるんじゃない?」

って言われて、自分でもよくわからなくてうまく答えられなかったんです。そして、

「そら君は、いろんな洞窟の入り口を探してるように見えるんだよね。まだ、洞窟の中に入り切ってない。浅いところで止まってる気がする。一旦、奥まで入ってみないと」

って言われて、

「答えは外側にはないよ」

って。うわー、そうかと。

研究は、自分と向き合うことなんだって、ある種の自己分析なのかなって、捉えました。

そして、考えました。何にしようかなって。
これまでの経験とか、本当は何を調べたいのか。

そして出てきたキーワードは、

国語科、平和、戦争、道徳、

この辺りでした。そして、ようやく、自分の中でもテーマが定まってきたんです!

「平和教材、特に戦争教材を国語科領域でどう扱うか(仮)」

です!まじで最近やっと定まりました!
2023年の12月に入ってからですよ!

でね、テーマになった背景が3つあったんです。

1つ目は、去年の教育実習での経験です。
僕は小学校5年生を担当しました。そこで、国語の授業で「たずねびと」っていう平和教材を扱ったんです。広島の原爆を題材にした教材です。授業は色々と工夫して、登場人物の心情把握や、場面の整理、情景描写を深めたり、子供と一緒に考えました。で、1番最後の着地点、子供達の感想とかまとめみたいなものは、「戦争って悲惨だと思いました」とか「命って尊いと思いました」だったんです。

実習当時は、これに関して特に違和感はなかったんですが、よくよく振り返ってみると、

「あれ、道徳とどう違うんだ?」

っていう疑問が浮かんできました。普段、大学で国語科を専攻している身としては、平和教材を扱う際の国語科と道徳科の境目がよくわからんな、と感じるようになりました。

もちろんね、こうした文学作品(教材)を通して子供が戦争を追体験したり、戦争の悲惨さを知ったり、命の尊さを知ったりするのは何も間違ってないし、素晴らしいことだと思うんです。でも、国語科という領域の中でそれで終わらせていいのか、とも思うわけです。

作者が、何を伝えたくてこの文学を残したかははっきりわかりません。でも、「戦争は悲惨だ」とか「命は尊い」とか、そんな一言二言では片付けられない、表現できないものがあるからこそ、物語にしたり文学にして僕らに伝えてくれてる気がするんです。まだよくわかりませんが、その表現できない部分とか簡単には片付けられない部分を追求していくことが国語科領域では大事なのかな、できないのかな、なんて考えたりもしてます。現時点では。これから先行研究とか論文とか漁っていきますが。

その際、道徳側の観点も必要になってくると思います。そもそも道徳ってなんだよってところですよね。実習でも道徳の授業やりました。

でも、ぶっちゃけ道徳の授業めちゃくちゃ難しかったです。僕が授業した内容は、「他人に迷惑かけないようにしよう」とか「約束は守ろう」とか、だったんですが、こんなのは教えなくても子供たちは知ってます。どこで身につけたかはわからないけど、道徳の授業なんかしなくても、既に知ってました。

そう考えてみると、僕らは「道徳心」とかって授業で身につけた感じしなくないですか?
どこで学んだんだろう。そもそも「道徳」ってなんだよっていうね。

これは、今後色々調べていくと思います。

めちゃくちゃ長くなってますね。はい。すみません。

そして、このテーマにした背景2つ目は、大学の授業での先生の講評です。国語の教材分析っていう授業があって、各々が好きな教材を選んで、それを使ってどんな学びを届けたいのか、どう読解させて、どんな力を育みたいのか、その狙いとかを一から考えるんですけど、なんとですね。ここで僕が選んだ教材が、「なぜ、世界から戦争が無くならないのか」っていう池上彰さんの本だったんです。

これさ、ほんと偶然で、まだ戦争教材をテーマにしようなんて1ミリも思ってなかった時期ですよ(笑)

まあ、その教材を使ってこんな狙いでこんな学びを届けたいですー!って発表してさ。担当の先生からこんな感じの講評をいただきました。(一部抜粋)
あくまでも、僕が捉えたものとして意訳してます。

「今の日本の平和教育は、戦争体験者の語りに頼りすぎてる側面があるよね。または、現地に行って、戦争跡地を見たり。でもね、もう、戦争体験者もどんどん歳をとって、居なくなる未来があるわけで、いつまでも語りを中心とした平和教育を脱却しなきゃいけないとも考えられる。と、なると戦争を題材として扱うのは、今後すごく価値があるけど、なかなか踏み込みにくい部分ももちろんあるから、そこを慎重に考えたいね」

って。もちろん、戦争体験者の語りはとても価値がある。でも、そういう世代がどんどん居なくなるのも事実なんだよ。直接的な語りは聞けなくても、文学とか作品とか、戦争を経験した世代が残したものを間接的に触れることで、学べることはたくさんある。しかも、国語科では、それが今後価値を持ってくるんじゃないかと考えられるわけです。

だからこそ、なおさら、
「戦争って悲惨だよね」とか「命って尊いよね」だけで終わらせてはいけない気がするんです。そんな単純な着地点では、なんか物足りないというか違う気がするというか。そこを、ちゃんと調べていきたいわけです。

そして、テーマ背景となった3つ目は、中学校の時の経験です。中学3年生の時、ちょうど戦後70年の年でした。世間的にも、戦争というものが改めて大きく取り上げられ、世間の関心も高かったご時世でした。そんな時、市の平和教育派遣プログラムで沖縄に行く機会がありました。沖縄の現地を訪れ、平和について考え、触れ、学び、それを地元に持ち帰ってきて広めるというもの。

沖縄の平和大使の学生の方々と交流したり、平和記念資料館を見学したり、沖縄戦の跡地を巡ったり、戦争体験者のお話を伺ったりしました。

沖縄戦は地上戦ということで、実際に米軍が攻め込んで来たと言われている浜辺も見に行きました。今では、あんなに青く澄んだ青い海も、当時は軍艦の黒い煙で覆われていたと聞きました。想像すらできませんでした。

戦争跡地には、当時の銃痕がたくさんありました。ガマと呼ばれる防空壕も見させてもらいました。平和記念資料館で見た、映像や資料は、とても衝撃的でした。

こんな経験をさせてもらい、やっぱり「戦争」というものは、どこか他人事とは思えないんです。あれから10年ほど経った今でも、その気持ちは変わってないんだと、思いました。

これらの3つの背景から、このテーマ、この方向性で卒論に向けて頑張りたいと思います!

何か、知識とかある人は教えて欲しいですし、そういうテーマならこれ調べたほうがいいよーとかあれば教えていただけると幸いです!


また、どこかのタイミングで報告させてください!

ここまで読んでいただきありがとうございます!


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