大学卒業を控えた今、思うこと。

あと1ヶ月とちょっとで大学を卒業します。

四年前、センター試験でとんでもないミスを犯し、いわゆる“報われない努力”を目の当たりにして以降、頑張るってどうやるんだっけとか努力する意味ってなんだろうとか答えのない問いをぐるぐると考え続けていました。

努力家だねとか〇〇(私)が頑張ってるから頑張らなきゃって思うよって言ってくれた友達が行きたい大学に行けて私は第一希望はおろかレベルを下げた大学にも落ちるという現実にぶち当たった時、全く私が何をしたって言うんですか神様、与えるのは壁じゃなくてご褒美でしょって全力で思った。もちろんその友達を悪く言うつもりはないし、彼女は彼女なりの夢があったのを知ってるから誰も悪く無いと頭では分かってたんだけど、感情の行き場を失って、自分の運や環境を呪わずにはいられなかった。

自慢じゃないと言いつつ自慢ですが、私は高校一年生の時に毎日夜3時間勉強すると心に決め、3年間、大晦日もお正月もそれを貫きました。
納得いく結果が出ていれば勉強に充てた時間は“努力”ってことになって、地道に積み重ねることや計画性の大切さに根拠を持つことができたのに、思うような結果が出せなかった時“時間の無駄”としか言えないあの時間をどう受け止めたらいいのか分からなくて、泣きたいと思ってないのに気付いたら泣いてるなんてこと何度もあった。
浪人を考えながらも後期でギリギリの大学に受かって、受かったは良いけどやっぱり納得はできてなくて、でももう一回受験と向き合う勇気も元気も自信も残ってなくて。ここまででもだいぶメンタルしんどかった。
どのみちお金がかかることに後ろめたさもあったし。
とりあえず、立ち止まるんじゃなくて先に進もうと思いながら大学生になりました。
挫折から生まれる後悔や劣等感、虚無感、焦り、不安は、新しい環境になったことも相まって増していくばかりで、大学一年生の時はあまり大学生活を楽しめていなかった。
人生を休みたいと思っていた。
そんなところに舞い込んできたコロナ禍。
大変な世の中になって、辛い思いをしている人がたくさんいる中でこんなことを思うのは心苦しくもあったけど、やっと休める、ゆっくりできる、ナイスタイミングじゃんと思っていました。
バイトもほとんどなくなって、大学の人間関係も希薄になって、世間から見たら寂しいヤツかもしれないけど私的にはストレスフリーで超気楽だった。
もともと人の目とか気にするタイプの人間だったから余計にね。
薄々気付いてたけど私は集団行動とかほんとに苦手なタイプで、学生時代のグループとかいつメンとか正直結構無理してた。
もちろん楽しい時もあったし思い出もあるけど、まあもう戻りたくは無いなって感じ。
なんでいつも同じメンバーで行動せんといけんねん、一緒にいて楽しい人と居させてくれってのが本音です。
コロナ禍という環境がこういう自分の本音に気付かせてくれました。

さてさて、ここからは未来のお話です。
就活でもいろんなことを考えました。
やっぱり大前提として組織に組み込まれることにすごく嫌悪感がある。
年功序列や終身雇用が崩壊しつつある日本の現状を見れば、この嫌悪感は多分そんなに悪いものじゃないと思う。
会社を頼るんじゃなくて、自分自身に付加価値を付けたい。
そんなことを念頭に置きながら選んだ会社です。
どうなるか正直分かんないけど、不安もたくさんあるけど、私の中にある人生計画を信じたい。
大学時代の経験やぶち当たった壁は確実に私を変えたし、広い世界に踏み出すきっかけにもなりました。
受験で思い通りの結果を出してたらこうはならなかっただろうなあと思うとなんだか感慨深いものがありますね。自分は広い世界にいる小さな存在で、どこへでも行けるしどこへでも行っていいのだと思う。

大学時代に出会った友達、先生、先輩、後輩、バイト先の方々、たくさんの音楽や映画、ドラマ、そして小説。私の大学時代を支えてくれて本当にありがとうございました。

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