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バブルは刺激をおびて膨らんでいく

この前渋谷で食べた青鬼担々麺。口の中がヒリヒリするほど辛い。でも美味しくて、また食べたいなと思った。この感覚は何かに似ている。バズに触れた感覚だ。

最近、書くことを生業にしている人が自分の記事をバズらせることについて迷っているのを目にする。

なるほど。プロの書き手もそう思うのだな。

私は、読み手としての立場からしか意見を言えないけれど、刺激物のようなものをコンテンツに求めてしまっていることに気づく。

食べ物に例えると、刺激のある辛い食べ物は病みつきになる。冒頭で述べた担々麺は、また食べに行きたいなと思う。後をひく美味しさというものがあって、とにかく一気に食べたい。舌がヒリヒリして、ザーサイやプーアル茶や水餃子が甘く感じる。麻痺しているんだ。そのまま食べると、他のものの味を感じることはできないほどだ。

バズったコンテンツも同じで、バズりの後は他の(例えいい話であっても)話が薄く感じてしまう。普通の情報としか捉えられないみたいな感覚になる。

そうすると次のバズを求めるようになって、他のコンテンツを純粋に楽しむ気持ちになれない。一度刺激を感じてしまうと、同じ程度の刺激でさえ、感じなくなる。さらなる刺激を求めている。なんとなくこれはバブルの時期に似ているのではないかと思う。

一般人もたくさんのお金を手にして、派手な服装で夜に踊り狂っていた。自分が好きとかそうじゃないとか全然関係なくて、ただただ刺激に酔いしれていたみたいな感じ。私は経験していないのだけど、当時の映像を見ると明らかに異常で何かに麻痺しているのではないかと感じていた。同じように踊り続けている人は誰もいない。幻の時代だったのかもしれない。

不倫騒動や他人の過失に湧いてしまう今も、どこか麻痺しているように思う。派手な服装で踊り狂ったりしない。もっと安価な方法で刺激を得て、更なる刺激を求めて麻痺していく。

感じる刺激は同じでも昔のバブルは、お金を使ったりディスコで踊ったりといった能動的に得るものだった。他人の行為から得られる受動的な刺激が現代にある。それだと求める速度はどんどん上がってしまい、沸点ばかりが低くなる。

いったい、受動バブルはどこまで大きくなるのでしょうか。

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