親切講座

「ここ、本当に大丈夫なの?」
「大丈夫大丈夫!」
 山本に連れられて雑居ビルの一室までやってきた高木は、不安を拭いきれなかった。
「でも親切講座って、なんか怪しくない?」
「いやいや、俺も前から通ってるところだから。」
「うーん、そう言われても。」
 少し前に山本からいい講座があるという話を受け、冗談半分で来た高木だったが、いざ講座が始まる時間が近づいてくると恐怖心が強くなってきた。
「いいか、これから就活をしていざ社会に出るってなったときに、何よりも大切になってくるのが人間関係の構築だ。」
「それは、そうだね。」
「冷静に考えてほしいんだけど、親切な人間と、親切じゃない人間、どっちの方が円滑な人間関係を築けると思う。」
「それはまあ、親切な人間じゃない?」
「だろ?だからそのために、ここで親切を学ぶんだよ。」
 詐欺師ほど説得力があると聞いたことはあったが、今の山本の口調はまさしくそのものだった。
「いやでもさ、親切を学ぶって、そんなの今まで生きてきた中でやってきたつもりだけど。」
「ほら、今なんて言った。」
「え?」
 急に山本に詰められて思わず黙り込んでしまう高木。
「やってきたつもり、って。」
「ああ、まあ言ったけど。」
「ほら、そうだろう?大体のやつは、やってきたつもり、なんだよ。」
「うん。」
「だからここで改めて親切を一から学ぶことで、人間として成長できるってわけだ。」
「うーん、納得はしてないけどな。それに、俺たち二人しかいないじゃん。」
「まあまあ、でもほら、知らないやつがいっぱいいるよりはいいんじゃないか?」
「うーん、そうかなあ。」
「まあ物は試しだ。な?」
「わかったよ。とりあえず今日は聞いていくよ。」
 するとそのとき、部屋に一つしかない扉が開き、長い髪を生やした男性が入ってきた。
「親切講座へようこそお越しくださいました。」
 男は狭い室内に響く声で挨拶した。
「あれ、今日は新しい方がいらっしゃいますね。」
 高木を見るやいなや、そう話しかけてきた。
「あ、はじめまして。」
「僕の友人の高木くんです。」
 山本がそう答える。
「ああ、山本くんのお友達ですか。」
「あ、はい。」
「新しい人を連れてきてくれて、ありがとうございます。」
 男は深々と頭を下げた。
「いえいえ。」
「大熊くん、改めまして講師のオヤギリです。」
「オヤギリ?」
「はい、親切の親に親切の切でオヤギリです。」
「もう、親切じゃん。」
 思わずツッコんでしまう高木。
「ありがとうございます。」
「あ、褒めてないですよ。」
「高木、親切の才能あんじゃん。」
「何も親切してないのよ。」
 山本までもがはやし立てる。
「ほお、無自覚の親切ですか。山本くん、有望な人材を連れてきましたね。」
「それほどでもないですよ。」
 高木は二人の間だけで勝手に話が進んでいるような感覚になった。
「昔からよく言いますからね、『親切が親切の餌となり、不親切が親切の毒となる。』って。」
 聞いたことのないことわざである。
「早速講義の方を始めていきましょう。小さな親切はみんなを幸せな気持ちにさせてくれます。」
「はい!」
 山本が大きな声で返事する。
「でも小さな親切っていうのはしようと思ってできるものではありません。よくあるのは、電車で席を譲る。皆さんは譲ったことはありますか。」
「はい。」
「高木くんは?」
「まあ、あります。」
「うんうん。でも、なかなかそういったシチュエーションになることも少なくないですか。」
「そうですね、そんなに多くはないですね。」
 確かにドラマで見かけるほど、そのようなシーンに直面する機会はあまりない。
「そうですよね。ではそんな小さな親切をするためにはどうすればいいと思いますか。」
「えーっと、親切を小分けにする。」
 意味の分からない回答をする山本。
「いや、どういう意味だよ。」
「親切の真空パックですか。」
 なぜかオヤギリは理解したようだった。
「でもそれだと、ちょっと違いますかね。」
「ちょっとじゃなくて相当でしょ。」
「では高木くんはなんだと思いますか。」
「ええ……んーまあ、小さな親切を探すとかですか。」
「ああ、全然違いますね!」
 スパっと言い切るオヤギリに軽い殺意を覚える高木。
「全然違うってさ。」
 笑いながらそう言う山本にも同じように殺意を覚えた。
「お前の方が絶対違ったからな。」
「いやいや。」
「ああ?」
「まあまあ落ち着いてください。」
 オヤギリが二人を諫める。
「答えはですね、「小さな親切を起こす」です。」
「小さな親切を起こす?」
「それでは今回の講義では、様々なシチュエーションごとに小さな親切について考えていきましょう。」
 元気に返事をする山本。
「例えば、先ほどの電車で席を譲る。このシチュエーションで、小さな親切を起こすためにはどうしたらいいですか。高木くん。」
「ええ、席が必要そうな人を探す、とか。」
「それはさっき高木くんが間違えた小さな親切を探す、と何も変わらないじゃないですか。」
「ああ、すみません。」
 少しばかり正論を言われ、イラっとする。
「はい!」
「はい、山本くん。」
 どうせまた見当違いな回答をするに違いない、と高木は思った。
「荷物を広げて席をとる、ですか。」
 高木の予想は的中した。
「迷惑だろ。」
「いえ、正解です。」
「正解なの?いや普通に考えて、人間として不正解でしょ。」
「いやいや。考えてみてください、まずは荷物を広げて席をいくつも取りますよね。そうすると自然と座れない人が増えます。」
「そりゃあそうですよ。」
「その中にはどうしても座りたい人がいるはずです。」
「どうしてもじゃなくて、普通にみんな座りたいと思いますよ。」
「そうしたらここぞというタイミングで荷物を回収し、こう言います。『よろしかったらどうぞ。』と。」
「おおお。」
 拍手喝采の山本。
「おおお、じゃないですよ。普通に考えて、そんなもヤバいやつの隣になんて座らないでしょ。」
「そういう考えも、ありますね。」
 オヤギリは微笑みを浮かべながらつぶやく。
「なんだこれ。」
「人の意見を否定しない。これがオヤギリ先生の親切か。」
「違うよ。」
「では続いて、肩に乗っているものを取る、こういったシチュエーションで考えてみましょう。」
「今ので解決したんですか。」
「解決しただろ。」
「いやいや……」
「いかがですか。」
「はい、先生!」
「では山本くん。」
「さっきの問題を参考にすると、お祓いの勉強をする、ですね。」
 最早途中式が一切浮かばない。
「そういう霊的なやつじゃないだろ。」
「なるほど、そういうアプローチもありますね。」
 オヤギリは、鳩が豆鉄砲を食らったような顔をした。
「いや、ないですよ。なんでちょっと感心してるんですか。」
「でも、ちょっと違いますね。」
「だから絶対ちょっとじゃないって。」
「高木くんはどうですか。」
「えー?まあだからさっきの考えで行くと、もしかしてですけど、自分から肩になにかを載せるとかですか。」
「おお、正解です!」
 渋々回答したのに、まさかの正解を引き当ててしまったことに動揺を隠しきれない。
「正解しちゃった。」
「すごいなあ、親切の塊じゃん。」
「いや、ただの嫌がらせだろ。」
「私は常日頃から、肩に載っていても違和感がないものを持ち歩くようにしてます。」
 高木は思わず眉間にしわを寄せた。
「具体的にはどういったものですか?」
 なぜか積極性を見せる山本。
「人によってもいろいろ持ち歩くものの種類もあるかもしれませんが……」
 高木は、そんなことをしているのはこいつくらいのものだろうと、目の前のオヤギリを見ながら思った。
「例えば私なら、ありとあらゆる色、長さの髪の毛を常に持ち歩いています。」
「気持ち悪い!」
 思わず大きな声でそう言ってしまった。
「気持ち悪くなんてないよ。でもそしたらどんな人にも対応できますね。」
「なんで納得しちゃうんだよ。」
「ただ、坊主頭の人には対応できないんですよ。」
「あー、盲点だ。」
 オヤギリと山本は笑いあった。
「だから皆さんも日ごろからありとあらゆる色、長さの髪の毛を常に持ち歩いてください。」
「なるほど、親切の種を蒔くんですね。」
「いや、ゴミ撒いてるだけだから。」
「まあこのようにですね、日々の皆さんの行動が小さな親切を生むんです。」
「いやいや、親切とかと違うでしょ。」
「それでは次は皆さんの方から、小さな親切の報告をしてもらおうと思います。」
 怪訝そうな表情の高木を見て、説明をするオヤギリ。
「この講座では、皆さんの方からも、小さな親切の報告をしてもらっているんです。」
「ああ、そうなんですね。」
「高木くんは初回ですから、聞いているだけで結構ですよ。」
「はい。」
「うわあ、小さな親切。」
「これはそうでもないだろ。むしろ、疲労しろって言われた方が不親切だから。」
「それでは、山本くんどうぞ。」
「はい!自分は居酒屋でバイトしているんですが、先日深夜にもかかわらず揚げ物を頼まれた中年のお客さんがいらっしゃったんですよ。」
「ほおほお、親切のチャンスですね。」
「どこがですか。」
 高木には全くわからなかった。
「だから、代わりにサラダを出しました。」
「え、ダメじゃん。」
「いいですねー。」
「だからどこがですか。」
「わかりました、説明しましょう。」
 オヤギリはまるでバカに説明するかのようにゆっくりと話した。
「いいですか、揚げ物は確かに美味しい。でも、体にいいものではありませんよね。」
「それはそうですよ。」
 高木は半ば向きになった。
「だから、サラダを出したんですよ。」
「いやダメですよ。だから、じゃないですから。え、大丈夫だったの?」
 高木は普通に心配になり、山本に尋ねた。
「いや、それでそのお客さんと揉めて、今どきのお年寄りは元気ですから、そんなに揚げ物ばっかり食べてたらそいつらより先にくたばりますよ、って言ったらクビになった。」
「でしょうね。てか思った以上に攻撃してんじゃねえか。」
「でも小さな親切ができたんですから、プラスですね。」
「はい!」
 どうにか話をまとめようとするオヤギリ。
「いやマイナスでしょ。」
「はい、それでは今日の講座はここまで。」
 オヤギリは話を終わらせた。
「ありがとございました。」
「ありがとうございました!」
「あ、ありがとうございました。」
 高木も一応そういった。
「高木さん、本日はお疲れさまでした。」
 講座が終わってもオヤギリは部屋に留まり、高木に話しかけてきた。
「ああ、どうも。」
「今日の講座はいかがでしたか。」
「うん、どうだった?」
 山本も興味津々である。
「いやあ、そうですね……」
 なんとも言えない高木。
「なんだよ、はっきり言えよ。」
「山本さん、はっきり言わないのも小さな親切ですよ。」
「おお、才能あるー。」
 なぜだか知らないところで高木の才能を認められたようだった。

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