アリ、時々キリギリス 雨の街編 −弐−

前回まで。


 先の大戦で人間側、亜人側ともに多大な犠牲を出して以降、両者の間には不可侵条約が結ばれていた。
 人間たちは相変わらず亜人たちのことを劣人(オト)と呼び、また亜人たちも魔力を有する人間たちのことを魔人と呼んで恐れていたが、大きな争いに発展することは、条約が締結されて以降はほとんどなかった。

 それ以降、両者は不要な争いを避けるため、基本的には限られた場所に住み、限られた仕事をするようになった。
 しかし、交易や興行など、定住していては厳しい身分の者たちもおり、そういった者たちをまとめるべく作られたのが、ギルドだった。
 始めは色々と手探りな部分もあったが、案外早い段階で方針は定まり、ギルドに登録することで、あくまで、人間であれば人間側の領地内、亜人であれば亜人側の領地内ではあるが、ある程度の移動を認められるようになったのだった。
 そうして始めの頃は、メンバーと呼ばれる、ギルド内の講習や適性検査などによって認められた者のみが、ギルドの許可範囲内において、移動などを認められるようになった。
しかし、次第にそれだけでは不十分だと訴える者たちが現れ始め、それ以上の権利を求めるようになった。
 そうして生まれたのが、フリーパスであった。
 フリーパスに認められると、ほとんどの制約がなくなり、職業、居住、旅行など様々な自由が認められた。また、登録以前の経歴も一切不問だったため、過去に傷を持つ者たちもこぞって登録をした。
 そういった理由などから、フリーパスは毛嫌いされることも決して少なくはなく、一部の宿舎やレストランを除き、利用を認められないことも往々にしてあった。また、そういった性質上、フリーパスは最後の受け皿とも呼ばれていた。
 それでも自由を求め、フリーパスになるものは後を絶たなかった。

「ここら辺だな。」
 アジサイから貰った地図を頼りに歩くうち、二人は町はずれまで来ていた。
「うーんと、この道がここだよね。」
「そうだな。」
「てことは、あれ、じゃないかな。」
「ぽいな。」
 二人はそれらしき建物に向かって歩いた。

「民宿雨宿」

「おお、ここだ。」
「入ってみようか。」
 二人は扉を開け、中の様子をうかがった。
「すみません。」
 返事は聞こえてこない。
「すみませんー。」
 さっきよりも大きな声で尋ねてみる。
「今行くよ。」
 その声とともに、奥からナメクジ型亜人の女性が現れた。
「なんだい。」
「あ、二人で泊まりたいんですけど、部屋って空いてますか?」
「ああ、空いてるよ。」
「あ、じゃあ、お願いします。」
「身分証とかは持ってるかい?」
 二人は黙ってギルドカードを差し出した。
「へえ、あんたらもフリーパスかい。」
 女性はギルドカードを一瞥するとそうこぼした。
「あ、はい。ギルドでここのことを聞いて。」
「そうかいそうかい。うちの旦那も昔はフリーパスだったんだよ。」
 女性は、物憂げに宙を眺めながらそう言った。
「そうだったんですね。えーと……」
「這瀬 寛埜(ハイセ ヒロノ)。気軽にヒロノとでも呼んでくれ。」
「ヒロノさんですね。」
「よろしくお願いします。」
「部屋は二人一緒でもいいかい。」
「ええ、かまいません。」
「ご飯が食べたかったら、前の日には言っておくれ。」
「わかりました。」
「ちなみに、今夜はどうする?」
「今からでも大丈夫なんですか?」
「まあ初日だから多めに見てあげるよ。」
「じゃあ、お願いします。」
 テトと顔を見合わせてからそう答えた。
「じゃあこれ、部屋の鍵。支払いは出てくときにしてくれればいいから。」
「了解です。」
「ごゆっくりね。」
 そういってまた奥に戻っていったヒロノを見送ってから、二人は自分たちの部屋へと向かった。

「うん、どんな宿かと思ったけど、掃除もしっかり行き届いてて、いい宿じゃん。」
 テトは部屋を見渡しながらそう言った。
「そうだね。いいところを紹介してもらえたよ。」
「こりゃあアジサイちゃんには、うんとお礼しなきゃだな。」
 テトは、うんうん、と首を縦に振った。
「まあ別にいいけどさ。」
「で、これからどうするよ?」
「そうだな。とりあえず数日は仕事をしようよ。」
「わかった。そうしよう。」
「夕飯までは時間あるし、ちょっと街でも散策する?」
「そりゃあいい。」
 二人は夕飯までのひと時、街を散策してみることにした。

 ここ喜田恵は、その降雨量から、雨の街の通り名でも知られている街である。
 カエル型亜人や、カタツムリ型亜人、そしてナメクジ型亜人が多いため、普段は避けられることが多い、リョウセイルイ型亜人やムシ型亜人が住みやすい街として、昔から密かに人気を集めていた。
 主な産業は農業で、このあたりで育つ七七七(ヨロコビ)という品種の米は、雨が降れば降るほど育つように品種改良されており、この街にピッタリのお米だった。
 またその降雨量の多さから、ダムも設置されており、水の販売もこの街を支える産業の一つだった。

 日が陰り出し、宿に戻った二人は、食堂へと向かった。
 自分たち以外に他の宿泊客が食堂にいないことに不安になったが、すぐにその原因は分かった。
 出てくる料理のすべて、塩味がしないのだ。
 二人はとりあえず目の前の皿を平らげ、部屋に戻ってから話すことにした。
「まずくはなかった。いやむしろ美味しかったんだが、味が、味がなかったな。」
「確かにね。素材の美味しさは感じるけど、これだと少し物足りないかも。」
「まあ、健康を考えればこういう方がいいんだろうけどな。」
「ナメクジ型亜人は、塩が苦手だからね。こういうところまで考慮すべきだったよ。」
「そうだな。思わぬ盲点だった。」
「まあでも、飲み過ぎた後とかは、ここでご馳走になろうよ。」
「それはいい考えだ。」
 二人はそんな話をしながら床に就くのだった。

 それから数日、二人はそれぞれの仕事をこなす日々を過ごした。カクリはその真面目な働きぶりを評価され、テトの演奏も評価を受け始めたのだった。
「今日もお疲れさまでした。こちら、本日分の給料になります。」
「ありがとうございます。」
 仕事終わり、カクリはギルドにてその日の報告をし、給料を受け取っていた。
「カクリさんの評判、すこぶるいいですよ。」
「本当ですか、よかったです。」
 このカタツムリ型亜人のお兄さんとも、何度か顔を合わせるうちに、少しずつ仲良くなっていた。
「では次は、また明日ですね。よろしくお願いします。」
「はい、よろしくお願いします。」
 一礼をし、その場を後にしようとすると、誰かが自分の名前を呼んでいるのに気が付いた。
「カクリさん、ですよね。」
 声のする方を見てみると、そこには若いが整った身なりをしたカエル型亜人が立っていた。
「はい、そうですが。」
 怪訝そうな表情を浮かべるカクリ。
「ああ、すいません。決して怪しいものではないんです。」
 ねえ、と言いながら、さっきまでカクリの相手をしてくれていたお兄さんの方を向いた。
 お兄さんは、はい、と言いながら、何度も首を縦に振った。
「私、こちらの喜田恵ギルドの幹部職に就いています芳野(ハノ)と申します。」
「ああ、どうも。」
 カクリは、思わぬ立場の人間からの挨拶に思わずビックリしてしまった。
「いや実は最近、とても優秀なフリーパスの方が入られたという話を聞いたもので、当ギルドの職員として、一度は挨拶しておかなければと思いまして。」
「ああ、そうだったんですか。わざわざすみません。」
「いえいえ、とんでもない。なんでも、最近街中で演奏されてる、えっと、なんていいましたっけ……」
「テトです。」
「ああ、そうそう、テトさん。彼と二人で旅をされてるというような話を伺ったのですが。」
「ああ、はい。一応そうなんです。」
「テトさんのお名前も最近よく伺うので、すごい二人組が来たぞ、なんてもっぱらの噂になってるんですよ。」
「いやそんな、お恥ずかしい。」
「またまた、謙遜しないでくださいよ。」
 ハノは、意地悪そうな笑みを浮かべながらそう言った。
「まだ喜田恵には滞在なさるんですか?」
「そうですね、まだもう少しは。正直、自分もテトもムシ型亜人なので、この街はとても居心地がよくて。」
 ハノは、うんうん、と頷いた。
「分かりますよ、その気持ち。こちらとしてもカクリさんみたいな方がいてくださるのは願ったり叶ったりです。またよろしくお願いしますね。」
「はい、こちらこそ。」
「あ、引き止めちゃってすみませんでした。」
「いえいえ。」
 深々とお辞儀をしながら見送ってくれるハノに、なんだか申し訳ない気持ちになりながら、カクリはギルドを後にするのだった。
その夜、カクリとテトは喜田恵で一番大きな酒場に飲みに来ていた。
「「乾杯―!」」
 連日の重労働で疲れ切っていたカクリの体中をアルコールが駆け巡っていくのが分かった。
「で、どうなのよ。仕事の方は。」
「うーん、まあ重労働だから大変だけど、周りいい人ばっかだし、意外と楽しいかな。」
「はあ、変わってんねえ。」
 テトは考えられないといった表情を浮かべながらそう言った。
「テトの方こそ、どうなの?」
「そりゃあもちろん、毎日満員御礼よ。」
「それはよかった。」
 カクリは笑いながらお酒を飲んだ。
「本当だぜ、結構人気あんだからな。」
「わかってるって。ついさっきもギルドで、ハノさんって言う人に、二人の噂は聞いてますよ、って言われたし。」
「ホントかよ。その、ハノって奴はどんな奴なんだ。女か?」
「違う違う、若い男性だよ。」
「なんだ、男かよ。」
 テトは露骨に不満そうだった。
「でもここのギルドの幹部らしいよ。」
「そういうことなら、話は変わってくるじゃねえか。」
 テトは分かりやすく態度を変えた。
「そういえば、アジサイさんだっけ、あの子とはどうだったの?」
「まあ、それなりだよ。」
 そう言うとテトはグラスに残っていた酒をクッ、と飲み干した。
「相変わらず楽しんでるなあ。」
「カクリももうちょっと勇気出せば、楽しめるぜ。顔だって悪かないんだし。」
「そりゃあどうも。」
 カクリは気のない返事をした。
「兄ちゃんたち、ちょっといいか。」
 そう言って急に話に割って入ってきたのは、初老のカエル型亜人のおじさんだった。
「は、はあ。」
「こっちの帽子の兄ちゃん、あんたがあれだろ、最近ここらで楽器を奏でてるって言う。」
「ああ、そうよ。」
「一回聞かせてもらったが、あんたなかなかいい腕をしてるな。」
「まあな。俺の音楽が分かるなんて、おじさんもいい耳してるじゃん。」
「ふ、言うじゃねえか。」
 おじさんは笑いながらそう言った。
「おじさんも音楽やってたのか。」
 すると突然、近くに座っていたカエル型亜人がテトに詰め寄ってきた。
「さっきから聞いてれば、お前がどれほどのもんか知らんが、この方に失礼じゃねえか。」
「落ち着けって。」
 おじさんは決して声を張らず、でもしっかりと通る声で男を制した。
「すみません。盗み聞きする気はなかったんですが、つい熱くなっちゃって。」
「ありがとよ。」
 男は、ペコっと頭を下げ、そそくさと自分の席に戻った。
「ふ、迷惑かけたな。ここは一杯おごらせてくれ。」
「そりゃあ嬉しいね。」
「さっきのと同じの、一杯ずつ。俺につけといてくれ。」
 店員は、かしこまりました、と頭を下げた。
「俺は、ボッカ。」
 おじさんはそう自己紹介をした。
「ボッカ……ボッカってまさか、あの?」
 カクリはテトと知り合って結構経つが、これほどまでにテトが驚いた顔を見たのはこれが初めてだった。
「やべえぞ、カクリ。」
「お、おお。」
「ああすまん、お前は音楽に詳しくないもんな。」
「ごめん。」
 カクリはなんだか申し訳ない気持ちになった。
「いやいいんだ。俺が勝手に興奮しちまったんだから。」
 落ち着きたかったのか、テトは先ほど飲み干したグラスをもう一度手に取り、中に入っている少しばかりの酒を飲もうとした。
その様子を見ながら、ボッカと名乗ったその男性は笑っていた。
「天声ボッカ。この人はその名で愛される声楽家だ。」
「だった、だな。もう最近はすっかり歌わなくなっちまった。」
 かつての栄光に浸るかのように宙を見つめながら、ボッカは酒をあおった。
「いや、そんなことないはずだ。あんたほどの亜人、そうそう簡単に音楽をやめれるはずがねえ。」
 テトのその言葉を聞いて、ボッカはニヤリと笑った。
「確かにやめたと思ってたんだ。でも、あんたの言うとおり、音楽ってのはそうそう簡単にやめられるもんじゃねえな。テト、お前さんの音楽だよ。」
「俺の、音楽?」
「そうさ。お前さんの音楽聞いてたら、久しぶりに歌いたくなっちまってな。」
 テトは目を丸くして驚いた。
「伴奏、引き受けてくんねえか。」
 テトは固まって動けなくなったようだった。
「テト、テト、テト!」
 カクリが何度か呼びかけ、やっとテトに意識が戻ったようだった。
「ごめん、あまりにもびっくりしたもんで。」
 ボッカは声を出して笑った。
「で、どうだい。引き受けてくれるかい?」
「も、もちろんよ。天声ボッカと言えどもブランクがあるようだが、俺についてこれるのかい?」
 テトは精いっぱいの虚勢を張って見せた。
「ふ、頼むぜ。」
 ボッカは笑みを浮かべながら、一言そう言った。

 その日は、この店の、いや喜田恵の歴史に残る日になったといっても、過言ではなかった。

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