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私は愛そのものなのだ

ずっと、誰かに理解されたいと思っていました。

繊細で、傷つきやすくて、「この人こんなこと言ってるけど本心は違う」となんとなく気付いてしまう、そんな子供でした。
誰か悲しそうな人がいたら、気になって仕方ない、そういう子供でした。
母親は鈍感で、自己愛が強く、共感性も低く、私という人間を理解しようという姿勢も能力もなかったため、「気難しい子ね」と言われていました。
父親は、家族からも、自分からも逃げていたので、全て見て見ぬ振りでした。

子供は親を深く愛していて、そして同様に自分も愛されたいと思ってしまうものだと思います。
私の中にいる、小さい私が、ずっとずっと、膝を抱えて、愛を求めて泣いていたんだと思います。

誰か、私を愛してほしい。
誰か、私を深く理解してほしい。

そう思っていることに、大人になってから気付き、でも、そんなこと叶わぬ夢だと、それを望んでいる自分を罰してさえいました。

アトピーを本気で治そうと向き合い始めて、まだまだ自分が自分を押し殺していたことに気付きました。

本当の意味で自分を愛せるようになりたい。
どんな自分もよいと認めてあげたい。
どんな感情もよいと認めてあげたい。
誰かに認められなくても、自分が自分を受け入れて、認めてあげたい。

そう、強く思い、そのように行動したいと思うようになりました。

そうすると不思議なことに、自分の意見や感情を誰かに主張する場面が、たくさん訪れてきました。
言わなければ、波風はたたない。
相手の意見を受け入れておけば、面倒な奴だと思われない。
だけど、自分で自分の尊厳を守るために、自分の生き方を貫くために、自分が自分らしくあるために、勇気を出して自分を表現しなければならない場面がたくさん訪れました。
時に論理的に穏やかに、時に感情的に激しく、私はこの1ヶ月、自分を表現してきました。
メールを送る瞬間、電話をかける瞬間、その人に会いにいく瞬間、何度も何度も表現しないラクな方を選びたくなる恐怖を感じながら、自分を表現してしまえば嫌われてしまいもうこの人との縁は切れてしまうかもしれないとすら思いながら、それでも自分への愛を貫くために、自分の思いを誠実に伝えてきました。

うまくいくこともあれば、いかないこともありました。
伝わったように感じる時もあれば、そうでないのともありました。
でも、私は、私のために、自分を表現しました。
その時は、膝を抱えて泣いている小さな私を背中に庇いながら彼女を守るために猛烈に戦うような感覚もあれば、恐怖と不安で落ち着かない今の私に寄り添うもう一人の自分がいるような感覚の時もありました。

そんな試行錯誤をしていると、不思議なことに、アトピーが良くなっていることに気付きました。
痒くて痒くてたまらなくて、掻きむしって引っ掻き傷でヒリヒリしていたのに、痒みが5分の1くらいになり、かさぶたや赤みが少しずつひいて黒くなっていたり。
まだ、元のきれいな肌というわけではないのですが、体が変化していることに驚いています。

もちろん、こういったことのほかに、代替医療の専門家に相談して、レメディを処方してもらったり、ビタミンCやマグネシウムなどのサプリを取ったり、食生活も見直したことも大きいと思います。保湿クリームや、レメディクリームを塗ったりする、外側からのケアも。
また、カウンセラーさんに話を聞いてもらって、考えを整理したり、支えていただいたりも始めました。

コツコツとやってきたことが、少しずつ実を結んだようで、嬉しいです。

そして、何より、自分を愛する力は自分の中にあったのだ、と気付いたこと、色んなもので霞んで見えなくなってしまっていたけど、自分は愛そのものなのだと、そう腑に落ちた時に、涙が止められないほど胸がいっぱいになる思いになりました。

私は、誰かに求めなくても、自分で自分を愛することが出来る。
私が産んだ子供たちは毎晩、私に大好きだと伝えてくれる、愛そのもの。
そんな〝愛そのもの”を産み出せた私も、きっと愛そのもの。

簡単ではないけれど、小さなことから自分を愛する言動をしていけば、それを少しずつ実感できるのだなと、感じました。