無理はせず、おやすみを

こんにちは。

今日はとても久しぶりの投稿となりました。

水曜から突如の熱発、人生数度目かの39℃台。

世でいろんな病気に苦しんでいる人には申し訳ないですが、

このまま死んでしまってもいいと思うくらい

しんどかった。

熱は翌日明け方まで続き、ようやく昼頃に落ち着きを見せ、

食欲も改善。翌日である昨日木曜日は、仕事を休みました。

今日は出勤!と思っていましたが、体はまだまだへろへろ。

無理はせず、お休みをいただくことにしました。


実はこのこと、「無理はせず、おやすみを」が、自分にとって

とても大進歩だなって思って、こうして筆に落としています。

前の自分なら、熱が出た翌日、体を引きずって仕事にいっていたと思います。


それはなぜか。

迷惑をかけてはいけない

休んだら何を言われるかわからない

前者はあっていても、後者はどうなのでしょうか。

昨日もたくさんgoogle先生に問いかけました。

やすんだあとにくる罪悪感

とか調べたりして。


自分の休んだ理由は正当なのに、なぜ罪悪感?

と思う人もいるのでしょう。

そう思ってしまうのが私なのです。

だからこそ、どうしてもつらくなってしまいます。

休暇をもらった日の夕方、病状報告のために上司に連絡した際も、

「明日はなんとかいけそうです、ご迷惑をかけて申し訳ありません」


なんとか。


なんとか…


無意識に出た言葉でも、なんとかって、いいのかって思いました。

なんとかいって迷惑かかるんじゃないか?

なんとかいってまた体調崩さないか?

でもいったらいったで、休めばよかったとか言われるんじゃないか?

先月も精神的不調から、身体的な不調がきて、仕事を数日休む日がありました。

たびたび休むことに懸念する気持ちはありました。

今回は熱と伝えているものの、

変な勘繰りを受けてないかとそこばかりを心配している自分がいました。


なんとか


と答えた自分に再度問いました。

「しんどいか?」と。

久しぶりに出た39℃台の発熱、食事も睡眠もままならず、ようやく翌日になっておじやを少しずつ食べられるようになった程度。


無理じゃないか。


そこで自分はこたえました。

「もう無理せんとこ」


「せやな」と答えられました。


今日はくしくも、金曜日。

私の職場は一番忙しい日です。

昨日も大変に忙しかったようでした。


気にならない、といえば、嘘になります。

こうしてかいているのも、その気になる感覚を消し去ろうと正当化しようと必死なのかもしれない。


でも今日無理しないでいかなかったことで、

やっと心も休めることができたように思います。

たかが風邪、されど、風邪。

コロナでもインフルでもなかったので、大事にならなくて本当によかったです。


無理をしないで、仕事にいかなかったこと。


そしてそれでもいいねんでって自分がいってあげられたこと。


それが今日のほんの少しの成長でした。

自分の行動をなかなかこれでいいよと自分で言ってあげられない

そんな自分だからこそ感じる

自分軸で考えられた決断でした。

小さなことでもいい。

他人軸はおいておいて、

自分軸で生きること。



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