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これこそはと信じるものがこの世にあるだろうか

約30年ぶりぐらいに10日間ほど同居した両親は、当たり前だが老いていた。

特に母。話すことが幼稚になった。物忘れも酷い。何度言っても資源ゴミの袋に生ゴミを入れてしまうので、ちょっとキレ気味で注意をしたところ、機嫌を損ねて半日くらいろくに口をきいてくれなかった。

歳を取ると、頭で考えてる事が混ぜこぜになって言葉に出てくる時がある。滞在中における母のハイライトは

「お客さんにこまめに〇〇する」

と言いたかったところを何回言い直そうとしても

「おまめに」

と言ってしまったところだ。三回くらい言い直そうとしたのだがまた「おまめに」と言ってしまい、「言いそこ間違えた!」という福岡弁なのか不思議な言い回しの言葉まで飛び出して、私は腹を抱えて笑った。

そんな母は当年とって76歳である。さっきテレビをつけたらたまたまアメリカの大統領選挙のニュースをやっていた。トランプ氏は74歳。バイデン氏は77歳。ガースーこと菅総理は71歳。

なんだって政治家はこんなにも年寄りなんだろう。もちろん頭の冴え渡る70代も居るには居るだろう。知識も経験も豊富だろう。人脈もあるだろう。

しかし世の中はどんどん変わっていくのだ。待ち受ける困難の形も変わっていく。公共の福祉の価値も、お金の価値も家族の価値も、仕事の価値も男の価値も女の価値も、変わる。変わって欲しいものも、変わらないで欲しいものも変わる。

ニュースを見た後、私の頭の中である曲が流れた。

古い船には新しい水夫が
乗り込んで行くだろう
古い船を 今 動かせるのは
古い水夫じゃないだろう
なぜなら古い船も 新しい船のように
新しい海へでる
古い水夫は知っているのさ
新しい海のこわさを

吉田拓郎「イメージの詩」より

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