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都市における“走る”と“歩く”の行方を、韓国ドラマ『Run on』と書籍『ウォークス 歩くことの精神史』から考える。

歩くことを失った1年だった。
とある韓国ドラマと一冊の本によって、そう気付かされた。

・・・

そろそろ1年になる、フル・在宅ワーク。便宜上どこで働いても良いのだが、整えすぎた作業環境と愛犬の引力の強さ故に、ほぼ家で働いている。
走ることで定期的に家は出ていたし、何なら、人生で一番走った1年かもしれない。

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▲2020年に走ったルートの記録

1年間よく走ったという達成感の隣に、言語化できない気分の悪さを感じていた。走り続けるために新しい事も色々試した。山を走ってみたり、好きなカフェを見つけたり、趣味も増えた。それでも、何かが埋まっていなかった。

そんな事を考え始めていた冬頃、『Run on』という韓国ドラマが始まった。現代の都市を舞台にした、走ることが何かしら物語に絡む作品である。KPOPを初めエンタメの頂点に君臨する韓国カルチャーは、今の都市生活におけるランニングをどう語るのか。観るしかなかった。

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Run on (런 온)| それでも僕らは走り続ける
2020年12月16日放送開始・国内ではNetflixで配信

※物語の核心に触れるネタバレはしませんが、
情報を絶ちたい方は後日お会いしましょう。

話の筋は、フリーランスの翻訳家と100m走の選手(画像の中央2人)、スポーツエージェンシーのCEOと美大生(画像の左端と右端)…という、別世界で暮らす者同士がいかに出会い、関係を結んでいくかという内容だ。
この4人の登場人物のうち、走ることが本業の陸上選手を除き、都市を走るライフスタイルの実践者が、CEOのソ・ダナ代表(以下ソ代表)だ。

画像4,5枚目のカクテルシェイカーのようなマイボトルと、
様々なファッションに合わせたスニーカーが、ソ代表を象徴している。

■トレッドミルは並走できない

最初にソ代表が走っていたのは、オフィス内のトレッドミル(ルームランナー)の上だった。ソ代表と、隣で走る取締役の会話は、当然のように意見が決裂する。

このシーンは、現代社会における「走る」の一つの形を象徴している。

ここからは、副読本として「歩くこと」を通して人の歴史を読み解いた一冊『ウォークス 歩くことの精神史』に時折寄り道をする。著者ソルニットは、トレッドミルを次のように語る。トレッドミルは均一化した運動による消費しか生まず、かつての歩行が担っていた自分の外側にある世界に接続する・してしまう豊かさを一切省いたもの、と。

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『ウォークス 歩くことの精神史』
レベッカ・ソルニット(著), 東辻 賢治郎(翻訳),2017

身体を通して自分と向き合う行為としての「走る」。当然ながら心地よく感じる走り方は人によって大きく異る。横並びにトレッドミルを走りながら会話したところで、2人のペースが揃うことはなく、各々は自分としか向き合っていない。

自己管理を徹底するソ代表は、“出所のわからないものは口にしない”と常にマイボトルを持参する。リスクを極限まで避ける性格なら、運動はオフィスのみかと思いきや、中盤で1人外へ走るシーンが描かれた。

■都市を走ることで、閉じつつ開く

再びソルニットの書籍より引用すると、歩くことは出発地点から目的地にいたるまでの過程を連続的に結びつけ、偶発的な出会いを身体と精神の両面で経験する行為であったという。何故過去形で語られるかというと、効率化を求める社会において「歩いて移動する」ことは非効率であり、整備されるべきは車道であり、鉄道であり、人の身体がふらふらと歩き回る余白は限りなく削られていったからだ。地域もまた郊外住宅地と自動車都市への分裂が進み、歩くことで偶発的な出会う、という機会は失われていった。(そして、テレワークによる社会の脱身体化はさらに加速している。)

ただ、この歩行による偶発的な出会いの消失を補う行為として、私は都市を走ることが機能すると思っている。歩くには退屈な住宅街も、オフィス街も、走ることでその外側へ接続することができる。機能ごとに分裂した地域を強制的につなぎ合わせていく街を走る行為は、自分の身体に閉じつつも外部へ接続する回路を残している。

“最後に謝ったのは7歳の時だったかな”と話すソ代表。自分本意な性格で終始君臨するが、街を走る姿によって、未知との出会いを拒まない姿勢を垣間見せる。
そして物語の終盤、日常の移動は殆どが車移動(もちろん自分で運転)のソ代表が、ゆっくりと歩くシーンが映し出される。

■歩み寄る、ということ

郊外の海を見下ろす街で、ソ代表は芸大生と共に歩く。空間を共有し、言葉を交わし、同じ方向へ同じ速度で進んでゆく。歩くことで、自分とは対照的な世界の存在と、身体的にも内面的にも対話を重ね同調してゆく。散歩を終える頃、ソ・ダナは芸大生へ、とある言葉を初めて口にした。

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街を走り続けることで、自分自身のペースを刻みながらも、自分の外側の世界へ開き続けることができる。
そして出会った大切なものとは、惜しまず歩み寄る。
家に閉じこもった1年を経た今、何かにゆっくりと歩み寄る時間が必要なのだと気づいた。


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