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誤訳の旅/これはさすがにスティーヴン・キングもかわいそうだ編

もともとキングの読者ではないのでほとんど読んでないが、たまたま読んでみたら翻訳がアレでびっくりしたので書いておく。この記事で取り上げるのは新潮文庫の『スタンド・バイ・ミー 恐怖の四季 秋冬編』収録の「マンハッタンの奇譚クラブ」(山田順子訳)。例外的にダメな訳を引き当てたのだろうと期待するが、キングでさえこのレベルというのは予想のやや斜め上。同書併録の「スタンド・バイ・ミー」はもはや恐しくてチェックする気になりません。

まとめるのが困難なほど誤訳が多いので、この記事の範囲は原書の冒頭4パラグラフとその後のセリフの部分に限定しました。原書で1ページとちょっとですが、それでも圧倒的な密度で誤訳があります。こうなると誤訳に気がつくというレベルを超えて、むしろ誤訳を味わうために小説を読んでいるようなものです。

ちなみにこの新潮文庫の邦訳は初版が1987年(つまり「スタンド・バイ・ミー」映画化にあわせて刊行)で、参照したのは2019年に出た第55刷です。この絶望的な翻訳がそれほど読まれてると思うと気が遠くなる。キングのためにもそろそろ改訂か新訳してあげたらどうでしょうか。権利関係がどうなってるのかは知らないけど。


この記事で言及する範囲

小説の冒頭、邦訳で3ページ分。太字が誤訳および違和感のある部分です。

 雪と風の寒気きびしいその夜、わたしはふだんよりもいくぶん手早く服を着た——それは認める。一九七✕年、十二月二十三日のことだ。だが、クラブの他のメンバーもわたしと同じだったかどうかは疑問だ【A】。ニューヨークでは天気が荒れ模様の日に、タクシーがなかなかつかまらないというのは周知の事実なので、わたしは無線タクシーを呼んだ。八時に迎えにきてもらうよう、五時半には予約しておいた——妻は片方の眉をつりあげたが、なにも言わなかった。八時十五分前には、わたしは東58ストリート【B】のアパート(一九四六年以来、わたしと妻のエレンはずっとここに住んでいる)の天蓋形のひさしの下に立っていたし、タクシーが約束の時間に五分遅れると、いらいらとそのへんを往きつもどりつしていた。
 結局タクシーは八時十分に到着し、わたしは寒風からのがれられるのがうれしくて、当然運転手に向けるべき怒りもどこかへいってしまっていた。昨日カナダから降りてきた寒冷前線のしわざである冷たい風は、本気で任務をまっとうしていた【C】。タクシーの窓にひゅうひゅうとうなりをたててぶつかり、ときどき運転席の無線の音をかき消し【D】バネの上の大きなチェッカーを揺らした【E】。店はたいてい開いているが、ぎりぎりの瞬間まで買い物をしようという客【F】の姿は、ほとんど見られない。たまに見かける外国人たちは【G】寒くてたまらないか、苦痛を感じているか、どちらかのように見える【H】
 その日は一日じゅう雪がちらついたり、やんだりしていたが、今また降りはじめ、うっすらと積もったかと思うと、路上で竜巻のように渦を巻いたりしている。その夕方、事務所から家に帰るときには【I】雪とタクシーとニューヨークという都会とが組み合わさり、かなり厄介なことになると考えていたものだ……が、もちろん、実際にそうなってみるまではよくわからなかった【J】
 セカンド・アベニューと40ストリートの交差点を、大きな安ぴかもののクリスマス・ベルが、精霊のように宙を飛んでいった。
「ひでえ夜だ」運転手が言った。「明日は死体置き場に、ニダースもの余分な死体が並びますぜ。アル中たちのね。それにショッピング・バッグ・レディ【K】たちの死体も」
「そうだろうな」
運転手は考えこんだ。「まあね、いい厄介ばらいさね」考えこんだあげくにそう言う。「福祉費が助かる、そうでしょう?」
きみのクリスマス精神は、その広さと深みとを蹴ちらかすものだね【L】
運転手はまた考えこんだ。「お客さん、きっすいのリベラリストかい?【M】
わたしは有罪とみなされるおそれのあるときは、返事を拒否することにしている【N】」わたしがそう答えると、運転手は”おれはなんだっていつも知ったかぶりをするやつにとっつかまるんだろう”というふうに、鼻を鳴らした……が、それきり口も閉ざしてくれた【O】

山田順子訳「マンハッタンの奇譚クラブ」(新潮文庫『スタンド・バイ・ミー』pp. 352—354).
太字と【】内は引用者による

文芸作品の誤訳には単純な語釈や英文解釈の間違いから、原文からかけ離れた文体や、読者を無駄に混乱させる訳文、さらには小説全体のキモの部分を台無しにするものまでいろんなレベルがありますが、この部分にはわりといろんなレベルの誤訳がまんべんなく盛り込まれてると思います。


誤訳の解説

以下、それぞれの箇所の原文を参照して説明する。原文の出典は
Stephen King, Different Seasons, Signet, 1983, pp. 439–440.


【A】suspect that が正反対の意味に訳されている

山田訳:だが、クラブの他のメンバーもわたしと同じだったかどうかは疑問だ。

原文:I suspect that there were other members of the club who did the same.

より正確な訳:わたしのほかにも同じようにした〔=早めに出かける支度をした〕クラブの仲間がいるのではないかと思う。

基本的すぎるので説明は省略("suspect that 〜" は "〜ではないかと推測する" の意)。

前後の意味的な関係としては、

  • その日、早めに支度したは自分だけではないはずだ

  • (なぜなら)ニューヨークでは天気の悪いときにタクシーがつかまらないのが「周知の事実」だから

という話。当然ながら原文には「だが」にあたる逆接の接続詞はない。なぜ原文にない言葉を付け加えなければいけないのか? 原文の意味を取り違えてるからです。


【B】NYの住所の訳し方

山田訳:東58ストリート
原文:East 58th Street
より一般的な(?)訳:東58丁目

これは誤訳とはいえないが違和感があったところ。ニューヨークでは南北の通りを avenue、東西の通りを street と(だいたい)名付けていて、日本語では avenue は「〜街」、数字のついた street は「◯◯丁目」と訳すのが普通。

例:メトロの 57th Street–Seventh Avenue 駅 → 「57丁目-7番街駅」

この後にも「セカンド・アベニューと40ストリート」とかいくつか住所の表現が出てくるが、いちいち指摘するのはやめておく。


【C】mean business のニュアンス

山田訳:冷たい風は、本気で任務をまっとうしていた。

原文:That wind, part of a cold front that had swept down from Canada the day before, meant business.

よりマシな訳:その寒風は半端なものでなかった。

mean business は「本気だ」とか「真剣だ」とか「まじめだ」という口語的な表現です。冗談抜きでヤバい、マジモンだ、というやつ。

無生物についても「本気の◯◯」というのは日本語としてアリな気はするが、「任務をまっとうする」というのはいかにも違和感がある。誤訳とまではいえないかもしれないが、「その風は本気の冬の嵐だった」とか「半端なものではなかった」とか「甘くなかった」とか「手加減なしだった」とか、そんな感じでいいんじゃないでしょうか。


【D】サルサはどこへ行ったのか?

山田訳:ときどき運転席の無線の音をかき消し

原文:occasionally drowning out the salsa on the driver's radio

より正確な訳:ときどきは運転手が流しているラジオのサルサが聞こえないほどになり

そもそもタクシーの無線は何かが四六時中流れてるものではないので「ときどき無線が聞こえなくなる」というのはおかしな話。キングがわざわざ「サルサ」the salsa と書いてるのは、真冬のNYのタクシーでどちらかといえば南国のサルサが流れている可笑しさみたいな狙いもあるはず。こういうところはキングっぽい(?)気もする。


【E】「チェッカー」ではわからんだろ(たぶん)

山田訳:バネの上の大きなチェッカーを揺らした。

原文:[The wind is] rocking the big Checker on its springs.

よりマシな訳:タクシーの大きな車体をぎしぎしと揺さぶった。

これはたぶん訳者が Checker が何を指すのか分かってないのではと思う。NY の Checker といえば黄色い車体に市松模様がトレードマークのタクシー、Checker Cab のこと。当時のタクシー車のサスペンションが板バネだったかは知らないが、要は乗ってるタクシーが揺れるほどの風だったという話。

ついでにいうと英文和訳として正確でも、読者にわからなければ意味がないとは思う(こういう小説の場合は特に。【K】の「ショッピング・バッグ・レディ」も同じ)。


【F】間違ってはいないが

山田訳:ぎりぎりの瞬間まで買い物をしようという客

原文:last-minute shoppers

よりマシな訳:クリスマス直前の駆け込み客

意味的にはたしかに「ぎりぎりの瞬間まで買い物をしようという客」ではあるが、クリスマス直前の last-minute shopping といえば駆け込みで(主にギフトの)買い物をすることです。


【G】abroad = 外国ではない(こともある)

山田訳:たまに見かける外国人たちは

原文:Those that were abroad

より正確な訳:外を歩いている者は

やや古いいい方ですが abroad には戸外にいるという意味もあります。この辺の言い回しは原書の刊行時期ゆえか、あるいは語り手が70代という設定を反映しているかもしれない。というか、タクシーの中から一見して外国人かどうか分かるのもおかしな話だし、人種の坩堝ニューヨークで「外国人」とは誰のことなのか意味がわからない。あと「たまに見かける」という形容は原文には書かれていない。買い物客はほとんどいないが、外を歩いてる人はそこそこいるのかもしれない。


【H】対句表現の訳

山田訳:寒くてたまらないか、苦痛を感じているか、どちらかのように見える。

原文:〔Those that were abroad〕 looked uncomfortable or actually pained.

より正確な訳:難儀そうにしているか、実際に難儀しているかどっちかだった。

ここは looked uncomfortable と actually pained が対句になっているのでそのように訳すべき、という話です。意味も微妙に違っている。


【I】時間軸の誤解

山田訳:その夕方、事務所から家に帰るときには

原文:Coming home that night

より正確な訳:その夜、帰宅するときであれば

前提として「クラブ」に出かける主人公がその日「事務所から帰った」という内容は小説のどこにも書かれていない。ここは「クラブ」に出かけた後の夜(つまりこの場面からみた未来)に家に戻ってくるときを先取りして導入する句なのだが、邦訳ではなぜか語り手が夕方に仕事から帰ってきたとき(この場面からみて過去)の話になっており、いろいろ無理やりな翻訳になっている。この時間軸の誤りは、おそらく次の誤訳【J】と整合させるために無理に解釈したためと思われる。


【J】小説の仕掛けが台無し

山田訳:その夕方、事務所から家に帰るときには雪とタクシーとニューヨークという都会とが組み合わさり、かなり厄介なことになると考えていたものだ……が、もちろん、実際にそうなってみるまではよくわからなかった

原文:Coming home that night, I would think of the combination of snow, a taxi, and New York City with considerably greater unease . . . but I did not of course know that then.

より正確な訳:その夜、帰宅するときであれば雪とタクシーとニューヨークの街という組み合わせにはもっと重苦しい不安を感じていただろう……が、もちろんそのときには露知らずだった

とりあえず時間軸で説明すると、原文の意味は

  • クラブに行った後の夜に帰ってくるときなら、雪・NY・タクシーの組み合わせを不吉に感じていたはず

  • でもそのときは未来のことなので(雪・NY・タクシーの組み合わせの不吉さを)当然知らなかった

ということです。ところが訳者の解釈は時制が過去にずれていて

  • 事務所から家に帰りながら、雪のNYでタクシーは厄介だなと思っていた

  • やっぱりそうだった

となっている。その結果、原文の of course の解釈が無理矢理になっていて、「雪のNYでタクシーを使うのは厄介」という誰でも予想できることについて、語り手もその通りに予想してたにもかかわらず、「もちろんそのときまでわからなかった」という謎な話になっている。

さらにいうと、ここの誤訳は小説全体の仕掛けに関係してる点で問題が大きい。

この小説の後半では「クラブ」のあるメンバーが語るストーリーが紹介されている。その中に、雪の晩、ニューヨークでタクシーに乗った人物が恐しい目にあう場面がある。ただしこの話を聞くのはクラブに行った後なので、今から出発しようという主人公はその内容を知る由もない。

つまり小説の冒頭に書かれているこの一節は、その「ストーリー」を聞いた後、つまりクラブからの帰り道であれば、雪・タクシー・ニューヨークという状況からその「ストーリー」を連想して不安や嫌な気持ちを感じたかもしれないけれど、そのときは知らぬが仏だった、ということを述べている。ここは小説の最後の方に出てくる恐しい内容を説明なしに先取りしている場面で、小説全体のサスペンスや不吉な予兆という全体的なテーマを読者に与える重要な部分だが、邦訳ではその効果もゼロ。

英文解釈的にいえば、邦訳はここの would を「〜していたものだ」という、いわゆる「過去における習慣・習性・反復的動作」のように訳しているが、たまたま雪になった日に考えたことを習慣的動作として解釈するのは無理があるし、Coming home that night (語られている場面の時点で「その夜」は未来)につづけて I would think 〜 と書いてあるので、ここの would は「過去の時点における未来」であることが明白。


【K】「ショッピング・バッグ・レディ」は通じるか?

これは誤訳ではなく日本の読者に通じるなら何の問題もないが、あまり一般的な語彙ではない気もしたので。

この「ショッピング・バッグ・レディ」(原文は bag-lady)は女性のホームレスや浮浪者のこと。ショッピングバッグに持ちものを全部詰め込ん持ち歩いているイメージからショッピング・バッグ・レディとかバッグ・レディと呼ばれる。「アル中」という言葉につづけるなら「女ホームレス」とか「宿無しのばばあ」とかでもいいんじゃないでしょうか。

ちなみにこのセリフでアル中やホームレスの「死体」と訳されてるのは "Wino Popsicles" とか "bag-lady Popsicles" で、つまりタクシーの運転手は凍死体のことを Popsicle(=カチカチに凍ったアイスキャンデー)に喩えている。bag-lady といういい方も含めて、このタクシー運転手の口調には不遇の者を軽蔑して、他人の不幸を嘲笑している雰囲気がある。こういうニュアンスは会話の流れとしても重要。


【L】皮肉が訳せていない

山田訳:きみのクリスマス精神は、その広さと深みとを蹴ちらかすものだね

原文:'Your Christmas spirit,' I said, 'is stunning in its width and depth.'

よりマシな訳:まったくクリスマスにふさわしいご意見ですな

ここは邦訳の意味がぜんぜんわからないところ。たぶん訳者はこのセリフが皮肉であることが読み取れていないし、逐語的にも原文と意味が整合していない。

まず "stunning in its width and depth" は「広さと深み」を台無しにする(?)という意味ではなく、「その広さと深さにおいて驚くべきものだ」=「驚くべき広さと深さをもっている」という意味で、額面通りにはタクシー運転手のクリスマス精神、つまり典型的には寛容さとか優しさとか思いやりといったものを大げさに褒めている。

もちろんこのタクシー運転手には優しさも思いやりもまったくない(ひもじい者の境遇を軽蔑的に語り、凍死者の急増を歓迎すべきことのように語る)ことが明らかで、つまりこれはタクシー運転手への皮肉です。訳文は

  • すばらしいクリスマス精神をお持ちなんですね

  • あなたのクリスマス精神には感動を覚えます

  • まったくクリスマスにふさわしいご意見ですな

とか、何でもいいけど皮肉であることが読者に伝わることが大前提で最低条件。「広さと深み」みたいな細かい単語の対応はわりとどうでもいい。


【M】 "bleeding-heart liberals"

山田訳:お客さん、きっすいのリベラリストかい?

原文:You one of those bleeding-heart liberals ?

よりマシ(?)な訳:お客さんも例のお情け深いリベラルかい?

bleeding-heart は直訳すると「血を流す心臓」だが、心が傷つきやすいという感じのニュアンスで物事におおげさ心配や同情をする人、情に流される人、「やわ」な人、慈善家ぶる人を指す言葉で、保守派がリベラルを揶揄するときの決まり文句。one of those も含めて軽蔑的な口調だが「きっすいの」にはそういうニュアンスがあまりない。


【N】これも間違ってはいないが

山田訳:わたしは有罪とみなされるおそれのあるときは、返事を拒否することにしている

原文:I refuse to answer on the grounds that my answer might tend to incriminate me

よりマシな(?)訳:責められるのは御免なのでその件は黙秘しますよ

原文は尋問されている人が黙秘権を主張するときの決まり文句で、似たような表現は法律もののドラマなどでもよく登場する。ここはそれをある種の冗談として返事に使っているセリフなので、「わたしは〜返事を拒否することにしている」という訳は生真面目すぎて語り手がバカっぽい、というかこの小説の語り手に必要以上におかしな人物の印象を与える。incriminate は有罪にするの意だが、この会話の中では自分がリベラルだといったらあなた(タクシー運転手)にあれこれ文句を言われそうだから、みたいな含意でしょう。


【O】weisenheimer


山田訳:"おれはなんだっていつも知ったかぶりをするやつにとっつかまるんだろう"、というふうに、鼻を鳴らした……が、それきり口も閉ざしてくれた。

原文:The cabbie gave a why-do-I-always-get-the-weisenheimers snort . . . but he shut up.

よりマシ(?)な訳:なんで俺の客は小賢しいやつばかりなんだ、とでもいうように鼻を鳴らしたものの、あとは黙り込んだ。

ここも辞書的な意味とか英文和訳として間違っているわけではないが、前後のつながりからいえば「知ったかぶり」という日本語はフィットしない。

蛇足として付け加えると、この会話はいわばアメリカの反知性主義な保守と、偉そうで口の達者なリベラルの対立のカリカチュアのようなやりとりではある(ちなみに「マンハッタンの奇譚クラブ」The Breathing Method が発表されたのは1982年で、レーガンが大統領に当選した翌年)。よく知られているようにキング自身は政治的にリベラルで、このやりとりは彼本人がそんなことを言ってそうな雰囲気もなくはない。

いずれにせよこのやりとりは小説の冒頭で語り手の人物像を読者に示すものなので、細かい表現よりは会話の雰囲気を再現する方が重要、と個人的には思います。


番外編

というわけで、微妙な訳も含めれば原文1ページ強で15箇所ほど指摘できる。この調子でこの邦訳にはきわめて問題が多いのだが、上記の範囲以外(といってもその6行後)で突出してダメなのはこれ。

摂氏約三度で、人間は寒さを敏感に、すばやく感じるようになるという。そういうときは、家にいて、暖炉の前に陣取っている方がいい……少なくとも電気ヒーターの前にいる方がいい。摂氏三度では、熱い血は復原力さえもたない。それは学術的な報告以上のことだ。
〔……〕
さっき、二十三度の血液は過去の遺物だと言っただろうか?そうかもしれない。

『スタンド・バイ・ミー 恐怖の四季 秋冬編』(新潮文庫)pp. 354–356.
太字は引用者

ここの原文は以下の通り。

At seventy-three a man feels cold quicker and deeper. That man should be home in front of a fireplace . . . or at least in front of an electric heater. At seventy-three hot blood isn't even really a memory; it's more of an academic report.
〔……〕
Did I say that at seventy-three hot blood is a thing of the past? Perhaps so.

Different Seasons, pp. 440–441.

この箇所にいくつ誤訳があるかわかりますか。「二十三度の血液」とか完全に意味不明な訳文がどうやったら活字になるのか理解に苦しむ。もはや解説も面倒なのでより正確でマシな訳だけ書いておく。

七十三歳にもなると寒さは敏感に感じるし骨身に堪える。この歳になれば人は家の暖炉にあたっているものだ。電気ストーブでもいいが。七十三歳にもなると血がたぎるなんてことはもはや生きた思い出でさえない。自分に無縁な学術報告みたいなものだ。
〔……〕
さっき、七十三歳では血がたぎるなんてことはもはや過ぎ去った過去だと言ったか? そうかもしれない。

この note 筆者による

ちなみに華氏73度は摂氏約23度なので、邦訳が年齢を温度と勘違いしたことは分かります。でも「摂氏約三度」はやはりわからない。というかこの部分(とそのつづき)で語られてるのは、老いると体で感じるほど興奮するなんてこともほとんどなくなるけど、誰かのストーリーを聞くのが本当に楽しみなときはその例外だ、みたいな話で、ある意味「老年」をテーマにしたこの小説のキモというか、物語が人の心に与えてくれるものはいつまでも変わらない、みたいな大事な内容のはずなんですけどね。


結論と感想

こんなにダメダメな翻訳でも邦訳が55刷も売れるキングは本当にすごい。膨大なディテール(でもない)の問題にかかわらずストーリーの力で読ませてしまうのは、ある意味大衆的ジャンル小説の真骨頂かもしれない。

というのは冗談で、たぶん「スタンド・バイ・ミー」のためにこの本を手に取る人は多いと思うので、翻訳はほんとうになんとかした方がいいと思う。巻末の訳者解説には「キングはホラー作家として知られるが、(本人にいわせると)ここに収録されてるものはホラーではなくふつうの小説」という話が書いてあるが、むしろこんな翻訳が55刷も売れてるのは純然たるホラーでしかない。

それなりに細かく読んでみると、やはりというか当然というか、キングの文章には軽さや重さの配分とか、言葉のリズムとか、構成の仕掛けとか、クラフトとして工夫がいろいろある。アメリカでアホみたいに売れるのはそれなりの理由がある、ということも分かる。

だが邦訳との落差でそういうところに気がつくのは不幸なことなので、願わくばキングの魅力が余すところなく読者に伝わるような翻訳がほしい、というのは特にファンではない読者としても切に感じるところ。みんなが知ってるスティーヴン・キングより本来のスティーヴン・キングの方が面白いとすればあまりにもったいない。


誤訳の味わい度
イースターエッグ度:★★★★☆(キングでもこれか、という意味で)
深刻度:★★★★★
味わい:☆☆☆☆☆
コメント:キングはいい作家だと思う


画像出典:
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Different_Seasons_(1982)_front_cover,_first_edition.jpg

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