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選挙演説はあえてフリートークでいい。


ワタクスの住む地方でも県議選。

知事も任期満了で不出馬表明して

その数カ月後に変わることに。


都道府県の議会議員以下の選挙って

いまいちモチベ上がらない。

そもそもそいつら

知らんのですよ笑

無投票当選も多いですしね。


大多数は知らないのに政策を

なんとなく耳ざわりよく並べ

知らないくせに世間体で投票。


私たちも実はあんまり考えて

人を選んでなかったりする。


そもそも選ぶための情報や材料が

少なすぎるのに一向に改善しないから

みんな興味も持たないようになった。


これは選挙に関する法律の影響が

大きいんでしょうけどね。

あえて関心もたせないようにして

コントロールしてきたのがミエミエ。


この声を大きくしていいんです。

なにゆえ、時代が変わっても

律儀に時代に合ってない法律を

ずっと守って選挙活動するのかと。


わかってるよ?こいつらが

知っててやってるの。

突きつけてやればいいだけです。

言い逃れしますけどね、法律を盾に。


ずっと疑問なんですよね。

投票率が上がらないというが。

やってることは小賢しくて

上がらないことを利用してる。


もっと関心を持ってもらうことが

一番大事なことなんで、ホントは。


それやったらコントロールできない。

だからスモールベースボールならぬ

スモール選挙に当選のために徹する。


結局自分たちの戦いだと思い込む。

そのカッコツケ、要らんのよ笑

それがそもそも、前提の大間違いで。

我々住民のための選挙なんでね。


歯のない連中に対して歯の浮くような

どうでもいい真面目ぶった演じた説を。

無視だろう、確実にうるせぇし。


ロースコアゲームで計算できる票を

握るかどうかで勝負が決まる。


当初、選挙制度を掲げて実現した

先人たちの思いなどまるで無視。

いつしか、権力の悪性ツール化。


でもって、キレイゴトを並べて

ルールの範囲内でまじめに選挙運動。

名前の連呼、きれいごとを並べ

個々の特徴は何一つも伝わらない。


その特徴すら演じてるだけで

人間性などわかりはしないから。

私たちは人を見たい、知りたい。


いくら選挙で良かれと選んでも

一向に良くならない過去現在なら

人で選ぶ選択肢を取りたいのだ。


でも法律が邪魔で人間性は

まるで伝わらない。

ここがオープンになれば変わりうる。


もちろん買収的な行為を取り締まる

そのために選挙活動にある程度の

活動の制限は必要であって

これは時代が変わっても同じこと。


逆に見えないようにいろんな

取引ができそうなもんだからね。

バレていないこともあるんでしょう。


でもね、おもに選挙演説とか。

もっと自由にやらせてもいいかなと。


むしろそこで選挙演説じゃない

素の部分が見えると面白い。

スピーチ合戦ではない人間そのもの。


そこで怖じ気づくやつは

所詮、その程度なんですから。


政治スピーチは演じれるから嘘でも

知識でも対策できて固められる。

そんなんじゃないリアルな人間が

見えたほうが、親身になる、感じる。


聴衆はネットを通してその演説を

視聴してもいい。その人間性を

自分自身で見極めたいからです。


何気ない話題でいいんですよ。

難しいことをさも得意げに並べ

主張するだけでは人を惹きつけない。


誰も聞いてみたいと思えないし

みんなどこか机上の空論に聴こえる。

それを住民もわかっているから

親身になれずまるで話が入ってこない。


聞く身になって想像して考えてほしい。

選挙で投票に行くぞと思えるのは

政策でも知識でもないんです。


その人がどういう人かわからないと

候補者に自分の意思で投票できない。


人となりって大事でしょ?

極端な話、政策や政治に精通しても

なんら変わらなかった政治の世界。


日本人が変わるのはほんの少しの

方向の向きを変えたり、受け手側の

やる気になる引き出しを開けること。


まずはこの国では法律改正しないと

何事も進まないヘタレな稚拙さがあるが。


この国はヘタでもうまくても言い続け

ずっと文句をつけていかないと

変わる余地はすぐに消えてしまう。


なんなら、候補者はいきなり街頭で

全然関係ない話を仕掛けてもいい。

法律の逆を向いて人間を見せる。

それしか新しい道は切り拓けない。


一方、知事選も控えるがこちらは

立候補を表明して手を挙げた人は

ほぼ、同世代か下の人だ。


主に二人の現市長の一騎討ち。

だが県議と違って既にある程度

キャラが立っているから私たち

有権者は人間性で選びやすい。


この人ならば、という人となりの

情報が多いし、知られているから。


既に二人とも市長時代からその姿勢や

人間性がある程度報道などを通じて

私たちにも伝わっているから。


人としての魅力の勝負は終わった。

そのための情報として人間性は

周知され評価は決まっている。

だが決めるのは各自の投票だ。


各自が魅力ある人を重視するか

長いものに巻かれるのか。

未来を託された県民のジャッジは?

みんな何か違いをつくるために

必要不可欠なホントの変化への胎動。

そろそろ本気で意識変えないと。


無難より面白いほうを選ぼう。

そのケモノミチがこれまで

拓けないと嘆いてた道に変わる。


変わるとワクワクしそうだ。

こういう気持ちを押し上げる

人間性がわかる取り組みこそが

私たちの未来を共につくるために

必要なのだと思う。


とにもかくにもまずは

選挙演説を自由化すべきだ。

そうすれば人は意識が変わる。


有権者の意識が変わらなければ

もう未来は変えようがないのだから。












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