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ガンバルセイギ。


頑張っている姿勢は

そんなにも正義だろうか?


もしかしたら日本人は

間違っているのかもしれない。


頑張ったからこそできた

過去の成功体験が強すぎて

信じすぎたのかもしれない。


人力でもって足し算すれば

ノビシロがあった過去のやり方。


現在の技術を使うと

人力のパワーとの

バランスや配分が変わっている。


もしかしたら現在の技術を

ベースにするのであれば

足し算ではなく掛け算で

いいのかもしれない。


いや、掛け算に変わって

しまっているのに日本はまだ

足し算でいこうとしてる。


だから必死に頑張る足し算

それだけを徹底的にやれば

道は拓けると考える。


成果が100だとすれば

昔のとおり技術1✕人力100

ならばまだ通用していた。


技術の発展によって2や10に

ツール側が増えてきたけれど

人力の100を変えようとしない。


その分、成果も大きくなる。

そう信じていたのかもしれない。


だがフタを開けてみれば

現実は自分の国だけが

動いているわけでもない。


人力が100で動けたのは

自分の国がブルーオーシャンに

先にいたからこそであろう。


いろんな国が学び発展していく。

いつしかレッドオーシャンに

変わってしまったのを気が付かず

愚直に人力100を続ける。


今度は力が入りすぎて空回り

ムダ走りをするように全体は

負荷が大きくなり、コスパが悪い。


ちょうどいい100を

成果として出せなくなった。


焦れば焦るほど、空回りし始める。

停滞した日本はこのミスジャッジを

しているのではないか。カンだが笑


頑張っているから大丈夫。

頑張ったから納得する、させる。


もしそれが必要以上のもので

緩めることができないのなら?

負荷のかけ方が間違いなら?

私たちはやり方を考え直すべきだ。


私たちは自転車をこぎ続けるしか

選択肢は無いと思い込んでいく。

それで前に進むしかないと考える。


やればいいって問題でもない。

やってるから間違ってないとか

そっち方面の逃げもあるだろう。


マジメすぎるがゆえに陥るワナ。

頑張ることでしか不安を

払拭できないと考えるからで。


頑張らないでサボるように

してしまうのも、見えてしまうのも

悪でしかないと思い込む。

サッカーを見てればわかる笑


客観的に、俯瞰で日本人を見ると

やっぱココにも問題の根っこが

あるんだなと思えてしまいますね。


頑張る正義の歯車があるとして。

その歯車に人が乗れば乗るほど

その重みで加速度は増していく。


それが古い合わないやり方だと

成果に対するコスパが悪くなる。

それでも足し算を続けてしまう。


私たちはみんなが乗るからと

同じように歯車に乗ってしまうが

その重みによって否応なく

加速していくワナにハマる。


歯車は人が降りたら自然と

加速度は弱まっていく。


変速ギアが技術だとすれば

ギアを変えれば同じ速度で

こぐ必要はないのに。


確かに最初はチカラが要る。

イメージでは重くなるかも。


でも技術というのは流れに乗れば

さほど力を入れなくても進める。


人力で、こぐ力や速度を

軽くても済むように

開発されたものではないのか。


そう考えると技術が上がったのに

変速ギアを使っているのに

人力をフルパワーでこぎ続けると

疲れてしまうし、効率が悪すぎる。


フルパワーでこいだ、とて成果は同じ。

あるいは成果は減っていくのならば。


私たちは人力をフルパワーで

こなすのは間違っているの?と

疑問に思うはず。


しかし、みんなが昔と変わらず

あるいはそれ以上のフルパワーを

求められ全力でこぐよう指示される。


上の人間はそれで成功してきたから

どうしてもそのやり方を捨てられない。


上には逆らえない

逆らうと居場所を失う。

従うしかないから

全力でこぎ続ける。


こういう間違いを日本は

いまもなお、しているのでは?


政治家やお偉いさんたちは

やり方を変えずに動く者たちに

いま以上にこぎ続けることを

求めているが、どうだろうか?


アナタガタは実は何も

現状を理解しようとせず

失敗を恐れて逃げているだけ。


発想を変えなければこの国は

ずっとムダ走りを繰り返す。


一生懸命に走って動いて

頑張った、感動した?


それで済む時代はとうのむかしに

終わっているのではないか?








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