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スキマのスイッチは誰が入れるのか


なんだかんだ思うのは

大衆心理として日本は

ニュースになるネタを

無意識に探してあてがう


誰かや何かをイジる作業を

私たちは繰り返しながら

ガス抜きというか溜飲下げを

しているのではないかと


ということは、何か参加したい

願望が、あるにはあるんだけど

積極的に生み出す雰囲気もなく


あったとしてもちょっとズレてたり

正義ヅラが暑苦しかったりして

なんか気に食わなかったりする


だから誰かが何かをしたこと

用意され提供された事に対し

感じることにリアクション


二次的に利用してみることで

満たされないスキマを埋めてる

そんな感じを受けるんですよね


おそらく何かをしたいとか

特に決めや具体性はないけど

気に入ることがあれば参加したい

そういう願望はあるんだけど


どうもみんなが誰かの動き待ちで

エリゴノミしながら探ってる感じ


気に入ったことが自分たちに

うまくマッチすれば解放できる

マインドみたいなものを抱えてる


でも日々の生活や人生は自分で

守るしかないから、単純にリスクを

冒してまでは動こうとはしない


きっとスペシャルな存在を見つけ

そこに自分を投影しながら応援し

参加することで満足を得ようと


正直、この構図は人間の数を考えると

現代では効率的ではないんだけど

もうそうするしかないみたいな


そうやって動かしてきた構図が

日本には昔からあったはずで

それがいまだに社会全体に蔓延


けど、どうしようもない日本

気に入るものもない、みたいな

こんな事、照れくさい感じも

国民性としてはあるのかな


だから日々提供されていくネタに

イジり、笑い、楽しませてもらう

という受け身利用をすることで

ガス抜きするだけになってる


みんな意見があるのに言わない

具体的に言えないみたいな

面白さ感じず積極的になれない

学校の文化祭みたいなイメージ


なんかピタッとハマると動けるのに

それをずっと待ってるだけで

自らアクションを起こせないまま

地団駄踏んでるような?笑


誰かが用意したものではなく

自分たちで自主的に主役になり

分担を意識せず自然に動かし


丹念に「こしらえていく」ような

そういう感覚で、つくる雰囲気

用意されたものを消費でなくてね


小さなコミュニティでもいい

それが以前も書いた内容だけど

サンサンゴゴのチームのように


無理なく、でも無意識に積極的に

関わって仕上げてしまうみたいな

そういうチカラは日本人には

あるはずなんでね、潜在的に必ず


こういうイメージの動きを

できる場を無理なくつくって

余計な社会的地位や立場も

何も考えず役割分担もあえてせず

やさしさを持ち寄れる場を


自然発生的に各地で生まれたら

みんなで協力し合う雰囲気を

出しやすくなる社会になる


日本ももう一段上がれるかなと

ずっとキッカケ欲しくて探してる


人口の数が、動ける身体がまだ

ある年代の人が多くいるうちに

できたらいいのにと


社会的な課題を行政一辺倒に

してしまわずに、うまく回せる

そういう社会になりそうな予感

なんとなく予感だけはあります笑


今は自分たちの生活に精一杯

貯蓄や節約に勤しみ自己責任強化

そこばっかりになって格差拡大


もっとうまくやる方法もあって

でもそれは不確実性が高くて

リスク回避ばかりで停滞してきた


人間や社会を全体としては見ない

個人重視で、協力してできることも

他人に任せて、でもその他人も

同じようにほかの他人任せにしてる


誰もやらない、行政にだけ

負担と仕事量が増えるみたいな


もっと気持ち良くみんなが

動かせるような自由や雰囲気

仕組みをあえてつくらずに

やれたらいいのになと思う


マジメ過ぎな行政に任せておいて

不満ばかり言うけれど、逆に

開放による解放を意識させることで

主体的にやろうとする雰囲気を

つくるほうがうまくいくはず


やはり国内からは無理なのかな

もっと素直にフラットな感覚で

やれたら変わるのになと思うが笑


実は誰もが思っていることを

あえて意識させて動かしてみれば

眠ったやる気がうまく回り出す


たぶんみんな思っていること

あえて書いてみましたよ笑





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