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アベこべスガ。


スガの生活保護に関する発言。

政府には、最終的に生活保護という制度で

セーフティーネットをつくることが大事、

という類いの発言をした。


国民を救う制度があるから、

最終的にそこで支えていくという

ニュアンスだろう。


ちょっとアタオカな印象を受けた。


彼ら政治家は、良くも悪くも

いつでも政治家という職業を

「着ている」んですよ。


職業上の発言であって、

人間としての血のかよった発言

じゃないんですよね。


政治家が政治家として発言するのに、

何が問題があるのか?

と思うかもしれない。


ワタクシは違う、と思うんです。

職業上のスタンスを意識すると、

大事なことが相手には

絶対に伝わらない。絶対に。


得てして、打開のヒントはいつも

常識の逆を突くことにある。


みんなそうしたがるけど、

聴こうと思っていない人には

届かないからです。


政治家というのは

聴こうと思っていない人を

相手にするものでしょ?


国民はみんないま、

聴こうと思ってません。


みんな自分の行動を

優先したい気持ちが強くて

コロナ前と同様にしたくて。


制限をされればされるほど

そのなかで自分の感情や行動で

発散している感覚です。


国民のために本気で

やろうとしてくれる

チカラのある、意思のあることば。

こころからの人間目線のことば。

いま、必要じゃないですか?


官僚がつくった文章じゃないんです。

法律の条文じゃないんです。


私たちの社会は成熟しすぎて、

ひとりひとりの顔よりもシステムを

見て判断するようになってしまった。


ひとりひとりがカオナシな状態。

誰でもいい。

誰かで、なくてもいい。


勝手に動いてくれても、

最後、整ってくれていれば。


そんなシステムの一部に

人間がなっていて、

逆に考えなくていいから心地よいと

感じるような無感情な人間も多い。


駒扱いを自他問わず、全員がしている。

する側も、される側もそうなんですよ。


個々の事情に寄り添えない

規模にまで発展してしまった国。

こんなに小さい国なのに

大きくなってしまった国。



生活保護というしくみがある

との発言は、

政治家として、制度を整備して

しくみをつくることが仕事だと。


そこに重きを置いて

意識しているからこそ、

出てくる言葉なんです。


しくみ越しにボヤっとなった

国民の存在を見ているだけで、

人間ひとりひとりの生活していく、

生きていく人間の顔を見ていない。

その人の立場で、感じられていない。


制度のなかで困っている顔の無い人を

顔がボヤけて見えなくなっている人たちを

どうしくみに落とし込むか?

を考えているだけ。


想像してみてください。

みんな生活があって

それぞれ築いてきたものがある。


自分以外の理由で負担や理不尽さを

受け入れることを余儀なくされている。

そういう状態なんですよ。


協力してください、

少ししか出せませんけど。


自分の給料は法律で決まっているから

下げられませんけど。


すごいですよね。

どのクチと、どのハゲが言うのか。

ハゲてないけども(笑)


このコロナ禍の局面で、

制度を整える立場の発言をするのは、

ダメです。逆にダメなんです。


もちろん全員を救いきれないし、

すくい切れないのは事実。

しかしそうであっても

目を背けてはいけないのが

政治家ではないのか。


制度を整える発言は

あえてしなくてもいい。

それは発言するまでもない仕事。


私たちも仕事してますアピールは

要らないんです。

気づいてもらわなくても

政治家として報われなくても

いいんですよ。


先人たちの政治家の

ココロザシです(推測)。


むしろ大事なのは、

不安に思う人のこころに

適切な言葉がみつからなくても、

避けずに向き合うという

シンプルな姿勢です。


国民には逃げているようにしか

見えないんですから。

信頼関係に近い感情も生まれもしない。

その自分の姿こそ、見えてますか?と。


お金を出さないことよりも、

見ようとしない、背けている現実に

ガッカリしてしまうんですよ。

そこが一番、ダメージ大きいんです。


困っている人の顔を見ない、

まったく想像できていないのが

アタオカな証拠なんですよ。


この困っている人たちの顔を

想像できていること。

こころが伝わる声、表現で

おのれのすべてのエネルギーを総動員。

そうやって向き合って、

自分の気持ちを伝えなければならない。


それが政治家の資質のすべてです。

それ以外は極端な話、無くてもいい。


スガは「政府には」生活保護の制度も

あるのでという趣旨の発言をしたんです。


政府側、政治家側の発言をしてる。

この期に及んで、困窮者の立場を

本当の意味で理解しようとしていない

証拠だ、と感じてしまった。


政府には、と何気なく言ったことが

ものすごくショックでしたね。

国民がいままで維持してきた生活が

崩れていくことに目線を合わせられない。



生活保護に対しての世間の風当たりは

相変わらず強いだろう。

落伍者のようなイメージを自他共に

植え付けてしまうのだから。

そこから二度と這い上がれないような。


しかし、コロナ禍によってまた

状況は変わってきているとも思う。

ズドンと落とされていたのに、

さらに上からとてつもなく大きな

落石事故に遭遇した感じだ。


デッドゾーンぎりぎりで踏ん張ってた人

勝ち組と言われていたけど

ぎりぎりにいた人も巻き込まれた。


本当の上にいる勝ち組たちは

落ちない安定を誇示し、盤石にする。


勝ち組と負け組の境界線あたりで

しがみつく下の勝ち組たちは

落ちる恐怖に怯えている。


平成時代に繰り返された悪行、

下のほうのロケットがまた、切り離される。

時間を追うごとに切り離し、切り離し。

最後は無人ロケットになり、遠隔操作。


落ちるのを見下ろしながら、

うつろな目をして黙りこくってみてる。

あぁ、また落ちたなぁ。お金かかるわぁ。

また仕事増えるわぁ。って感じだろう。


「最後は生活保護で救うから」

ではないんですよ。


すくい上げる。

水を手ですくい上げる。

そっちの感覚のほうが近い。


水をすくう量が増えれば増えるほど、

はみ出て、漏れて、落ちていく。


その水を、ちゃんと直視しなきゃ。

直視していることが国民に伝わるように

言葉や行動で示さなければならない。


生活保護を支給すればいいのだろうか。

額を上げればいいだけの問題でもない。

そこも顔をみていなくて、システム的に

救い、認めたものだけをすくい上げるだけ。


生きる目的、目標、生きがいがない。

生活保護に「落ちてしまった」と

気持ちも何もかも落ち込んでしまい、

すべて削がれてしまったような人間に

ただお金を与えるだけでいいのかとも思う。


生活保護を支給するかわりに、

人を助ける、手伝う、できることを。

何かの役割を受給者に見いだせないまま。


問題の本質は、ここにもあったのだ。

何もしないのではなく、させない。

させようとはしていないんです。

人が活かされていないまま、生きるだけ。


できる人、できない人もいるでしょう。

でも、できない人にも、できることはある。


そういう本人の気持ちを前向きな方向へ

行かせて、マンパワーを活かす。

おそらく役割に飢えている人が

潜在的に多いはずですから。


最終的には自分でみつけるものですが、

そういう自主性を促すしくみがない。

こういうことがしたいから、

支援してくれといっても

そこを支えるしくみや法律がないと。


逆にこういう局面では、自主性を促す前提で

必要となるしくみができていないという。


不思議な話、あべこべな話ですよね。

アベだけに。あ、アベ政権じゃないのか。

なんも変わってないから

まだアベだと思ってたよ。


長文で失礼しました。

いま思うことは書けました(笑)

約3000文字・・・長っ。

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