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村山槐多 『悪魔の舌』① ~ ⑤

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夭折の画家、詩人 村山槐多の猟奇小説『悪魔の舌』
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ヘンな友達の話 (1) 『悪魔の舌 ( 一 ) 』 村山槐多 (むらやまかいた)

ヘンな友達の話 (1) 『悪魔の舌 ( 一 ) 』 村山槐多 (むらやまかいた)

村山槐多 ( むらやま かいた ) 1896年〈明治29年〉9月15日 - 1919年〈大正8年〉2月20日

村山槐多を知ったのは、ある要件で長野県まで行って、美術館の写真を撮影しに行ったときだったもしれない。

村山槐多の名前を冠したギャラリースペースの中は吹き抜けだったかな、その時は、村山槐多がどんな顔だったかも知らなかった、ただ掛けられた絵には見た覚えがあったかもしれない。
しかし、他の画

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ヘンな友達の話 ( 2 ) 『悪魔の舌 ( 二 ) 』 村山槐多 (むらやまかいた)

ヘンな友達の話 ( 2 ) 『悪魔の舌 ( 二 ) 』 村山槐多 (むらやまかいた)

村山槐多 ( むらやま かいた ) 1896年〈明治29年〉9月15日 - 1919年〈大正8年〉2月20日

村山槐多を知ったのは、ある要件で長野県にある、無言館という美術館に行ったときだった。
画家としての村山槐多という人物は、そこで絵をみて知ったわけだが、小説を書いていたことはつい最近まで全く知らないでいた。

村山槐多の怪奇小説

『悪魔の舌』
前回の ( 一 ) に続いて ( 二 ) で

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ヘンな友達の話 ( 3 ) 『悪魔の舌 ( 三 ) 』 村山槐多 (むらやまかいた)

ヘンな友達の話 ( 3 ) 『悪魔の舌 ( 三 ) 』 村山槐多 (むらやまかいた)

村山槐多 ( むらやま かいた ) 1896年〈明治29年〉9月15日 - 1919年〈大正8年〉2月20日

村山槐多の怪奇小説

『悪魔の舌』
前回の ( ニ ) に続いて ( 三 ) です。アイツはすごい変だと思っている友人、金子からの電報をうけて会いに行ってみると、なんと死んでいた。
しかも、自殺という。そんなこといっても、さっき電報を打ってきてんだから、さっきまでは生きていたはずで …

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ヘンな友達のやばい話 ( 4 ) 『悪魔の舌 ( 四 ) 』 村山槐多 (むらやまかいた)

ヘンな友達のやばい話 ( 4 ) 『悪魔の舌 ( 四 ) 』 村山槐多 (むらやまかいた)

村山槐多 ( むらやま かいた ) 1896年〈明治29年〉9月15日 - 1919年〈大正8年〉2月20日

村山槐多の100年前の怪奇小説

『悪魔の舌』

前回の ( 三 ) に続いて ( 四 ) です。

アイツはすごい変だと思っている友人、金子からの謎電報をうけて会いに行ってみると、なんと死んでいた。
しかも、自殺という。
典型的な少年探偵推理ロジックによって
「キタッこれだ」
油紙に包

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ヘンな友達の魔変身話 ( 5 ) 『悪魔の舌 ( 五 ) 』 村山槐多 (むらやまかいた)

ヘンな友達の魔変身話 ( 5 ) 『悪魔の舌 ( 五 ) 』 村山槐多 (むらやまかいた)

村山槐多 ( むらやま かいた ) 1896年〈明治29年〉9月15日 - 1919年〈大正8年〉2月20日

村山槐多の100年前の怪奇小説

『悪魔の舌』

前回の ( 四 ) に続いて ( 五 ) です。

アイツはすごい変だなあと思っている友人、金子からの謎電報によって呼び出されてみると、なんと家で死んでいた。
しかも、自殺という。
なぜ呼び出して、急いで死ぬんだ … ?
そして周囲を観察

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