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#仕事 | なんでなんでマンの仕事術

20歳新卒社員として不動産会社に就職した私。
学生時代は学業や好きな事に
とことん取り組ませてくれた両親のお陰もあり
アルバイトを経験することなく社会人となりました。

結果として、この会社で
新人研修や役員会議を任される社員へと成長する事ができたのは
初めての上司に恵まれたからです。
感謝も込めてここにエピーソードを残します。

はじめに
私の会社にはチューター制度があり、
新卒社員には指導員が1名ついて仕事を教えてくれました。
このチューターこそ、
私の恩師であり上司の「和田さん※」です。
(※仮称)

一般的に2つ、3つ上の年次の若手社員が
チューターになっていましたが
私のチューターの和田さんは
私が生まれた頃に入社したくらいのベテラン社員でした。

そして、後々わかった事ですが
和田さんは「スーパー庶務」と言われており
仕事に関してはもちろんの事、
ゴルフコンペで入賞したり、
社内でも相当有名な社員でした。
確かに、様々な部署から電話がかかってきていて
会社の事や人の事は何でも知っているのでは?と思うような方でした。

私が配属された支店にいたのも
たまたま、産休に入った社員の代わりに
一時的に配属されていただけでした。
そんな幸運な日々を振り返ります。

なんでなんでマンの仕事術


私は入社当時、本当にポンコツ社員。
学生時代にアルバイトをしてこなかった事が仇となり
銀行口座を作るのも、ATMを使うのも入社後が初めてだった私は
銀行業務を頼まれてATMに行くも
預け入れ、振込、引き出しの言葉の意味も分からず
ATMの機械の言葉も理解ができず、
聞き取る事もできず、どうする事もできず、
「ATMの言っていることが理解できませんでした」と
何もせずに帰社して、この子大丈夫か?となったあの空気感は忘れられない。

お使いを頼まれて外出すれば迷子になってしまったり
物件の調査に行けば、SECOMの機械を発砲させてしまったり
今では想像できないくらいの失敗は何度もした。

しかし、和田さんは、そんな私に
「大丈夫!大丈夫!」「次、頑張ろう!」
「次はできるよ!」と
いつも満面の笑みで励ましてくれた。

そして和田さんは
ATMの事でつまづいた時は
ATMの言葉の意味を調べる時間をくれ
「どんな意味だった?どんな事ができる?」等と聞いてくれた。
私が「こんな意味でした!手数料もこのくらいかかるそうです!」等と報告すると
「へぇ!!そうなんだ!」
「それ知らなかった!ありがとう!調べてよかったね!」等と
満面の笑みでリアクションしてくれた。

この日を境に
和田さんから「なんで?」と問われる日々が続いた…
2歳児、3歳児が「なんで?なんで?」と聞くのと同じように。

とある日は
契約書に関して
「これはどういう意味?なんでそこに入力するの?」
「なんでこれはここに入力すると思う?」
「他に言い換えられる言葉はないかな?」等
1件の契約書に1日使う事もあったほど
「なんで?なんで?」と聞かれ、
私は検索する日々が何日も続いた

時々、新卒の合同研修で会う同期社員が
着々と実務をやり始めていて、
明らかに習えているスピードが違うことに少し焦りもあった…

しかし、和田さんは来る日も来る日も
私のやることすべてに「なんで?どうして?」と聞いてきた

正直なところ…
なんで?なんで?うるさいな〜・・・と思うこともあったが
和田さんがいつも特大のリアクションと
私の回答で一緒に学ぶ事ができているのよ!
という感想が嬉しかった

いつも元気で、明るくて、キラキラした
和田さんが喜んでくれるのが嬉しかった!

ランチタイムには
頻繁に一緒にランチにでかけ
帰り道は一緒に物件調査をした。

和田さんはいつも
「ここはうちが管理している物件だよ〜」
「ここは鍵を取りにくる会社だよ」
「こんな物件もあるんだね」
「これは新築だね」「この設備はなんだろうね」
「これ帰ったら調べてみようよ!」
などと、話していた。

私達は会社に戻ると
「あの新築はこの物件だね!こんな間取りがあるね!」
「この設備はこんな事ができるらしい!」
「この物件には、この設備がついているみたい!」
など検索したり、
業務をする日常会話でも不動産の事がメインになっていた。

和田さんは他にも
「今は何が流行ってるの?」
「このアプリはどうやって使うの?」等と、
約20歳離れている私の世代の流行も
真剣に、面白がりながら、いつも興味深そうに聞いてくれ
同世代がいない社内の中での雑談も付き合ってくれた。

そして半年が経つ頃には
社内の雰囲気にも慣れ、
いつの間にかポンコツ社員のレッテルも外れ
私は和田さんのサポートの元、
一般的な支店業務全般をこなすことができるようになっていた。
むしろ、連携している別部署から感謝される事や
覚えてもらえる事が増えた。

それは、営業さんや各部署から連絡が来た際に
「これは海ちゃん※がやったんだよ!」(※私のあだ名)
「これは海ちゃんが教えてくれたから解決したの」
「これは海ちゃんのお陰だよ」
「これは海ちゃんが手伝ってくれたの」
と和田さんがいつも「私の存在」を強調してくれていたからだ。

そのお陰もあっていつの間にか
支店内からも各部署からも
「頼ってもらえている」と実感する事が増えて、自信を持って仕事をすることができるようになった。

そして、次の新卒の内定者が出る頃
ついに和田さんは転勤してしまう。

ただ私はこの時はまだ、
和田さんがしてくれていた素晴らしい事に気付いていない。
ただただ、離れるのが寂しいという思い出泣いていた。

そこから月日が流れ、2年目社員となった私。

そこから半年後、大きな支店の先輩社員の退職をきっかけに
私は転勤することになった。
と同時に、急に後輩もできた。

誰かに何かを教えるのはとても難しくて
まだまだ自分の事にも精一杯の日々で試行錯誤する日々だった。

ー中略ー

そして業務にも慣れた3年目社員を迎えた頃
後輩の人数も増え、
ようやく心に余裕を持って教育ができるようになった。

私はこの頃、新人研修を任されたと同時に
初心を思い返そうと、新卒当時を振り返る事が多かった

そして気付く…
どうしてが理解できているから、リカバリーが早い
なぜやるべきなのかをわかっているから、先回りができる
現場の設備や環境、状況イメージができているから、具体的に伝えられる

仕事をする中で
当たり前に「調べる」「なぜ」「どうして」を日々繰り返していた
プライベートでも、何気なく物件や場所、物を見るようにしていた自分がいた

私は和田さんと過ごした日々で
繰り返される毎日の習慣や意識が仕事術になっていた。

和田さんの意図はここにあった。

誰かに教える為には、自分の理解度が物を言う
●なんで、なんでと深掘りする事で理解が深まる、分析できる
●どうして、どうしてと思うことで理解度が深まる
●実際に見ることで、イメージができる

理解が深まると、お困りごとの解決策の数も増える
営業さんや各部署の方々の言葉の理解スピードも早まり
業務も連携もスムーズに行える

仕事をする上で必要な根本があの日々にはあった。

結果として私は
業務連携を効率良く行える仕組みを1人の営業さんと構築。
最初は支店内だけの取り組みだったが、
役員会で提案し、会社全体として利用するまでのモノにした。
この会社では、
その仕組がブラッシュアップされながら使用され続けているという

また、勤続中
私のグループには毎年新人が数名配属された。
そして私は毎年みんなに
「なんで?なんで?」と和田さん同様に聞き続けた

なんで?と新人に聞きながら、
自身の振り返り、理解力の確かめ、新しい発見や学びにもなっていた。
聞き続けた事が
日々自分自身の成長にも繋がり、新たな挑戦をする事もできた

私の原点はここにある。


和田さん
心から感謝申し上げます。
和田さんとの日々が、私の仕事術の原点です。

追伸
とある後輩が言ってくれました
「今日の朝礼で、仕事の仕方について発表したんです♪
私は先輩に「なんでなんでマンになりなさい」と教わりました
目の前にある事をただこなすだけではなく
理解をして、いつかの仕事にも繋げなさい、という事でした。
なので私は常に「なんでだろう、どうしてだろう」を意識して
仕事をしています!」と。

引き継がれていて嬉しいです♪

これからも、目の前の人の為
会社のために、仕事をし続けます

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