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友だち

台風上陸でじんわりとした夏です。

とくにやる気も起きないので、コンビニでチョコシューとポテチとトッポと、フルーツゼリーを買い込んでアニメでも見ようかと。

そんで、今日はPrime Videoで「聲の形」をレンタルして観ました。

僕は読書量が圧倒的に少ないため、高度な文学とか、そういうのはわかりません。こういう人間臭い映画を好物にしております。

「聲の形」とは、かの京都アニメーション(京アニ)が作成した、有名なアニメ映画です。

小学生の頃。聴覚障碍をきっかけにいじめを受ける硝子と、いじめの主犯者の将也。彼は自分一人が悪者に仕立て上げられ、皆から疎まれるようになりました。
高校生になっても、彼は孤立していました。そんな時、硝子と偶然出会ってしまいました。それをきっかけに、当時の同級生たちと再会することになります。様々な人が傷つきながら成長していく物語です。成長しなさ加減がちょっとイライラしますけど。

まあ、作品自体のことは、映画そのものを観るか、評価サイトでもご覧くだされ。

本作品で僕が一番共感したのは、孤立していく少年、将也でした。
他人事のように思えませんでした。

さてここで、僕の中高時代のことを話そうと思います。


僕は中学の頃、ある日を境に突然変わってしまった。何気ない一言がトリガーだったと思っている。それは誰かと喧嘩したときの一言だった。もう誰だったのかも思い出せないけど。

「お前は勉強ができるけど、それ悪いことだから。」

ああ、そうか、僕は勉強ができることがいけなかったんだ。たぶん、人をバカにして、ハナにつく言動や態度をしてしまったんだと思う。
そうじゃない、勉強じゃない。自分が悪かったんだ。
腑に落ちてしまった。なんだ、悪いのは自分か。
自分に罰が下ればいい。許されるには自責していなければならない。
幼い僕はそう考えるようになった。

他人に思ったことを、言葉にして伝えることが苦手だった。人の顔すらまともに見ることが出来なかった。だって自分が悪かったから。
そんな自分は、人にいったいどんな顔をして見られているのか、どう思われているのか怖くて仕方がなかった。でも、一つだけ分かっていた。

自分は嫌われている。間違いなかった。

何か言葉を発すれば、また悪いことが起きると思っていた。
何か起きると思ったら、とりあえず謝ることにしていた。
何が悪いのかは分からないけど、自分が悪い。
何度も謝っているうちに、相手は呆れて、目の前からいなくなってくれればそれで良い。その場が凌げればいい。
そうすれば、自分は傷つかずにすむのだから。


そして僕は大人になった。
大人になるといろいろなことが見えてきた。
僕を傷つけてくる相手はきっとこう思っていたんだろう。

ただ怯えて謝るだけの弱いやつ。
何を考えているのか分からないやつ。
こいつは弱い。弱いから悪い。
弱いやつは和を乱す。みんなの雰囲気が悪くなる。

だから嫌い。だから傷つけてもいい。

何度も苛立ちをぶつけるけれど、本当は良くないこととわかっている。人を傷つける、そんなことをしていいのか。弱いやつにそんなことをしていいのか。

だって、自分も弱いんだから。

相手から自分の弱さが見えてくる。弱いのは悪いこと。だから、攻撃せずにはいられない。強くなければならない、攻撃することを正当化しなければならない。傷つければ傷つけるほど、だんだんこころが蝕まれ、自分自身が傷ついていく。

でも、やめられない。



あくまでも他人の言うことが客観的でないのはウケるんだけど。
まだまだ未熟者なんだなぁと思います。

傷つきたくない弱者、傷つけずにいられない強者。
どっちも弱くて悲しい、同じ人間なんだなあと思います。

その時は乗り越えられなかったけど、どうすれば良かったのか、自分なりに考えた時期がありました。

そして、自分の中にはごく平凡な答えが浮かびました。
この映画を見ているうちに、やっぱりそうなんだなーって思いました。

結局ね。人の目を見て、気持ちを伝えればよかったんだと思います。
なあんだそれ、小学生でもわかることじゃん。
でもね、それって難しいんですよね。
だってそれって、自分が弱いってことを相手に伝えるんだから。

弱いって言える仲間、素敵じゃないですか。

僕は大人になった今でも、まだまだちっぽけな弱い人間です。
僕の弱さを知ったみなさん、友だちになりましょう。

でもな、おめーだよおめー。
同窓会があったらマウントとって鼻くそぶつけてやるからな。








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