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起きて半畳寝て一畳、天下取っても二合半 質実剛健に茶の湯を

茶道人口の減少傾向から鑑みるに

茶道を求める人が少なくなった理由は一概には申せません。
ただ、ご時世を鑑みるに、
もし茶道を嗜好品としてだけに捉える、また高価なしつらえや関わりのなかでする文化活動とだけみるならば、減少傾向の一途を辿ることは当然の帰結と言えるのではないでしょうか。

コロナ禍から、日本社会はあらゆる面で大きすぎる打撃を受けました。特に個々経済への影響は甚大です。
私は、司法書士の補助者として、これまで多くの債務整理をする方達をみてまいりました。
借入れ、融資を受ける方達はむしろ一定の収入があった方や事業展開をしてきた方達も多くいます。
コロナ禍のもと、ほんの少しボタンの掛け違いから足元が狂い、想像だもしなかった状況へ陥る方が多くいます。

経済的な社会不安が顕著ななか、人は自身の健康や必須科目に直線的に目を向けます。嗜好品や高くつく趣味に金銭を費やす余裕はありません。

では、茶道..茶の湯のはじまりは本当に「嗜好品」や「高尚な趣味」でしたでしょうか?

唐代、陸羽によって記された世界初の茶の文献「茶経」には、
茶は、行い精れ倹の徳ある人物に好まれまた相応しいと記されています。
倹の徳とは、華やかさの対極にあり、侘びに通じる精神、俗世間の欲を離れた心をさします。
かつて、日本から遣唐使として中国へ渡り命懸けの大航海のなか、僧侶等は「茶の種」を持ち帰ります。
何故でしょうか。
正に倹の徳を大切にしたからではないでしょうか。

私は寺に生まれ、二十歳で尼僧となりましたが、茶は修行の妨げになりません。
正に、華やかさとは対極的な、奥深い静かなところにそっと眠るようなほのかな甘く渋い薫りと甘み。
心を掻き立てず、静まるようです。

しかし、修行中の身には茶は貴重高価な代物で、実際は佛さまに献ずるに相応しく思います。

話が長くなり申し訳ありません。

つまり、いま、茶が教えてくれる根本に立ちもどるべきではないでしょうか。

「起きて半畳寝て一畳、天下取っても二合半」
質実剛健に生きたいものです。
その語らい相手が、私にとっての茶の湯「侘び茶」でございます。




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