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互いにケアし合う関係は余裕を生む

最近春休みに入った。
それから下宿とシェアハウスに引きこもっていたが生活リズムが終わっていた。
風呂にも入らず1日一食しか食べていなかった。
フィジカルがまずやばくなって次にメンタルに来た。

それでここ1週間ほどは実家に帰省していた。
別にグータラな生活を送っていたわけではない。
というか色々生活力とかリズムを立て直すために帰っていたんだから堕落した生活を送るわけにはいかない。
生活力を取り戻すために洗濯や料理、皿洗い、買い物などの家事を手伝っていた。
家事は大体母がやり始めるタイミングで僕も手伝う感じでやっていた。
もしくは母が仕事に行っている間元気があれば洗濯など気がついたことをしていた。
食事も家族で食べていたし、食事のタイミングを合わせるために睡眠する時刻も直した。
それで全体的に立て直せた気がする。

来年度は母が下宿と実家を往復して半分二人暮らしの生活を送ることに家族で決めた。
色々普通の大学生らしくないけどしゃーないな。

母からは「あんたはケアされるんじゃなくて私をケアしやなあかんのやで」と言われた。
僕は生活力がないからケアされなければならないのではない。
むしろ他者をケアすることで生活力を向上させなくちゃならない。
母も昔は家事が苦手だったらしい。
しかし、幾つもの病気を持って生まれた虚弱な僕を産んでから何かスイッチが入って家事が出来るようになったらしい。
これから母は仕事も忙しくなるし新しく長距離を往復する生活を送るから疲労は以前よりも増すだろう。
そんな母をケアする意識を持てば僕の生活力、人間力も上がるんじゃないかな。

今の僕はセルフネグレクトなんだろうな、というかずーっとか。
生来の性質として自分のことがどうでもいいタイプだから自分の面倒を見るのを嫌がる。それで元々家事も苦手だ、疲れる。
シェアハウスでは皆で何か家事をやることが少ない。
ルールを守るために自分の皿洗いなどの家事はやるけど、一人だとかなり体力が持っていかれる。
下宿だとルールもないから家事もやらなくて生活が崩壊する。
実家で母の家事を手伝っている時は疲れなかった。
3人分の家事を2人でやる方が、自分1人の家事を自分でやるよりも疲労が少ない。
自分の面倒を自分で見切らなきゃいけないという意識を持たなくていいからだろう。
誰か一緒に自分の生活を維持してくれる存在がいる感覚が持てると本当に楽だ。
母も僕が実家にいて少し助かったと言っていた。
これから新しい生活が始まってもお互いが楽できる関係を作っていきたい。

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