見出し画像

他者への傾聴力、自己への禅

就寝26:00
起床07:45


こんばんはー!
本当は朝とか昼のうちに書いちゃいたいのにねー。
こんな23:25みたいなアホな時間に書いてしまってるー🥺
まぁとりあえず書いていきますか!

今日の夜は母とオンライン読書会をしていました。
クリスティン・ネフさんという方が書かれた「自分を解き放つセルフ・コンパッション」という本についてです(Amazonのリンクを貼っておきました。)
この本は母がおすすめしてくれたんですが、2500円くらいと結構値が張ります。
なんか高いから買うの嫌やなーと思って、母に僕が買って読むかわりに読書会をしないかと提案しました。
LINEに母がその日読むページの画像を送ってくれて、通話をして僕が読んでいくというやり方です。
僕は人の話を聞けないので全部僕が音読をしています。
音読をしてところどころで止まってお互いに感想や意見を言い合ってます。
この本は実践的な本でところどころにワークがあります。
そのワークもお互いにやってみて、やった内容を交換したりもしてます。

1日5ページ程度と進みはかなり遅いですが楽しいです。
こういうスローな読書って初めてやけどなんか良いなぁと思います。
中高一貫校の進学校、灘中学校では橋本武という先生が3年間をかけて中勘助の「銀の匙」を読み込むという授業をやっていたらしいですね。
文章を1つ1つ大切に読み込む、そして自分なりに吸収して人に話してアウトプットする。
そういう読書もありなんかもなぁと思ってます。

この本では「セルフ・コンパッション」というものの重要性が強く説かれています。
セルフ・コンパッションは自分の欠点や失敗に気付いた時やしんどい時に自分自身に思いやりを持ってあげることだと言われています。
僕は今このセルフ・コンパッションを持つためにこの本をじっくりと読み進めています。

今日読書会でやったワークは、
「他者が苦しんでいるとき僕はどのように接するか」
「自分が苦しんでいるときならどうか」
「他者への場合と自分への場合と比較してどうか」
「他者に接するように自分にも接したらどうなるか」
を考えるというものでした。

まず他者に対してですが、僕は傾聴するのが何より大事だと思ってなるだけ意識して実践しようとしています。
相手の話をただ聞くことに集中する、そして勝手な解釈をしないということをできるだけしています。
僕が人の話を聞いていてよく使う言葉は「そうなんや。」と「〇〇は~って思ってるんや。」です。
オウム返しにならない程度に相手の言っていることを要約して返しています。
アドバイスとかは求められない限りはしないようにしています。
勝手にその人がその人なりに解決するだろうと僕は普段から思っています。

なんか傾聴のことを考えると僕のシェアハウスの元同居人を思い出しますね。
元同居人が彼自身のコンプレックスについて色々悩んでいて、そのことを僕に打ち明けてきたときも僕は傾聴していました。(もしくはしているつもりでした。)
それが彼にも良かったんじゃないかな。
他の同居人には話していなかったことも彼は話してくれました。
色々お互いの悩みを共有して僕らは深く心で繋がれたような気がします。
少しズレますが、互いの傷を見せ合えると信頼関係や安心感が一気に構築されていく気がします。
適切に傾聴ができると自分の話も聞いてくれる、うまく喋れる、そして互いの成長や自信の獲得につながるのでやはり傾聴は大事だと思います。

逆に自分に対してはどうかというと離婚しそうな理系人間みたいな接し方ばっかりしてましたねー。
問題解決のことばっか考えてたりとか自責思考がひどかったりとか、定期的にお前駄目だよ、死んだほうがいいかもって言ってしまってる時があったり。
でも全然行動できなくて更に自分を責めてってなっていってましたね。
なんかあれやりたいこれやりたいばっか考えて今自分がどういう状態が眼を向けれてない時も多かったです。(というか今もそうかな?)
普段他者には絶対言わない言葉や出さない態度で自分に接してしまう時が多かった気がします。(そうじゃない時もあったけど)

それで他者に接するように自分に接するってどういうことなんかなって考えました。
ふと浮かんできたのはそれって禅とか瞑想かもしれないなって。
今自分がどういう状態か心身で何を感じているかを解釈を挟まずに見つめつづける禅はある意味自己への傾聴だと思いました。
他者への傾聴をちゃんとしないと相手は心を閉ざします、本音では話してくれなくなります。
自分ももしかしたらそうだったのかも。
僕が現実逃避してしまう、現実逃避をどんどん悪化させてしまう癖があったのは自分への傾聴ができてなかったせいかもしれません。
自責や催促の声がうるさくて、自分と会話したくなくなってネットサーフィンとかに逃げていたのかも。
禅をやると生きることや現実への抵抗感が和らぐことが多いのですが、それは自分が自分の話をちゃんと聞いてくれた実感から心を開いてくれるからなのかな。

また、やっぱり反射的に衝動的に自分を汚い言葉で罵るときはあるんですが、それにはnoteを書くのが効くのではないかと思っています。
noteはあくまで人に見せるものです。
どこまで好きなように書こうとしても、無意識に汚い言葉はブレーキが効いて書けなくなります。
それで自分のことを書いても基本は理性的でポジティブな本音になります。
noteを書く習慣をつけると自分に優しく接する時間が増えて自分にひどい言葉を投げつけることも減るのではないでしょうか。
一年近くnoteを書いてきた僕の体感だとそうな気がします。
これからもnoteと禅はやはり続けていきたいです。
うん、寝ましょう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?