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自他の弱さの受容が愛を深める

実家の飼い犬は僕が小3の時に飼い始めた。
かれこれ14年くらいになるのかな。
それで加齢のせいか、おしっこを朝の散歩の時まで我慢できなくなっている。
それでペットシートをおむつ代わりに敷き始めた。
最近は僕が朝祖父と散歩に行った帰りに変え続けている。
最初は、てゆーか今も抵抗はある。
捨てるときのゴミ箱からするツーンとした臭いは未だ慣れない。
でもやってて良かったなって思ってる。
僕の愛っていうのはホンモノなんかもなってより思えるようになった。

愛がないのなら、あの子からきっちり手を引きな。
手前の下の世話させるぐれえの覚悟がなけりゃね。

松本大洋「ピンポン」より 田村(オババ)のセリフ

今犬のおむつを変えてるのは多分子育てにも活きるんだろうな。
だから僕はもし子どもが生まれてもちゃんと責任を持って愛せる気がする。
同時に今僕は飼い犬を家族として無条件に愛しているからこそ、逆に他者に愛される自信ができた。
病気や老いでボケても体が言う事聞かなくなっても人と関わろうと思える気がする。

今の僕の人との関わり方もある意味近いところがあるのかも。
最初はシェアハウスに誘われたときは僕も向こうも「なんかおもろそうなやつ」だったから関わり始めたはずだ。
でも最近の僕は色々ボロボロだ。いや最近に限んないか。
最初は取り繕ってたけど、ある時からボロが出始めていっぱい迷惑かけたしメンタル的にも発達障害とか鬱とか弱いところを見せ続けてきた。
それでもお互い本音で話したり関わることは止めなかった。
ある意味どちらもが愛や覚悟を持って接し続けて来たんだと思う。

最近も僕はシェアハウス内のディスコードサーパーでネガな本音を言えるチャンネルを作ることを提案した。
僕から見たら周りの同居人はイケイケで意識高い系も多いからこの提案には勇気が要ったけど受け入れてもらえた。
そのチャンネルでは今も割とみんなが発言している。
みんな意外とネガな思いを抱えることってあるんやなって気づけたし、自分の中でもっと本音でシェアハウス内で話す気持ちを持てた。
肉体的にも精神的にも弱いところを見せる、または受け入れる愛や覚悟を持って接せられれば他者との関係は深く強くなる気がする。


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