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創作/4次元

高校の真ん中に、小高い丘のような、広場があった。
昼休みに昼寝している者あり、放課後にだらだらしている者あり。
僕はテスト期間、学校が早く終わった後に、そこでぼんやりと過ごすのが好きだった。クラスでも帰宅部の友達が集まり、テストが終わるとそこでぼんやりするのが恒例行事のようになっていた。

今日も、いつもと同じ、そんな日のはずだった。

僕は横になって青空を眺めながら、今日の数学の問題について考えていた。複素数の問題。伸ばした矢印を回転させると三角錐のような立体になるが、その立体の面積は幾つになるかという問題だった。
「全然わからなかったな…」
そう心の中でつぶやいて、青空に矢印を伸ばしてみた。矢印はどこまで行っても平面で、立体にするイメージを掴むのが難しいんだよな、と改めて考えていた。

「おつかれ」

そう声がして、僕の隣に座った少女がいた。クラスメイトのさくらだった。
彼女も帰宅部で、テスト後にここでよく時間を潰していた。
「テストできた?」
そう声をかけて、僕の隣に座る。
「いや、全く意味わかんなかったな…数学はかなりやばい」
僕はまだ空に矢印を描き続けていた。
「わたしも全然出来なかった、英語はいい出来だったと思うのになー」
彼女も僕の横に寝そべった。

「2次元がさ、3次元にならないんだよ」
空中の矢印を回そうとしながら、僕は言った。
「何、それ?」
「複素数の問題があっただろ、ベクトルの矢印を回して…みたいなやつ。矢印を引くところまでは出来たんだけど、回転させろっていうのがよくわかんないんだよな…紙の上の出来事を、どうやって立体でとらえらればいいんだよ」
数学の才能がないんだろうな、そうつぶやいた。
さくらは横に寝っ転がりながら俺の顔を見ていたが、やおら思ってもいなかったことを言い出した。

「ねえ、2次元を3次元にする方法って知ってる?」
「えっ」
意味がわからず、僕は聞き返した。
「いや、考えたこともない…どうやるんだよ」
「すごく簡単なクイズだよ、赤ちゃんでもできる方法」
急に出された訳のわからないクイズに、先ほどまでの沈んだ気持ちがどこかに消えていくのがわかった。
「なんだよそれ、そんな方法あるならテストの前に教えて欲しかったな」
自分の声が弾んでいるのがわかる。僕は思いもよらない質問に、わくわくしていたのだ。

寝っ転がった姿勢のままでさくらが言った。
「赤ちゃんてさ、生まれてからしばらくは寝っ転がったまんまでしょ」
こんな感じ、と言うと、手を上に伸ばして、赤ちゃんのようにひらひらと振った。
「この赤ちゃんの視点から見える世界が、2次元」
そう言われて僕も空を眺めた。なるほど…確かに。さくらの手の先には、青空の平面が広がっていた。
「それでこうやって…」
そうつぶやくと、彼女はぐるりと寝返りをうった。僕の目線は、自然と彼女を見上げる形となる。
「ある日寝返りを覚えて、うつ伏せになると」
さくらは僕の顔を見て、にこっと笑った。
「そうするとほら、世界に高さが生まれて、3次元になるでしょ」
本当だ、先程まで地面の上に並んでいた彼女の顔が僕の上に見えて、そこには高さという次元がひとつプラスされていた。不思議な納得感がある話だな、と思った。

さくらは僕を見ながら言った。
「じゃあ、どうすれば4次元になるか知ってる?」

4次元といえば、僕の頭の中に浮かぶものは一つだった。
「4次元…ドラえもんのポケットとか…?」
青いまんまる頭のキャラクターが笑っている絵が浮かんだ。単語としては知っているけど、4次元の定義とはと言われると確かによくわかっていないことに気づく。何でも入るポケットの概念とは?何だ?
「3次元に4次元に変える要素は、時間っていう概念なんだって」
僕が考えを巡らせていると、さくらが答えた。なるほど、ポケットの中は時間という概念を超えた存在だから、ドラえもんは未来から道具を取り出すことが出来るということ?
「うーん、わかったようなわからないような…」
僕を舐めないで欲しい。平面の矢印を回転することすら出来なかった男である。次元の話は苦手なのだ。

「でも、明確には定義されていないらしくって、3次元になんでも次元を1つ足せば4次元になるっていう考え方もあるみたい」

そういうと、さくらは立ち上がった。
そのまま、一歩を踏み出す。

「例えば私が踏み出す一歩で、人生の次元を1つ広げられるんじゃないかって考えてみたの」

その言葉を聞いて、僕は身を起こした。さくらが振り返って僕を見る。僕は彼女の言葉の真意がわからなかった。が、不思議とどういう意味、とは聞けずにいた。

「わたし、留学しようかなって思って」

さくらは言った。はじめて聞いた話だった。
「ずっと言えなかったんだけど、もうそろそろ本格的に考えなきゃいけない時期になってきて、後悔するくらいならやってみようかなって」
僕は何も言えなかった。進路のことを考えなければと思いながら、まだ真剣に向き合えないでいたから。

「一歩踏み出すって決めたところから未来が出来て、そこから自分の人生の次元が広がれば、もっと遠いところまで行けそうな気がして」
こんな話恥ずかしいけど、さくらは笑いながらそう言った。その顔がとても眩しく見えて、僕は胸がぐっとなるのを感じた。

この感情はなんだろう。
この感情は、きっと、そう。
憧れと焦りの両方が混じり合って。
彼女が途端に遠くに見えた。
それこそ、遠い次元にいるように。

僕は立ち上がり、彼女の顔を見つめた。
何か言いたいのに、何も言葉が出てこない。一歩踏み出せるさくらと、一歩踏み出せない僕。どんな言葉をかけるのが適切なのか、正直よくわからなかった。でも、本当は自分も。言葉が紡げないままに無言の時間が流れていると、苦笑いしながらさくらが言った。
「ちょっと、恥ずかしい話してるんだから、なんか言いなさいよ」
それを聞いた瞬間、自然と口が開いた。

「僕の人生も…4次元にできるかな」

さくらは少し驚いた顔をしたが、すぐに笑いながら、
「なるよ、矢印もすぐ回せるようになる」
いい笑顔でそう言った。

秋空の下で、僕は足元を見つめ。
その右足を、一歩前に踏み出していた。

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