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政府がgo toで人をあの世に旅行させまくってる件について

新型コロナウイルスが世間において日常的な脅威となって久しい。

世間のマジョリティの声を代弁すると、人々はどうやらコロナ禍という"異常な"状況を乗り越えようと頑張っているのだそうだ。

だが、私は前から申し上げている通り、ソーシャルディスタンスのなかった野蛮な社会、そして経済的な誤謬で自動化が阻害されていた社会が、

奇しくも、新型コロナという比較的良心的な脅威によって、僅かながらに変わろうとしているという認識である。

つまり、コロナ禍という"正常"な状況は今後も続いてほしいし、むしろ加速してほしい。
慣れることなくウイルスの鞭で世間に喝を入れ続けてほしいと思っている。

金輪際beforeコロナの様な異常な社会に戻ることは懲り懲りである。

だから、人々が新型コロナウイルスの脅威にこのまま鈍麻することがあるのならば、残念ながら新型コロナウイルスの死者は増えなくてはならないとも思っている。

だから、状況だけを見れば、明確な政府の失敗によって新型コロナの脅威が脈々と浸透し続けている姿は望ましいのかもしれない。

だが、この状況を招いた政府のある政策には驚きを隠しきれない。


私は、きっと日本政府は責任逃れのたらい回しを続け無策に終始するのだろうと私は思っていた。

だが、その予想は大きく外れる。

悪い方に大きく外れる。

まさかgotoキャンペーンの様な、
直接ウイルスの拡散を促すような、ウイルスの拡散を抑えるのではなく、むしろウイルスでもっと殺す事を目的とした奇策にあえて打って出るとは思わなかった。
私も流石に開いた口が塞がらない。

『コロナは風邪』というキャッチフレーズが一時期流行した。
それが危険であっても風邪である事は事実だし、

どれだけ悪いシナリオでも日本における死者が一千万を超えることはないだろうから、

完全に目を塞いで耳を塞いで安全だと騒ぐのは愚かではあるがわからなくはない。 

現にアメリカやブラジルではその様な思想を持っている人々が多く、その他の国でもその様な原始的な解決法でゴリ押しし、失敗している国はあるにはある。

だが、この日本においては、
『コロナでロシアンルーレットしたら金をやる』
というもっと悪趣味な遊戯が、国会の発案というだけで一部とは言えない多くの層にサイレントに容認されている。 

諦めろというならまだしも、無策であるならまだしも。

もっと新型コロナウイルスに感染するために飯を食いに、そして旅に出ろと金をチラつかせるのだ。

gone toトラブル……いやgo toトラベルは

狂気的な匂いを感じさせずに、淡々と諦観近い静かな支持を受けていた。

ただ、ひたすらロックダウンをし、お金を刷って配り続けるだけでそれよりは好転すると知っているのにだ。

コロナは風邪だと宗教的な救いに縋って逃げたのではなく、政府はコロナの危険性を理解した上で明確な意志をもって殺しにかかっている。

私の様に旧態依然とした社会への強い憎しみもなしに、淡々とコロナでもっと人を殺すためだけの政策を、
利権を築くチャンスとして、罪悪感の欠片もなく、

天安門事件の様な強いメッセージ性もなしに遂行させてしまえている。

政府の巧みな権謀術数により騙されてるのでもない。ただの雑な算段と不感症による雑な寸劇だ。

この日本という国の政府とその棄民の鈍感さには驚きを禁じえない。
そして、悲しい事に私は敏感なだけで一棄民である事には変わりないのだ。

Gotoトラベルで温泉を楽しむが如く、
日本という鍋で汗を流す、まだ温泉気分のゆでガエル達に愛想笑いを浮かべつつ逃げる算段をするか、

それとも、いつか茹で上がるカエル達と共に、鍋の中から知った上で狂気の笑顔を浮かべ続けるのか。

今回の新型コロナの本格的な流行を
石焼き鍋の最後の試金石として考えて、

自らの在り方を考えなければならない時期になるのかもしれない。

幸いな事に、科学技術の発展は目覚ましいので、日本という小さな鍋のことは忘れて、近いうちにまず間違いなく訪れる恵みの雨の事でも考えて雨乞いでもしていようか。

日本という小さな鍋が茹で上がるのが先か、世界的な科学水準の上昇という恵みの雨が先か、

カエル肉も鶏肉もどうせ似たような味なのだから、私も怯えながら一人でチキンレースでもしていよう。

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