男の子だってビデを使いたい。
小さい頃、私の家にウォシュレットはなかった。
私が最初にあのピンク色のビデのボタンと出会ったのは、親戚の家のトイレに入ったときである。
おそらく未就学児であり、まだまだ幼い年頃。
私の母は当時から、いつも少しどこかおかしいところがあり、
よく外で真剣にUFOが見えたなどと言っては子供達を困らせていた。
ただ父の方も海外に仕事に出かけると、
女性と浮気をして帰ってきて、家にいれば大抵暴れるという、
子供の自分達からすると、危険で近寄り難い存在であり、
まともな大人とはお世辞にも言えなかった。
対して母は、真偽の定かではない妄想を頻繁に語るだけであり、
偏った空想も、子供目線では綺麗な心を忘れていない大人に見えないこともない。
相対的に子どもたちからの当時の評価は高く、総じて良き母という認識だったと思う。
必然的に母の無理のある思想を右へ倣えで信仰する事になる。
その頃母は、
まるで朝日新聞のコラム(実際に読んだことはない)に登場するかのような、強烈な思想を気に入り、
『男女のできることに違いなどない』
そう言って憚らなかった。
母は父に屈服し、望まず専業主婦をしていると語っていたため、
コンプレックスを拗らせていたのかもしれないし、
はたまた全く関係ない理由かもしれない。
兎にも角にも、ちょっとした恨みや出来事、その時々の思いつきでハマった病的な空想を、
あたかも真実であるかのように子供に語るところがあり、
子供が信じれば当然問題が起こるのは容易に想像できる。
さて、長い前置きをしたが本題に移ろう。
このような背景があり、また更に不幸なことに、
下ネタを不自然なまでに忌避する、
親戚家にウォシュレットがあったこともあり、
歪な化学反応を起こし、文字通り問題が噴出し、ある悲劇が起こってしまったのだ。
冒頭にあるように、私はビデのボタンを見つけてしまった。
私は、親戚の叔母に「これはなんのボタンなの?」と尋ねたのだと思う。
ここらへんは、記憶が全く定かではないので、かなり想像で補完することになるが、
おそらく、叔母は誤魔化すように
「女の人があれにあれするのよ!そんなこと大人になってから気にしなさい!」と下ネタだと思って、指示語をふんだんに使って誤魔化し、
私はそれを聞いて「男の子は使っちゃいけないのか?」と尋ね、
それに対して叔母は、
「使っちゃいけないことはないでしょう」と投げやりに言ってしまったのだと思う。
このような会話がなされるであろうことは、
当時の私と叔母を考えると容易に想像がつく。
兎にも角にも、幼き日の私は大志を抱いてしまったのだ。
『絶・対・に!ビデを使ってやる!』と。
この性器に水圧を加える奇怪なボタンの摩訶不思議を、必ずや体験して見せる。
じっちゃんの名にかけて。
いや、男と女のできることに差など全くないと言い張る、
ちょっとおかしな母ちゃんの名にかけて。
このビデの真髄を世の不要な性差別に屈することなく、堂々と股間で受け止めて見せるのだと。
さて、そんな大言壮語はどうでもいいので、
この結末がどうなったのか最後に淡々と語って終わりたい。
幼き日の私は、知の限りを尽くしある結論に至った。
女は座っておしっこをする。男は立っておしっこをする。
なら、立ったままビデを使えば男の子にだってビデを使えるはずだ。
まるで謎は解けたのだと言わんばかりに、
私はモーター音を伴って珍アナゴの様に出てくる、ウォシュレットの排出口を睨みつけ裸で仁王立ちしたのだ。
だが、当然水圧を受け止めることなどできるはずもなく、私は悲鳴をあげて逃げ出した。
その日、親戚家のトイレに小さな噴水ができあがったのだった。
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