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WOMAN Life Style & Career Interview|産後ブルーで毎日泣いていた妻に寄り添った夫との奮闘記<前編>

女性の自分らしい生き方を応援するための、ライフスタイルとキャリアをテーマにしたインタビューブログを運営する池上です。
今回はちょっと番外編で、産後ブルーで毎日泣いていた私自身のことを書いてみたいと思います。妊娠中から切迫流産で絶対安静になったりと、私に寄り添う夫も本当に大変な時期だったと思います。

今、息子も順調に成長しているので、慌ただしくも子育てを楽みながら日々過ごす事が出来ています。妊娠から出産、初めての育児に奮闘した私たち夫婦の話を紹介したいと思います。私が経験したことに加えて、その時夫はどんな風に思っていたのかをインタビューしています。

妊娠から出産までの奮闘を<前編>で、産後から両立開始の奮闘を<後編>で紹介します。

池上夫婦の紹介

Q出会いエピソード
夫にとっては地元の幼なじみ、妻にとっては大学時代の友人であった共通の友人の紹介で出会いました。
◆夫に質問◆
Q妻を一言で言うと?
雑!出しっぱなしが多い。ちゃんと片付けてほしい。
Q妻はどんな母親?
息子のことを「かわいい」と言いすぎ。5秒に1回くらい言ってる。そろそろ落ち着いてほしい。
Q妻とどんなパートナーシップを組んでいきたいですか?
お互いに望む人生を送れるように、応援し合っていきたいです。

つわりとマタニティブルーで毎日泣いた日々

私は妊娠発覚後、すぐにつわりが始まりました。とにかく気持ち悪いし、眠い。いつまでこの体調の悪さが続くんだろうという不安と、妊娠によるホルモンバランスの変化でマタニティブルー状態になり、仕事を終え、帰宅すると毎日泣いてしまう日々でした。結局、つわりは安定期の2ヶ月間以外はずっと続きました。

つわりはレモンや梅干しなど酸っぱい物を食べるときだけ和らぎました。夫に「レモン味の何かを買ってきてほしい」と伝え、夫が「夕飯後(1~2時間後)でもいい?」と聞いた時、「何言ってんだ、今すぐ!」とキレるくらい気持ちに余裕がありませんでした。

ーーその時、夫は
妻は妊娠する前も体調や機嫌が悪いときは、黙り込んで氷のようなオーラを出してくる時があったんです。妊娠中はその頻度が多くなったので、自分で気分をコントロールしてくれないものだろうかと思っていました。
ただ、想像できる範囲でも、妊娠してお腹も重くなるし、体に負荷がかかっていることはわかりました。妻の体を案じていたし、トゲトゲしい態度を取ってしまうのも、そうなるものなのかなと受け止めていました。

切迫流産で緊急入院、そして絶対安静へ

妊娠4ヶ月目のある夜に突然出血し、夜間救急を受診しました。病院に着くまでは何とか冷静になろうと思い、「大丈夫、大丈夫」と自分に言い聞かせていました。けれど、病院に着き、「車イスに乗ってください」と言われた瞬間、「車イスに乗って移動しないといけないほどのことなんだ」と事の重大さを思い知らされ、泣いてしまったのを覚えています。

健診で切迫流産(流産のリスクが通常よりも高い状態)と診断され、そのまま緊急入院となりました。5日間の入院、その後1ヶ月間は自宅で絶対安静の生活を送りました。その期間は祈ることしかできなくて、どれくらい絶対安静が続くのかも分からず不安な日々でした。

仕事も突然出社できなくなり、一緒に働いていたメンバーには迷惑をかけました。幸い、スマホがあれば引継ぎや問合せに対応ができる環境があったので、出社できなくなった経緯や申し送りが必要なことを引き継ぎました。突然のことにも、快く仕事を引き受けてくれたり、事情を受け入れてくれたことに心が軽くなりました。

ーーその時、夫は
とにかく、妻とお腹の中の子の無事を祈ることだけでした。妻にはいつも通り、普段と同じような態度で接していました。幸い、無事に絶対安静も解くことができ、本当に安堵しました。

在宅勤務で体調を気遣いながら過ごした妊娠後期

1ヶ月以上絶対安静の生活を続けいて、体力がなくなっていました。身の回りの掃除や簡単な家事をしてみるも、息が上がってしまうほど。会社に相談をして、出社や顧客への訪問を控えて、在宅勤務でできる仕事をさせてもらうことにしました。

フルリモートワークをするのは初めてでしたが、どこからでもアクセスできる場所に情報が置いてあったり、ビジネスSNSを使ったコミュニケーションする環境や風土があったので、ムリなく仕事を進めることができました。出社ができない状況でも仕事を継続できる環境や、事情を受け入れてもらえる会社の風土、メンバーの理解には本当に感謝に尽きます。

出産までは体調優先で仕事を制限しましたが、産休育休復帰後は休業前よりももっと会社やチームに貢献したいなと思いました。復帰後の働き方や仕事内容についても、会社の代表と1時間以上対話をする機会を設けていただき、より役割を上げながら仕事をしていきたいと伝えました。

ーーその時、夫は
妻の仕事のことは妻に任せています。どんな仕事をするか、どんな働き方をするか、夫婦で話すことはありますが、お互いの希望を尊重するようにしています。妻からの相談にはもちろん乗りますが、答えを出すのは本人だと思っています。ただ、妻は「答えをくれ!」みたいなノリで相談してくることがあるので、その時は「俺も知らん」と返すことにしています。

出産も夫婦で奮闘

順調に出産まで過ごす事ができ、朝からお腹が痛いなぁと思っていた日の夕方に陣痛が始まりました。陣痛が来たら分かるものなんだろうか?っと思っていましたが、分かりませんでした(笑)助産師の友人に「これ陣痛かな?」と聞き、「すぐに病院に行け!」と言われるまで確信が持てなかったです。

夫と病院へ行き、診察後にすぐに分娩台へ。さすがに病院に着くころには我慢ができないほどの痛みになっていたので、自分でももうすぐ出産だと確信できました。いざ、出産となったときは「やっとこの痛みから解放される」という想いでがんばれました。今思い返しても、出産よりも陣痛の方が、私にとっては二度と味わいたくない痛みとして記憶しています。

ーーその時、夫は
自宅で妻がお腹が痛いけど、陣痛か分からないって言っていて「いや、それ陣痛でしょ、たぶん。」って思っていました。やっと病院に行くと言ってくれたときは、ほっとしました。
病院に着いてから出産までの8時間くらい、妻の汗を拭いたり、飲み物を出したり、体を温めたり、とにかくできることはやりました。自分が何かできなかったことで、妻や子どもに重大なことがあってはならないと必死でした。とにかく、負担が少なく、無事に出産できるようにという想いだけです。
しかも、出産のときは自分がイメージしていたような立ち合いではなく、助産師と一緒に妻の脚を支えながら、出産を迎えるというものでした。息子が生まれてくるところも実際に見ていました。妻が酸欠で紫色の顔色になっているのを見たときは、このまま死んでしまうかもしれないという恐怖感がありました。

息子の誕生を家族で感謝

息子が無事に生まれて、元気に泣いてくれて、初めて抱っこしたときは本当に感謝の気持ちでいっぱいでした。立ち会ってくれていた夫やずっと病院で待ってくれていた義理の両親とは、出産直後に息子の誕生を一緒に祝うことができました、私の両親も次の日には会いに来てくれて、みんなで祝うことができました。

初めて息子と二人きりになったときは、かわいくて、ずっと見ていたくて、手を握ったり、ほっぺを触ってみたり、抱っこしてみたり、ぎこちないコミュニケーションになっていたのを覚えています。

ーーその時、夫は
産まれた息子は元気そうで、ほっとしました。とにかく、妻が大丈夫かどうか気になり、確認しました。息子をうれしそうに抱いている妻を見て、ようやく安心できました。そして、とにかく妻に「ありがとう」と感謝を伝えたかったです。その時は感謝の気持ちしかありませんでした。

ーー産後ブルーで毎日泣いた日々の奮闘記は<後編>でお楽しみください。

インタビュアー自己紹介

池上朋子
育休スクラをはじめ女性のキャリアを応援するサービスのマネージャーをしています。2018年に結婚を機に浜松に移住し、NOKIOOに入社しました。2019年4月産休取得、2020年1月半育休半復帰、2020年5月フルタイムで復帰してます。1歳の息子を育てながら、子育てと仕事の両立生活を楽しんでいます。とにかく息子がかわいい。
Twitter|https://twitter.com/tomoko_ikegami

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