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3.11の世間と私の彼我の差/一億総玉砕の日本

本当は、
遅きに失したとしても、
2011年の3.11の時にでも
私の提案をきちんと聞いてくれる人が
過半数でなくても
何割かいれば、
能登の震災の悲劇は
あれほど酷くはならなかっただろう。

なぜ?
科学的に、
それぞれの地域での
災害リスクを考えて
住むところを選ばない?


3.11記念日で、マスコミで
プロパガンダが流れている。

私の聞くのはNHKだが、
全然、具体的でも、科学的でもない。

インタビューは
「故郷に居続けたい」
とか、言う
被災者が出てくる。

それはそうだろうが
それが最優先か?

そして災害被害者を
出さない
あるいは
減らすための
テーマで扱う内容か?


「故郷に居続けたい」
それが最優先事項でテーマや話が始まり、
それが前提になるから、
あり得ない選択肢の中で考えるしかない。

議論にも、
議題提案にもなってない。

命の大事さとか、
子孫の将来とか、
DNAに傷がつくとか

彼ら位の前提は全く関係ない。

3.11福一(福島第一原発)原発事故
つまり福一(福島第一原発)メルトダウンで、
チェルノブイリの例を見れば
東日本は
人が住むべきでないことは明らかなのに、
「故郷に居続けたいあるいは帰りたい」
という
故郷への想い
(と言う
気持ちしては当然だが、
人のやるべきことかどうか
は検証されていない
事)
が何の議論もなしに、
何の科学的根拠もなしに、
世論が形成される。

今流れているNHKのラジオでも
「めげない」とか「折れない」とか言っている。
それは、命とかDNAにリスクがない範囲での話だ。

もちろん個人レベルでは、
命懸けもありだ。

しかし、
「世論が大多数に命がけを求める」
のは
まさに、
太平洋戦争、第二次世界大戦で、
大本営が、
国民に求めたことそのものだ。

それを今
大本営(自公政権)の支配下の
NHKがやっている。

多分、他の放送局も
新聞社も

似たり寄ったりだろう。

大本営発表は
それだけ効果があるのだ。

一億総玉砕は今だに生きている。



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