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ひそひそ昔話-その13 僕たちは簡単には、立派な人間にはなれない-

卒業式後のパーティでは、学生も卒業生も先生たちも一緒くたになって、お酒やオードブル料理をつついていた。僕は節目のパーティというものが割合好きで、年中なにか“節目”を刻んでパーティをしたらどうかと思う方だ。それで発泡酒片手に一つのテーブルからもう一つのテーブルへと渡り歩きながら、親しかったりそうでもなかったりした人と挨拶を交わしていた。どうせほとんどが今後一生会わないような人々だ。
学科長の教授の挨拶が始まると言うんで、僕らはステージに注目することとなった。
額に深い皺を刻んだ教授は、登壇して「あー」とか「えー」とかぼそぼそと呟き、何を話そうかと少し思案した後、こう言った。

この60年近く、立派な人間であろうとしてきました。けれど、果たして、なれているのだろうか。あまり自信がありません。人は簡単には立派な人間にはなれないんだなぁってちょっと情けなくも思います。しかし、だからといって、なれないということに諦めるのではなく、なろうとする試みが大事だと思うのです。

まぁこんなニュアンスだったと記憶している。
立派な人間? ねぇ今、立派な人間って言った? ぬるくなり不味くなった発泡酒の缶をぷらぷらさせながら、僕は眉をひそめ、あごをさすっていた。ふぅむ。その言葉は耳のへりあたりに引っかかっていつまでもゆらゆら揺れていた。ただ、「これは祝言であり呪言だな」と確信めいた予感の風を感じていた。

だから、それから随分と時は経ってしまったのに、未だにその言葉が脳を震わすことがある。
「僕たちは、簡単には立派な人間にはなれない」そう、簡単にはなれない。


「立派な人間、リッパな人間ねぇ」
布団の上でゴロゴロしているとふと視界の端に丸まった靴下が見えた。
「立派な人間、ねぇ」はいはい、わかりましたよ、と立ち上がり、靴下を伸ばし、洗濯機へ放り込む。洗濯機に手をかけてため息をつく。井戸と洗濯機はなんだか似ている。いや、どうだろう?



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