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ほぼ毎日エッセイDay11「写真立てと表面張力」

写真をいつのまにか飾ることをやめてしまった。目の前に立ち塞がる世界や悩みは大抵いつも変わらないというのに、過ぎ去っていく時間の中で見た目も思考も随分と変わってしまった自分が、写真の中に窮屈にとらわれているのを見るのが辛いからだ。それでも、どういうわけか写真立てだけは、テレビの横に置いてある。剝き出しのコルクの背板が、形而上学的な問いを投げかけてきそうだ。

目の前で踏切が降りてきてカンカンカンと音が鳴った。早朝の踏切音は、子気味よく空間を切り裂いて、僕に覚醒の準備段階を届けてくれる。ラジオのジングルのように時間を明朗に区切り、そこでは次のコーナーへ渡る前の当たり障りのないフリートークが始まる。多くの人が踏切の前で、俯いたり、白い息を吐いたり、ぶつくさ文句を呟いていた。


「先輩、また飴噛んでる。相当ストレスでも溜まってるんじゃないですか」
踏切が上がるのを待っている時、僕が思い出したのはなぜだか昼時のサイゼリヤだった。毎度吉野家は流石に飽きたからたまには味変したいと、後輩とやってきたのだった。
「いや、料理もうすぐ来るからさ」と僕は言い訳をした。「それより注ぎすぎだろ」
後輩はなみなみと水の注がれたコップを両手に持って、そろそろとテーブルに置こうとしているところだった。
「昔から得意なんです。こぼさないように注ぐの。表面張力の見極めが大事なんですよ、っと」
なんだそれ。案の定、テーブルにいくらか零れた。こぼさないように注ぐのが得意でも、こぼさないようにテーブルに置くのは不得意らしい。
「あちゃー。ビールなら注ぐのマジ天才なんだけどな。バイト先でもやたら褒められる」、紙ナプキンを2枚も3枚も使ってテーブルを拭きながら彼女は言った。
こぼれないように蓋の役割をするホップに感謝しろよ、と思いながらも僕は黙っていた。少し身を乗り出して、テーブルの真ん中に置かれたコップの、縁から1ミリほど浮いたところの水を吸った。
「なんのかんの言って、優しいですよねー、先輩は。でも溜め込みすぎるし飴も噛む。めっちゃ噛む」、後輩は僕の方を見つめながら自分の方にコップをぐいと引き寄せ、舐めるように水を飲んだ。ほとんど飲んでいないに等しい。テーブルにまた数滴水が零れたが、今度は拭き取ろうとはしなかった。
「変わらんといてくださいね」、後輩は言った。

回想終了とばかりに踏切が上がった。
部屋のテレビ台に置かれた写真立てのことを考えながら渡った。なにかどこかで写真を撮って飾ってみるのもいいのかもしれない。僕が本当は変わっていないというのならば。

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