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ひそひそ昔話 -その7 火のないところに煙が立ったわけだが、最終的にポルノグラフィティで空気を入れ換えてもらった話-

もう時効だと信じるけど、5年前、水曜日、ポテチを無性に食べたくなってその夜。
薄くスライスされたジャガイモが、まな板の上で自分の運命を諦めたように黙っている。僕は、蚊取り線香のようにグルグルと巻かれた電熱コンロの上に、フッ素コーティングの剥がれかけている、大振りのフライパンを乗せた。オリーブオイルを1センチ弱浸し、電熱線に熱を加える。

昔父親がポテチを揚げて作っていたことをふと思い出したがために、自分でもジャガイモを揚げるに至ったわけだ。そしてまた、底の浅いフライパンでも揚げ物を簡単に作れることを、お昼の主婦向けの番組でタレントが力説していたわけで、じゃあポテチでも大丈夫だろうと僕は妙な自信を持つに至った。

オイルがいい塩梅になってきたので、ジャガイモを10枚ほど投入した。
カリカリカリと油の跳ねる気持ちの良い音が響くはずだった。
ん? 何かがおかしい。
フライパンの上には、どうやら不穏な暗雲が立ち込めていた。
そして次の瞬間、その不安は具象化する。

モクモクモクモク…
何かのイリュージョン・ショーのように瞬く間に煙が上がった。やばいやばいと思い、スイッチを消すもそれでも煙が上がる。イモを油の湖から救い出す。萎びている。カリカリのポテトチップスなど甘い幻。
スウェーデンの刑務所のようなワンルームを、行き場を失った煙が満たす。
あかんあかん、まじであかん。
そして、火災報知器が鳴る。

ジリリリリリリリリリリ…
けたたましい音がマンションを揺らす。『火事です、火事です、逃げてください』と抑揚を欠いたアナウンスがスピーカーから流れる。

僕はパニック状態になった。火災報知器止めんと! どうする、どうするアイフル! 109か? 110だっけ? 119だろ! すかぽんたん!

「すみません、料理してたら煙が…!」窓を全開にしながら僕は叫んだ。
「今すぐ向かいます。場所はどこですか?」
「あ、いや、その、僕は、火災報知器を止めてほしいだけで…」
「いえ、ただちに向かいます」
おぉん…やらかしたなコリャ。報知器を止めてもらうならまだ渋谷109の方がよかったか??
火のない所に煙が立っただけなのです…


近づくサイレン。夜道を照らすランプ。
消防車、パトカー、はたらく車が大集合だぜわいわい!
「お前んちヤバいことになってるけど大丈夫か?」友人から電話。
「ぼ、ぼかぁ、だいじょうぶだよ…うん」水曜日、夏の夜の真ん中月の下。どうでしょう?(苦笑)
外に逃げ出す住民。無駄に流れ出す税金。やがてとびら開けて、完全武装した消防隊員。そして、微笑む。
「ねぇ、ちょっとおかしなこと言ってもいい?」
「(こういうの大嫌いだ…」」
「無事でよかった!」
泣いた。

やがて、警察もやってきて、そこから事情聴取がはじまった。中年の男性警官と若い女性警官だった。煙は、幾分薄くなったがそれでも部屋いっぱいに充満していた。

「で、イモを揚げてたら煙が上がったと…」中年の警官が眼鏡の奥から鋭い眼光を光らせる。口元が何かをこらえようとしている。唇を真一文字にぎゅっと結んでいる。
「えぇ、まぁ…」
「出火原因は、…イモと」そう言って彼は聴取用紙の質問項目にイモの2文字を記した。ちょっと字が震えている。イモて…。そんなダイレクトに原因書くんや。でも僕にはそれを指摘する権利はない。
しばしの沈黙。
「…で、キミ、前にも報知器、鳴らしてるね?」警官は堪えきれず口角をあげた。
なぜ、それを…。ゴクリと唾を呑む音がやけに響いた。
僕は観念して、洗いざらい告白した。白旗だ。そうだ、1年前にもトーストを焦がして煙をあげていた。
そうだ、そうだよ、俺がやったんだ…。
しょうもない動機を打ち明け、うなだれるコナンの犯人よろしく、僕はうなだれ絨毯を眺めた。冷えて固まった米粒が2つ、そこにくっついていることに気が付いた。どうしてどうでもいいことばかり目についてしまうのだろう。


そのとき、僕の肩に触れる優しい手の感覚があった。
「あれ、あのDVD。もしかしてポルノ、お好きなんですか?」こんなときに何をそんなカタカナ三文字卑猥な話を…って、え?
婦警さんは、テレビの横に積みあがったポルノグラフィティのライブDVDを指さしながら言った。
「わたしも大好きなんですよ、今度ニトリ文化ホールであるライブ行きます、えへへ」
瞬間、煙が晴れて、視界がクリアになった感じがした。男性警官の方はやれやれとニヤつきながら、聴取用紙が挟まれたボードを手に、皿の上でカリカリに揚がるでもなく、なよなよと萎びたジャガイモのスライスを観察していた。
「一昨年の、ラブ・Eメール・フロムツアー、きたえーるであったやつにも行きましたよ! 昭仁さんも晴一さんもかっこよかったですよね!」
そうして、しばし僕らはポルノグラフィティについてちょっとだけ本気出して語り合った。
そして結びに、婦警さんは言った。「そう落ち込まないでください。なにより無事でよかったじゃないですか? 料理してたら、まぁこういうこともありますよ。元気出してくださいね」 ビジンが意味ありげなビショウ。
晴れやかで、素敵な笑顔だった。

火のない所に煙が立ったわけだが、最終的にポルノグラフィティで空気を入れ換えて貰った話。



P.S. すごく反省してる。とにかく、あの時迷惑をおかけした住民の方々には申し訳もたたない。そして、消防も警察にも感謝です。

あれから一度も揚げ物はしていない。でもま、ちゃんとレシピは見といたほうがいい。あと、フライパンで揚げ物注意した方がいい。ポルノはすばらしい。


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