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ほぼ毎日エッセイDay10「七綻び八重紡ぎ」

人の悪口を言い続けた時期が僕にはあった。悪口や不平不満を唱え続けなければ、自分の輪郭を保てないんじゃないかと半ば本気で思っていた。「なぁ、そう思わないか?」と他人に同意を求め、「そうだな」と同意を得られれば、自分が正当性をもって認められた気がした。わるくない、と。輪郭を縁取る糸が、するりするりほどけて、ほころびが拡がってしまう。そうなる前にせっせと不格好に紡ぎ直す。

悪口は、よくどこか適当な掃きだめのような場所を見つけて書きなぐったものだ。ノートの切れ端、日記帳、誰ものぞかないSNS。日を置いて、ふとした瞬間に書き殴られた文字を見た時、ナイフの先で心臓のあたりを小突かれたような気持ちになった。誰かへ向けた言葉が、過去の自分を通して、今の自分に向かっている。鏡に映った姿を見れば、それが望んでいた姿ではないことがはっきりわかる。随分と傷ついた顔をしていた。輪郭を保てていない。


大きすぎる自己愛というものは、自分を守ろうとする強大なエゴは、他人に自分を重ねすぎた結果、手痛いしっぺ返しを食らうものだ。悪口は他人を認められないが故、吐き出される自己への愛憎だ。良くも悪くも、他人と自分とは決定的に違う存在で、自分の延長線上には他人という存在がいるわけではないということを、心深く、心痛く知る必要が僕にはあった。

実はこの痛みは、悪口とは正反対であろう誰かを必要以上に思いやる瞬間においても、存在する。絆や繋がり、紡ぎとは、自分の枠を、自分の掌を大きく凌駕し、それでいて縛り付けるものとも言える。


結局、自分のことしか考えない人たちというのは、自分の世界があまりに広大なのだろう。自分のことしか考えていないわりに、自分のことを全く認められていないでいることの恐ろしさが、この時代の壁に向かって大きく咆哮する。そうしてまた返ってきたこだまに恐れる。

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