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ほぼ毎日エッセイDay13「人生がミュージカルならば」

まな板の上でトマトを切っている時、自分が鼻唄を奏でていることに気づいた。これ、何のメロディだっけと思う。トマトを、へたを下にして切る。旬の野菜でもないから実が硬い。それでもしっかりと赤いエキスが白いまな板の上に流れた。メロディはまだ流れている。キュウリを薄く切り、レタスをむしり、ベーコンを炒め、チーズを剥がし、それらをまとめてパンに挟んでいる時にもメロディは流れていた。

ふんふっふふふん♪ さらば、あなたわすれさられたサラダの置き土産~♪

思い出せない。仕方ないから「サンドイッチ伯爵の忘れ唄」などとタイトルを付ける。たぶん、これは自作の歌なんだろう。誰かのメロディではない。


人生がミュージカルならば、と僕は時々思う。
いくらか人に感情を伝えやすいのだろうか、なんて思う。

「どんな場合にも、人が自己の感情を完全に表現しようと思つたら、それは容易のわざではない。この場合には言葉は何の役にもたたない。そこには音楽と詩があるばかりである」


と、荻原朔太郎が「月に吠える」でそう見解を述べている。別にこれはミュージカルを論じたものではないにしろ、個人的にはかなり近しい解釈を伴っていると思う。

だから、感情を表現するならミュージカルって最適手段なのでは、なんて思ったりする。
余談だが僕はフラッシュモブなるものがあまりに不自然で奇をてらって、無理な非日常を演出するから好きではない。誰もがサプライズが好きなわけではないんだ。ミュージカルはその逆で、自然で、日常を演出するためのものだから好きだ。

音楽とダンスと詩が溢れていて、それらがいっぱいのプールを、端から端まで大きなモーションで泳いでいく。渡り切った先に誰かがいる。自分自身かもしれない。わからない。わからないけど、人生がミュージカルなら、そういうほとんどあらゆる全ての感情に満ち満ちた感じがいいなと思う。

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