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靴を洗わない

初夏のゲリラ豪雨に濡れた靴が、マンションの乾いた廊下に足跡を残した。天気予報も見ずに外出したものだから、傘を持ち合わせていなかった。折り畳み傘さえ、出かけるときの晴れ模様を眺めた時にソファの上に放り出してしまった。先見性がない。想像力も、スピリチュアルな予感もない。まるで備わっていない。

とにかく、ずぶ濡れで帰ってきたあと、僕はドラム型洗濯機に衣服を投げ入れ、熱いシャワーを浴びた。髪を乾かしているときになってやっと濡れた靴の存在を思い出した。ハンガーに靴紐を括り付け浴室乾燥の風で乾かすことにした。明日、会社に行く時にも履いていくのだから、不快な思いをしながら30分も徒歩通勤するのはごめんだ。

長いこと靴を洗うということをしていないことに気づいたのは、夕食のあと食器を洗っている時のことだ。


いつから靴を洗わなくなったのだろう。かかとをすり減らし、解けた靴紐を何度も踏みつぶし、つま先を鳴らしながら乱暴に扱ってきた。うっかり水溜まりの中に入ってしまったり、泥だらけの道を歩いたりして汚してきた。にもかかわらず、この靴を買ってからというもの一度も洗ったことないことに気づいてしまった。ABCマートの店員が「下手に洗って傷つけるくらいなら、新しい靴を買った方がマシだよ」などと絶好の営業の機会をみすみす逃したトークをしてくれたせいもある。レジ横のクリーナーたちが不憫だった。


いい靴を履くことが、あなたを素敵な未来へ連れていってくれる。

そういう話をどこかで読んだ。
それならば僕の汚れたこの靴は、これまでどこに連れていってくれたのだろう? もし素敵な未来が訪れたなら、この靴のおかげなのだろうか。明日晴れたら、素敵な場所を歩けたら、なにか心にくる出会いがあるとしたら…。
いやいや、そうじゃない。逆だ。明日、僕自身が素敵だと胸を張って言えるようなら、この靴の汚名を返上し、名誉を挽回できるんじゃないだろうか? 

すべからく、汚い靴のために。
悪い靴じゃあないんだ。素敵な未来へ向けて、履きつぶしていく。

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