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学部長の教科書⑧ リーダーシップ編 第3ステップ 学部の教育ビジョンとミッションを再定義するその2

前回の記事の続きです。前回は前任校の事例をもとに、「本当のところ、我々は誰に、何を、いかに提供すべきか」を考えることが学部コンセプトの策定に必要だという内容でした。今回はその続きです。ビジョンやミッションの設定、特にミッションの重要性について説明します。

学部のコンセプト策定は必要か?

北陸大学経済経営学部は、当時は「未来創造学部国際マネジメント学科」という名前でしたが、私の着任前に「未来創造学部」から「名称変更」という手法で改組することが決まっていました。名称変更とは、文科省への届け出の種類の一つで、原則的に変更できるのは学部名だけです。つまりカリキュラムは変更できないことになっています。ただし、学部名を変更しただけでなにか成果が得られるわけではありません。学部のコンセプトを再設計し、ビジョンやミッションについて、届け出とは別に設定しなおすことが不可欠でした。

当時の未来創造学部国際マネジメント学科は、定員100名の学科ながら、経済学、経営学、法律学、会計学、情報学、スポーツといった多分野の教員たちで構成されていました。カリキュラム上はコース制をとっており、学生は3年になる時にどこかのコースに所属する仕組みになっていました(スポーツの学生は1年のときから分かれていました)。小規模の学科がさらに細分化されており、学科全体のアイデンティティが弱いように思われました。

前任校では「法学部」のイメージが強く、教員たちの意識が法学教育という考え方からなかなか広がらない点に苦戦しました。今回はその反対で、教員たちが自分の専門性に立脚するがゆえに、学部としてのアイデンティティが生まれにくい状況だなと感じました。

募集の観点から言っても、どこに学部としてのニーズがあり、どのようにアピールすればよいのか、はっきりしませんでした。学部を立て直すためには、やはり学部レベルでのビジョンやミッションの策定が不可欠だと感じました。

学部ビジョンとは

ビジョンとは「意志ある将来の見通し」などと説明されます。つまり、学部ビジョンとは「この学部はどの方向に向かおうとしているのか」を説明する言葉です。

もちろん、一学部が勝手に自分の進む方向性を決めることはできません。学部ビジョンというのは、必ず全学ビジョンと関連付けられる必要があります。その意味では、学部ビジョンの独自性はさほど重要ではないとも言えます。

北陸大学では、建学の理念として「自然を愛し、生命を尊び、真理を究める人間の形成」を掲げています。これを私は、「知識だけでなく、総合的な“人間力”を身につける」ことの重要性を示していると解釈しました。また、当時、「新生北陸大学タグライン」として、「21世紀を生き抜くチカラ。」というキャッチフレーズが打ち出されていました。これもまた、私は「自ら未来を切り拓く力」と解釈し、経済経営学部は、「先の見えない時代を生きていく強さ、知識だけではない“総合的な人間力”を養成する」学部になるべきではないかとまとめました。新学部は、学問領域ごとの知識修得だけではなく、もっと広い意味での“生きる力”を身につけられる学部でありたいと考えたからです。

また、当時、私が作成した資料を読み返すと、「教育改善のポイント」の中に次のような一文がありました。

「入学してきた学生全員を大切に育てることを通じて、地域の評判を徐々に上げる。入学時の成績中位〜下位の学生(特にスポーツ推薦で入学してきた学生)を伸ばすことがポイントとなる。正課授業を通じた教育、教職員の組織的な対応力によって、「できない学生」を「できる学生」に変える。」

「北陸大学経済経営学部コンセプト」2015年11月1日筆者作成

これは、前任校の経験で形成された私自身の教育ビジョンにほかありません。私自身は、これこそが新学部をスタートする上で最重要なビジョンだったと考えています。当時の教員たちにはこの言葉を何度も伝えていました。学部教育を個々の教員にまかせてしまうと、「できる学生」だけを扱うようになりがちです。それは大学教育の十分条件かもしれませんが、必要条件を欠いていると私は考えます。「教育の質保証」とは、「入学時の成績中位〜下位の学生」を伸ばすことが絶対に求められると私は考えています。「できない学生を伸ばしてこそ」というのは、当時私が繰り返して述べていた言葉です。教育ビジョンとは他者を鼓舞するだけでなく、学部長自身を鼓舞する内容であることも必要なのかもしれません。

学部のミッションとは

ミッションとは「組織が果たすべき使命」と言い換えられます。ピーター・ドラッカーという稀代の経営学者は名著『非営利組織の経営』の中で次のように語っています(ピーター・ドラッカー『非営利組織の経営』ダイヤモンド社,2007年)

リーダーがはじめに行うべきは、自らの組織のミッションを考え抜き、定義することである

ピーター・ドラッカー『非営利組織の経営』2-3頁

これはミドルリーダーである学部長にも当てはまる言葉だと私は考えます。学部長がはじめに行うべきは、学部のミッションを考え抜き、定義することです。ちなみに、元札幌新陽高校校長時代に見事に学校を立て直された荒井優さん(今は衆議院議員です)とお会いした時にもやはり、「校長になったときはドラッカーの『非営利組織の経営』をじっくり読んだ」とおっしゃっていました。

ミッションとはシンプルで明快なもの、そして「一言で言えるもの」でなければなりません。ドラッカーの本では非営利組織の例として大学も登場しますが、このように言われています。

最も犯しやすい過ちが、ミッションによき意図を詰めこみすぎることである。ミッションはシンプルかつ明確にしなければならない。仕事は、一つ追加したならば一つ削除しなければならない。それほど多くのことができるはずはない。
 大学がよい例である。大学のミッションは混乱したままである。五〇もの違うことをしようとしている。うまくいくはずがない。これが、今日シンプルな単科大学に人気の集まる理由である。それらの大学のミッションは限定的である。限定しすぎているかもしれない。だが明快である。学生にもわかる。教員にもわかる。大学としても、ここでは会計学を教えるつもりはないと堂々といえる。何かを加えたら何かを廃棄しなければならない。常に、最も役に立つものは何か、あまり役に立たなくなったものは何か、意義を失ったものは何かを検討していかなければならない。

前掲5頁、太字は筆者

「学部のミッション」=「人材養成の目的」か?

学部の教育ミッションとは、「この学部はどんな学生を育てようとしているのか」ということです。それは「人材養成の目的」のことではないかと、大学関係者ならば気づくことでしょう。

「人材養成の目的」とは大学設置基準という法律上、学位プログラムごとに定めることが義務付けられています。大学設置基準には次のように定められています。

第二条 大学は、学部、学科又は課程ごとに、人材の養成に関する目的その他の教育研究上の目的を学則等に定めるものとする。

大学設置基準

確かに、「人材養成の目的」は、ミッションの要素が含まれています。ただし、「人材養成の目的」がそのまま「ミッション」として通用するかというと少し難しい問題があります。一般的に、正式な「人材養成の目的」は、長く難解なものになってしまいがちだからです。また、一度決めると、そう簡単に変更できるものでもありません。

そこで、私は「非公式なミッション」があるとよいのではないかと考えます。もちろん、「非公式」といっても公式のミッションとかけ離れたものではありません。公式なミッションの内容にもとづきながらも、「短く誰にでもわかりやすい」言葉になっているものを言います。

人に訴えかけるようなミッションとは、例えば何度も例に出して恐縮ですが、共愛学園前橋国際大学はかつて、「飛び立たないグローバル人材の育成」という言葉で、グローバル感覚を持った地元人材を育てるんだという決意を見事に表明していました。今は「地域の未来は私がつくる」という言葉をよく使っているようです。大分の日本文理大学は「人間力の育成」というミッションを掲げ続け、地域に大きなプレゼンスを発揮するようになりました。

最近では、東京の共立女子大学が「Major in Anything, Minor in Leadership.(主専攻は様々な専門分野、副専攻はリーダーシップ)」と、簡潔かつ明快に大学全体の教育方針を位置づけているのが印象的でした。また、京都文教大学も「ともいき(共生)人材の育成」という一言で、「自己と他者とがともに幸せを感じられる状態」である「社会的価値創造力」を育成することを掲げています。このように枚挙にいとまがないですが、このような短い「ミッション」を掲げている大学は以前と比べて確実に増えていると感じます。

学部単位でも一言で言えるミッションを作ってみましょう。ある私の友人は、それを「学位プログラムに補助線を引く」という言葉で表現しました。学位プログラムが育成しようとする人材のコンセプトがくっきりと浮かび上がるような「補助線」を見つけられるよう、改革チームでいろいろ議論をしていきましょう。こういった議論こそ、自由な雰囲気のオフキャンパス合宿などでやればよいと思います。

北陸大学経済経営学部のミッションをいかに設定したか

自大学の話に戻ります。私にとって、北陸大学経済経営学部の多様性は新鮮でした。それまで法学部にいたので、ディシプリン(専門分野)ごとに考え方が違う先生方が一緒に学部教育を考えていくというのは、それ自体が魅力的に見えたのです。

ただし、学際的な学部にしばしば見られる問題点とは、「学生には学際的な学びを求めながらも、先生たち自身は必ずしも学際的ではない」ことです。それは私が所属する予定の学部でも同様でした。「経済学では〜」とか「法律学では〜」といった議論は飛び交いますが、では新しい学部では、その学際性を生かしてどんな「シンプルかつ明確」な教育目標を設定するのかという話にはなかなか及びませんでした。

ところで、当時、冨山和彦という方が文部科学省の審議会で「G型大学とL型大学」という提言を行ったことを読者の方は覚えていらっしゃるでしょうか? 日本の大学をG型(グローバル型)とL型(ローカル型)に分け、国際競争力のある大学以外は地域特化型の職業訓練校にすべきだという意見は、その言葉遣いや取り上げた例のせいもあって “大炎上”しました(参考:冨山和彦「我が国の産業構造と労働市場のパラダイムシフトから見る 高等教育機関の今後の方向性」)。

しかし、私にとって、このレポートは深く印象に残っていました。地方の大学のニーズは「学問」ではなく、「実学」や「実践力」にあるという指摘はそのとおりだと私も思いましたし、新学部のポイントはそこにあると考えていました(特に冨山氏の著作に目を通せばそう感じます。冨山和彦『なぜローカル経済から日本は甦るのか GとLの経済成長戦略 』PHP新書,2014年)。ただし、冨山氏のように「学問」と「実学」が相反するものだとは、私には思えませんでした。

なお、ミッションを構想する上では、競合校も視野に入れる必要があります。当時、近隣の競合校を見渡してみると、多くは経済学や経営学等の学問体系を学ぶためのコンセプトやカリキュラムを打ち出しているように見え、それほど新規性を感じませんでした。2000年代に急成長して話題になった大学は、正課カリキュラムよりも正課外のキャリア教育で名を馳せていました。そうした競合校との差別化も意識する必要がありました。

こうしたことから、新学部で、学際的な学びを打ち出すメリットは大きいと感じました。つまり、経済学・経営学・法律学という学問分野については基礎知識や知的なフレームワークとして学び、会計学と情報学によって実用的なスキルを身につけ、さらには課題発見力やコミュニケーション能力も身につけられたら、地方においてはかなり優秀な人材として評価されるのではないか、そんな風に考えました。つまり、学部の様々な分野を縦割りではなく横串的に学ぶ仕組みに変えるだけで、かなりアピールポイントになるのではないかと考えたのです。

それをうまく説明しようとして、ある時他の教員に「高校までは英数国理社の5教科、うちの学部に入ったら経済・経営・法律・会計・IT、この5分野を学ぶと言えばどうか。これを“社会人になるための5教科”と呼んだらどうか」と提案したのです。これが経済経営学部の改革のすべてのスタート地点になりました。

また、経済経営学部の学士号名称は「マネジメント学」でした。これも学部改革のもう一つのポイントでした。複数の学問分野を束ねる一つのキーワードが「マネジメント学」だと気付いたのです。

詳細は省きますが、ここから、「社会人になるための5教科」を学んで「マネジメント学」を修め、ジェネリックスキル(汎用的技能)を身につけて「組織と社会と自己のマネジメント力」を修得する学部だというストーリーが誕生したのです。(参考:拙著「学部マネジメントと学部長の役割」『大学マネジメント』2018年6月号

これが、私が着任する半年ほど前のことです。改革チーム以外の教員からも、「あの“大人の5教科”の話はいいですね」と言ってくれました。言葉遣いは多少違いますが、このコンセプトでいけると感じた瞬間です。

なぜこの学部が存在し得るのかを深く考える

以上、見てきたように、学部のビジョン・ミッション策定というのは、書類上の言葉遊びのレベルに留まるものではありません。学位プログラムが育成しようとする人材のコンセプトがくっきりと浮かび上がるような「補助線」を引くこそが、学部を変革する上で、スタート地点となる重要なプロセスなのです。

ミッションを明確にできないということは、厳しく言えば、「その学部が存在する社会的価値を説明できない」ということと同義だと私は考えます。すでに大学は790校存在し、学部数は、国公立・私立あわせて2600以上あります(学校基本調査)。存在価値を自ら説明できない学部があっさり淘汰されてもしかたがない状況なのです。

私は学部改革に取り組んでいる時には常に、「この学部がどうなれば、どういう人材を育成できるようになれば、社会から『存在していいよ』と認めてもらえるか」ということを考えていました。その疑問に正当性を与えてくれる言葉を見つけることは、学部教員の意識の方向性を合わせていくという以前に、何よりも学部長自身が確信を持って改革に取り組める原動力となるはずなのです。


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