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学部長の教科書⑮ リーダーシップ編 第8ステップ 新しいアプローチ・文化を根づかせる

学部長の教科書の「リーダーシップ編」、いよいよ最後のステップです。最後のステップは、「新しいアプローチ・文化を根づかせる」、です。これは、「教育改革の成果を学部内で共有するとともに、改善のサイクルを制度化し、組織文化として定着させる」と言い換えることもできるでしょう。
改革アプローチを組織文化として根付かせないと、打ち上げ花火に終わってしまうおそれがあります。コッター教授も次のように警告しています。

新しい行動様式が社内の規範や価値観として根を下ろさない限り、変革の圧力が弱まるや否や、廃れてしまう。

前掲コッター、100頁

確かにそのとおりです。これまでのステップを通して取り組んできた学部変革がどんなによい取組であっても、その取組みが組織文化として定着しないと、改革を否定する見方がすぐに復活します。例えば、「あの学部長は思いつきを次々とやるだけだ」といった声です。こうした声が大きくなっていけば、学部長は次の改革の手を打つことが難しくなっていきます。あるいは次の学部長になったあと、取組みが葬り去られてしまうこともあるでしょう。

そうした事態を避けるためには、①新しいアプローチや考え方を強くアピールする、②制度化を進める、③規範や文化を広げ、定着させる、といったプロセスを踏んでいきましょう。これらの方法によって改革の成果を学部内できちんと共有し、組織文化の変容につなげていく必要があるのです。

① 新しいアプローチや考え方を強くアピールする

改革が成功した理由をいちいち他の教員にアピールするなんて、そんな恥ずかしいことはとてもできない、と思う学部長も多いかもしれません。あるいは、そんなことをいちいち言わなくても、改革を一緒に担ってきた教職員たちには伝わっているだろうと思うかもしれません。

私自身もそう思っていました。自大学・自学部の教職員が、改革の内容について理解していないはずはないと。しかし、それは大きな誤解のようです。コッター教授は次のように述べています。

変革を企業風土として制度的に根づかせるためには、(中略)新しいアプローチや行動様式、考え方などが業績改善にどれくらい貢献し得たのか、社員に意図的にアピールしていくことである。業績改善との関連性の是非を社員に任せてしまうと、とんでもない勘違いが起こってくることがある。

同上

コッター教授のアドバイスにもとづけば、学部長は、これまでのステップで手掛けた改革が学部内の何を変え、それがどのような成果に結びついたのかについてきちんとアピールすることが大切です。アピールという言葉に抵抗感を感じるならば、「学部教授会や全学の会議体の場で改革の成果をきちんと報告し共有する」といいかえても良いでしょう。

ただし、例えば初年次教育改革と、退学率の低下、学生満足度の上昇、学生の成長といった成果との結びつきは、実は自明ではありません。教育成果には多くの要因(変数)が絡むため、教育改革と成果の「因果関係」を科学的に実証することは大変難しいことです。

もちろん、ここでは学術論文を書こうという話ではありません。したがって、説明すべきことは、第1に学部長が学部改革についてのロジックやストーリーをどのように組み立てたか、第2に、授業の現場で授業の仕組みや方法がどう変化したか、第3に教育成果や教員の認識変化などの成果がいかに生じたかといった、改革導入の意図から成果までの「つながり」です。つまり、学部長の意図や意思決定にもとづいた「教育改革」がどのように「教育成果」に結びついたのかをきちんと説明し、そのロジックやストーリーを組織として共有していくことが大切なのです。

この点をおろそかにしていると、「偶然でしょ」といったような冷笑的な批判が出たときに対抗できません。あるいは「あれは、あの学部長だからできたことだ」といったような、一見学部長を褒めているようで、その改革はその学部長1代限りで終わらせたい、という意図が見え見えの発言がでてきたときに、改革を担ったメンバーたちも反論できません。そうこうしているうちに反対派が力を握っていくのです。

実際のところ、これらの発言はそもそも因果関係を取り違えています。学部として改革が成功したのは、「学部長の改革」のおかげというのはちょっと違います。もちろん、学部長のリーダーシップにより制度や仕組みが変わったことは大きいでしょう。一番重要な点は「学部が」変化したことです。現場の担当教員の認識や実践的行動が変化し、授業という場で学生との関係が変わり、その結果として学生の認識や行動が変化したことで教育成果につながったという点は見過ごせません。学部教員たちの行動や認識の変化こそが、学部改革の成果をもたらした直接的な要因なのです。

①-2教育成果報告書を作成するという方法

最近になって、私は若手教員たちから、「あの時もっといろいろ話してほしかった」と言われることがあります。改革がある程度進んだあとに着任した教員は、学部の教育方針については理解してきたつもりだけれど、なぜそうなったのかとか、その改革の何が重要なポイントだったのかといったことは全然理解していなかったというのです。

私は、「そういうことを教授会で話すと、また教授会が長くなったとか、あの学部長は同じ話を何回も繰り返すと不満を言われると思ったから」と言ったのですが、若手教員たち「もちろん、そういう不満は言うかもしれないけれど笑」と言うではありませんか!

もちろんこの若手教員は冗談で言っているわけですが、確かに学部長が教授会で口頭報告をしてもあまり生産的ではないでしょう。むしろ、改革の成果に関しては、文書として作成し、教授会で定期的に報告する仕組みを導入するのが良いと思います。

北陸大学では、学部長が学期末ごとに「教育報告書」を作成し、理事会メンバーと教学の代表メンバーによって構成される「教学運営協議会」という会議体に提出することになっていました。趣旨としては教育等の状況について自ら点検および評価を行うための「自己点検・評価報告書」とかぶりますが、より即時的かつ実質的な内容を盛り込むことになっていました。

私は、これを「学位プログラム単位の教育成果に関する半年ごとのエビデンス」と捉えました。そこで、報告書の1ページ目に半期ごとの概要を学年別・プログラム別に記述し、2ページ目以降に学部レベルの課題についてデータを用いながら分析し、成果と課題およびをまとめることにしました。また、この文書は学部教授会で報告を行ったうえで承認を取り、法人側に上げるようにしました。

筆者が作成した教育報告書(一部抜粋)

当時作成した報告書には、次のような内容が含まれていました。

「初年度退学率が改善している」(2017年度前期)、「DP到達度の自己評価を試行。初年次の日本語リテラシー育成の成果効果が見られる」(2017年度後期)、「GPA のインフレ傾向が存在することを学部として認識し、成績評価の厳格化に向けて着手」(2018年度)、「外部テストの結果、入学後全学年のコンピテンシーが伸びていることを確認」(2019年度)、「学年別GPAが過去最高となる」(2020年度)

つまり、この報告書は、教育成果をアピールするとともに、学部として課題発見・解決に取組むアクションプランを含んでいます。学部として組織的なPDCAサイクルが回っていることを示すエビデンスとも言えるでしょう。

他方、この報告書では、「なぜこの改革を進めてきたのか」とか「この改革のポイントはどこにあるのか」を説明していません。意図と成果の間の因果関係の説明がとても雑なのです。私がてがけた学部改革の最大の問題点はここにありそうです。たとえば、2017年度前期報告書では、初年度退学率が低下したことについて、「パーソナル支援を減らし、教員協働により授業の質的向上を目指す初年次教育改革の成果が出ていると思われる」と簡単に述べられています。

この1文にはかなりの論理的飛躍があります。「学部長の教科書〜リーダーシップ編」を最初からお読みいただいている方なら、パーソナル支援を減らし、教員協働体制を構築することで、退学率が低下するロジックやストーリーについては理解いただけるでしょう。しかし、事情を知らない人から見たら、パーソナル支援の減少と退学率の低下がどのように結びつくのか、まさに「風が吹いたから」と言われた気分になるかもしれません。

実際、当時「なぜ退学率が下がったのか」とある学内理事から問われました。その時に、「担任制への依存を減らしたからです」と説明したことがあるのですが、この説明ではおそらく伝わらなかったと今では反省しています。「教員に1人で頑張らせる従来の仕組みを変えて、教員協働の仕組みを導入したことにより、担当教員全員で1人の学生を見守ろうという雰囲気が醸成され、教員たちの視野や行動が変化し、その結果教育プログラムに満足する学生が増えたからです」と説明すべきでした。

この「教科書」をお読みの学部長およびミドル教員の皆様は私と同じ轍を踏まず、取り組み内容と成果に関するストーリーやロジックをきちんと説明することを怠らないようにしてください。その際に、例示した教育成果報告書は一つの方法としておすすめします。

② 制度化を進める

改革を打ち上げ花火に終わらせず、学部の制度として定着させるためには、「コンセンサスの明示化・ルール化」や「取組みのルーチン化」が必要です。ルールとは、学部教員の暗黙的なコンセンサスが明示的な文書の形となったもののことです。コンセンサスは移ろいやすいものです。時間が経過して内外の環境が変化すると、コンセンサスは簡単にひっくり返ります。だからこそ、改革を通じて形成された暗黙のコンセンサスは、その時点で明示化していく必要があるのです。

また、これまでのステップで述べたような初年次教育改革は、1年限り、1回限りの改革ではありません。一度導入したあとも、担当教員の一部が毎年入れ替わりながら、翌年も続きます。さらに、授業内容は、毎年少しずつ改善を加えながら進化していくべきものです。前年度踏襲ではなく、前年度よりよい授業になっていかなくてはならないのです。

このような基礎ゼミの改善サイクルを保証するためには、科目運営方針を明示化・文書化しておくとよいでしょう(基礎ゼミ+キャリア科目連続実施のようなカリキュラムの運営方針に関わるものは、カリキュラム・ポリシーに加えられるとベストです)。1年目が終わるときに科目主任と相談しながら科目運営方針の原案を作り、次の年の主任に引き継ぐのです。運営方針には、授業科目の内容だけでなく、クラス編成方法、SAの募集方法や育成方法、担当者のふりかえりや次年度の計画を立てる時期なども含まれます。つまり、運営方針は運営マニュアルといいかえられます。この内容は一部シラバスに埋め込んでもよいかもしれません。

また、この運営方針は科目担当者だけでなく、学部全体にも共有されるべきです。科目レベルの改革内容はえてして担当者間でしか共有されないことが多いようです。しかし、それでは改革マインドが担当者以外に広がっていきません。科目レベルの改革であっても、その内容は、教授会やその他FD研修会等で共有されるべきだと考えます。

以上のような仕掛けを通じて、科目レベルの制度化は進行します。運営方針が明示化・マニュアル化されてしまえば、組織の慣性の法則が働きます。よほどのことがない限り、導入した仕組みはかなり長く維持されるのです。制度化を進めるポイントの1つはマニュアル化といってもよいでしょう。同様に、学部レベルの改革についても、学部としてのルール化を進めていく必要があります。この点については、改めて「マネジメント編」で扱うことにしましょう。

③ 新しい規範や文化を広げ、定着させる

さて、以上のように制度だけ整えても、制度の趣旨や本質が学部メンバーに共有され、「組織文化」として定着しないと、本当の意味で学部改革が定着したとはいえません。

ところで、組織文化とはなんでしょうか? 文化とは、経験的な抽象概念であり、曖昧なものです。学術的な意味で「組織文化」は扱いづらい概念かもしれません。しかし、ここでは、組織文化を構成するものとして、エドガー・シャインが指摘するように、「メンバー間に暗黙に共有された規範(shared norms)」、「明示的に共有された価値観(espoused values)」、「公式の理念やルール」といった要因を指摘しておくにとどめます(エドガー・シャイン(2012)『組織文化とリーダーシップ』)。

私が学生時代に読み漁ったピエール・ブルデューとかアンソニー・ギデンズといった社会学者が提唱した(それ以前にミハイル・バフチンやエウジェニオ・コセリウのような言語学者も同内容のことを語っていましたが)社会構成主義的な観点からみると、組織に存在する規範や価値観は、構成員の行動に影響を与えます。他方で、構成員の実践、相互作用、暗黙知の明示化などによって組織の規範や価値観は変化します。規範や価値観が変われば構成員全体の認識や行動に影響を及ぼします。つまり、組織文化と構成員は相互作用を起こしながら互いに変化していくものなのです。

組織文化は、リーダーや他の実践者たちの行動が変化し、それが広がっていくことで確実に変わります。初年次教育改革の例を持ち出すまでもなく、科目担当者間の変化は確実に起こすことは可能です。そこからいかに学部全体の組織文化の変化につなげていくことが求められるのです。

「学部長の教科書⑬」でも述べたように、科目レベルの改革の成否を大きく左右するのは、科目担当者をとりまとめる「主任」です。改革の方向性に賛同する主任の信念や行動は、他の担当教員やSAの規範や価値観に大きな影響を及ぼします。1年間ともに授業を担当し、毎週のように打ち合わせを行ってきた経験を共有した教員やSAの間には絆も生まれてきます。

続いて、科目レベルで共有された規範や価値観を学部全体に広げていくためには、主任や科目担当者が毎年少しずつ交代していくことが必要です。主任は若い教員に順番に任せるようにしてもよいでしょう。新しく採用した教員は毎年最初の年に基礎ゼミを担当するというルールを作ってもよいでしょう。

また、基礎ゼミ担当教員と他の教員の公式・非公式の交流も重要です。かつては学部単位の「懇親会」がその役割を担っていたかもしれません。しかしアフターコロナの時代には、夜の飲み会に期待することも難しいという現実があります。意図的に教員間の交流を増やす仕組みが作る必要があります。この点は改めて「マネジメント編」で述べていくことにします。

リーダーシップ編のまとめ

さて、ここでいったん、リーダーシップ編は「学部長の教科書〜リーダーシップ編」の8つのステップは完結します。1年目の学部長がとりあえず手掛けられる科目レベルの改革を手掛ける内容でした。まずは学部長のリーダーシップのもとで、1つの科目の改革に集中することで、実は大きな成果が見込まれるということがお分かりいただけいただけたと思います。

少し補足しましょう。この第8ステップは、「学部長の教科書③ 学部長のリーダーシップとマネジメントのフレームワーク」で示した「マネジメント」の領域になっていることに気づかれた方もいらっしゃるかもしれません。そうです。コッター教授が言うリーダーシップの第8ステップは、「目標を達成するための手順を組み立てる」とか「組織を編成し、人員を配置する」といったマネジメントの領域になっているのです。学部長はリーダーシップを発揮して学部の変革をもたらすとともに、新しい改革アプローチを学部として制度化する「マネジメント」の役割も同時に担っていることがわかります。

しかし、「リーダーシップ」が必要な局面と「マネジメント」が必要な局面は、時間的な順序できれいに並んでいるわけではありません。1年目にリーダーシップを発揮し、2年目にマネジメントに移行するということではないのです。確かに、1年目に初年次教育改革を手掛けた場合、2年目はその科目の制度化を進めるマネジメントが求められます。しかし、同時に、カリキュラム改革や入試改革のような次の改革も手掛け始めているはずです。学部長はリーダーシップとマネジメントの両方を使い分けながら改革を進めていく必要があるのです

そんな難しい役割を果たせる学部長は果たして存在するのでしょうか? そんな学部長の責任は、現行の手当や権限と釣り合うといえるでしょうか?

これまでのリーダーシップ編では、学部長個人の役割を少し強調しすぎたかもしれません。能力のある学部長が一人で学部を引っ張っていくというイメージで理解された方もいらっしゃるかもしれません。しかし、実際には学部長とは、私もそうだったように、管理職としての経験が浅く、知識もほとんどないなかで、ルーチン的な会議に出るだけで精一杯です。学部長にスーパーマン的な能力を求めることは間違っています。権限も補佐体制も弱く、授業も持ちながらルーチンの会議に押しつぶされそうな学部長がなんとか余力を見つけてリーダーシップを発揮しているのです。

では、そんなぎりぎりな状況にいる学部長のリーダーシップとはどのように発揮すればよいのでしょうか? 学部長1人でその役目を担えないとしたら、どうすればよいでしょうか? 

そこで、「学部長の教科書〜マネジメント編」に移る前に、次回はリーダーシップ編を補完する意味で、「学部長のリーダーシップについて」と、「学部長のリーダーシップと教職協働」について、少し説明することにします。

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