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科目数の少ないカリキュラムをどう作るか(3)

前回の記事では、「教員数によって適正な科目数が決まる」と述べました。学生数が少なく小規模大学であればあるほど、同じ名前の学部でも、科目数は少なくなっていくはずです。そして、そうなっていかなければ、カリキュラムは回しきれなくなります。

そして、「この原則を、学部教員全員に納得してもらうことが、小規模大学におけるカリキュラム改革をスタートさせる第一歩」だとも述べました。なぜこれが第一歩なのか? それは今でも多くの大学関係者が、「科目数が多いほうがよいカリキュラム」だと思いこんでいることが多いからです。カリキュラム改革は、この思い込みを払拭することから始まります。

「科目数が多いからといってよいカリキュラムとは言えないのです」

同じ学部名で、科目数が違うカリキュラムがあったとしたら、どちらのほうが「良い」カリキュラムだと思いますか? 東京大学法学部は76名の専任教員がいて後期課程の科目数は198科目。それに対して、香川大学法学部だと専任教員は25名で科目数は60科目前後です。どちらの方が立派なカリキュラムなのでしょうか?

法学部関係者だったら、誰もが「科目数が多い法学部のほうが立派にきまっている」と言うでしょう。その理由は、「学生の選択の自由度が高まるからだ」とか、「学生がより多くより深く学べるからだ」と言うはずです。法学部の先生たちの自由履修制度に対する信奉度はかなり強いのです。

ところがこれらの理由は、実際にはあてはまらない場合がほとんどです。「科目数の少ないカリキュラムをどう作るか(1)」で述べたように、どの大学でも学生が卒業までに専門科目(ゼミを除く)として履修するのは、わずか30科目、どんなに多くても40科目を越えないはずだからです。要卒単位はどの大学も決まっています(124〜144単位程度)。学生が4年間に履修する科目は、専門以外にも教養もあれば語学もあります。キャリア科目も義務化されています。したがって、専門科目として100科目を用意したとしても、学生がそのうち履修するのは多くて40科目です。つまり、誰もがカリキュラムの半分以上を履修しないで卒業してしまうのです。

カリキュラムを作る立場からみると、カリキュラムに置いた科目のほとんどを学生が履修するかのような錯覚をおこすことがあります。カリキュラムを作るときには、「最低限この科目は必要だろう」とか「これがあるならあの科目も必要だ」などと考えて科目を置きます。さらに「現代的なトピックに対応して、こういう科目も必要だろう」とも考えます。また、「せめてこれぐらいの科目はないと法学部としてのプライドに関わる」という意見も出てくるでしょう。ときには、「○○先生がいる間はこの科目は置いておかなないと」という大人の事情も入ってくることもあります。

しかし、そうやって体系だった立派なカリキュラムを作ったとしても、その大半を学生は履修しないのです。90科目あったとしたら、全科目を履修するには大学を6年ぐらいに伸ばしても、それでもまだ無理なのです。つまり、科目数が多いカリキュラムをつくっても、ほとんどが「無駄」に終わるのです。

こう言うと、「出口によって履修すべき科目が変わってくるのだ」とか「選択肢が多いほうが学生の主体性を育成できるのだ」という反論がすぐさま返ってきます。科目数が多いほうが、一人ひとりがアラカルトで科目を選べる、というわけです。

確かに、公法を中心に学ぶのと私法を中心に学ぶのとでは、履修すべき科目が変わってくるはずです。そして多くの法学部では、例えば公務員を目指す人は公法を中心に学び、民間企業に就職する人は私法を学ぶというイメージを持っています。そこで、「公法コース」や「私法コース」というように、履修モデルを設定して、学生に履修指導を行っている大学も多いことでしょう。

ですが、ほとんどが民間企業に就職する普通の大学の法学部だと、そんなふうに履修モデルで分ける必要はあるのでしょうか? また、実際には、学生がみんな履修モデル通りに履修するわけではありません。むしろ、自分にとって都合のよい曜日に置かれている科目や、「楽勝」科目に、履修者は集中する傾向にあります。その結果、そこここで「虫食い履修」が起きるのです。

自由履修制度信奉者をどう説得するか

前職で2011年ごろからカリキュラム改革を手掛けようとしていた時の話です。法学部の先生たちに「現在のカリキュラムの何が問題ですか?」と尋ねたところ、3年生以降の配当科目を担当している先生方からは、「自分の科目の前に履修すべき科目を学生が履修していないことだ」という声が上がってきました。例えば、「会社法を履修しているのに、2年生で民法の債権を履修していない学生が少なからずいる。だから仕方なく最初は債権の授業をする。だが、それだと会社法の授業にならない」というわけです(当時、債権各論の合格率は40%を切っていました。その先生だけ合格率が非常に低かったのです)。

当時の法学部のカリキュラムには、専門の教員が17名しかいなかったのに、専門科目が90科目以上ありました。そのうちの4分の1は非常勤に出していました。それでも1割以上の科目は毎年開講することができず、隔年開講(1年おきに開講すること)とかで、なんとかしのいでいました。当然ながら学生の「虫食い履修」は甚だしいものでした。

そんなに必要な科目があるなら、「必修化」してしまえばよいではないか、という声もあるでしょう。しかし、必修化は各方面から反対が出ます。多くの先生は「学生を縛るのは良くない。カリキュラムはできるだけ自由な方がいいんだ」と言います。自由履修制度の信奉者は根強くこう思っているのです。個人的には、「自由」が何よりも大事だという考え方を、政治や社会倫理以外の領域に拡張しすぎているのだと思いますけれども。

他方、教務担当からは、「必修科目を増やすと、留年生が増えるおそれがあります。また、必修科目だと不合格者に対して再履修科目を開講する必要が出てきます。そうなると今まで以上に授業数が増えます」という現実的な意見も出されます。つまり、すでに開講できない科目があるうえで、これ以上必修化を進めると、パンクしてしまいますよ、ということです。

むしろ、科目数を減らして、履修の階梯性(履修の順番)を明確にしていった方が、学生の虫食い履修の確率が減って学力が積み上がっていく可能性が高いのです。科目数が少なくとも、学びの順番を明確にするようなカリキュラムツリーを作って学生の履修のイメージを明確にさせている方が、「よいカリキュラム」だと言うこともできるのです。

このような議論を丁寧にしていくと、「やはり科目数を減らしていくほうがよいのか」というふうにコンセンサスがまとまってきます。こういうコンセンサスができるまで、学部教員みんなが納得するまで議論することが大事です。この段階をすっ飛ばさずに丁寧にやることが、学部の組織化を進めるうえで、非常に重要なプロセスなのです。

教授会でコンセンサスができたら議事録に残しておきましょう。カリキュラム改革は一歩一歩、コンセンサスを積み上げていくことで、大きな成果につなげることができるのです。

とりあえず、地ならしの段階は終わりました。次から具体的な話になります。

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