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【読書感想】どうせ朝に道を聞くことなんてできない

皮膚の調子がよろしくないので大きい病院に行きます、と母に告げたら、「初心者で行くの?」と聞かれた。違うよ初診ね。

到着し受付を済ませて、かれこれ2時間が経とうとしている。すごい。一向に呼ばれない。
受付の方にそろそろと問い合わせてみるも、眉毛を八の字にしながら「(再診の)予約の方が優先で、いつお呼びできるか…」と返されてしまう。なるほど。つられて私の眉毛も同じ角度まで下がってしまった。

そのうちなんだか待合室がガヤガヤしてきた。どうやら予約をした人でも40分以上待っているらしい。「いつ呼ばれますか?」「こんなに待っているんですが…」「どうしてですか?」デカ声とデカため息。口々に問い合わせる人々にだんだんうんざりしてきた受付の方。殺伐とした雰囲気が待合室を包む。
私は昔から、自分が怒られているわけではないが雰囲気が殺伐としている空間にいるとにやけてしまうという最悪の癖があるので、マスク必須の時代になって良かったなぁとしみじみ思う。煽りにしかならない。

時間が有り余っているので、殺気立った雰囲気の中で、最近読んだ新井素子『ひとめあなたに…』について書いていく。

前回も新井素子の話を書いた。最近愛情が再燃しているのである。4月中旬に蔦屋書店で開催されたSFカーニバルで新井素子のトークイベントに参加した結果、改めてメロメロにさせられてしまった。長くなりそうなのでこのイベントについてはまたいつか気が向いたら書きたい。

さて表題作の主人公・圭子はかなり重い女である。自分は一人の人間ではなく半分の影であり、恋人と合わせてはじめて一人の人間になると考えている。え、ツインソウルってこと?やめなその考え…。

そんな圭子が、最愛の恋人・郎から、余命が僅かであるということと、別れて欲しいという話を切り出される。茫然自失としていると、更に「一週間後に隕石が地球に激突し、人類は滅亡する」というニュースまで耳に飛び込んでくる。情報が多い。

世間は文字通り大混乱に陥り、交通機関も全てストップするが、圭子は自宅の練馬から郎の住む鎌倉まで歩き、郎に会いに行くことを決意する。表題作は1981年に書かれているため、現代のようにスマホもない。が、そんな中で50km以上歩くことをあっさりと決意する圭子。Googleマップの位置情報の矢印の方向があやふやになっただけで発狂している私としては考えられない行動である。

鎌倉までの道中は、圭子の一人称視点の物語と、圭子が出会う4人の登場人物の物語が交錯して展開が進む。4人はそれぞれ人生に真剣に向き合っているが、四者四様の歪み方をしている。可哀想だしとてもこわい。圭子も「こいつらやべーよ」と思いながらも、なんだかんだ影響を受けることになる。

まず自分と郎はそれぞれ独立した個の存在であり、それが出会って影響を与え合うからこそ意味があるのだと考えるようになる。
そしてもう1つ。道中で圭子は人生の意味について考え始め、人は死して何も残せないと結論付けるが、最後に鮮やかにその考えを覆す。

と、ここまで書いたところでちょうど医師に呼ばれた。結局2時間半待った。
でかい病院の初診が恐ろしいということがこの記事の中で1番伝えたいことなので、悲しいことにもうあとは蛇足である。

無事に帰宅し、この文章を投稿する前にパラパラと表題作を読み返した時、自分に刺さった表現を2つ思い出したので、引用したい。

喫茶店の、やったら明るいBGMが、耳障りだった。あたしの喉元まで言葉はこみあげ、それは、あと少しで外へ出るって時に、また体の奥へもどっていってしまう。吐けそうで吐けない言葉。
 喉に手をつっこみ、あたしは言葉をひきずりだしたかった。一つ、一言、何か一フレーズでも出てきてくれれば、あとは鎖を引きずるように、言葉の群れが出てくる筈。

『ひとめあなたに…』(創元SF文庫)p19より引用

郎から別れ話を切り出された時の圭子の心情描写。うまい。うますぎる。何か言いたい筈なのに何も言えない状況をこんな風にプロは書くのか。
さりげない表現だけど、こういう巧みな言い回しを見ると何度でもこの辺りを読み返してしまう。

 完全な同化を望むことは愛なのだろうか。思ってしまう。あなたがわたしと同じものになりーそれによってあなたを愛することができる、というのなら、それは極限のナルシシズムではなかろうか。
 けれど。ナルシシズムのどこが悪い、と問われれば、あたしは答えることができないのだ。自己愛は不毛。そういうことは簡単。が、他者に対する愛は、何か実を結ぶのだろうかー結ぶんだろうけどー結ぶと思いたいけれどーけれど断言はできない。

『ひとめあなたに…』(創元SF文庫)p306より引用

これは後半に出てくる圭子の心理描写。かなり私にぶっ刺さった。というのも、私は「似たもの同士」なことを誇示するカップルを若干嫌悪している節がある。自分と似た部分を相手に見つけて嬉しくなり、次第に惹かれる、というのは理解できるし、自分も恋人に対してそんなような感情を抱いているが、自分と相手が似ているというのを口に出して表現するのは、自分がナルシストです!と言っているようなものでは、と思っていた。
思っていたが、「ナルシシズムのどこが悪い」。確かにそうである。えっどこが悪いんだろう。
ちょっと自分の偉そうな考えを改めなければと思った。

上で書いた通り、圭子はこの後人生の意味について再度考え、「他者に対する愛は、何か実を結ぶのだろうか」という問いに対して、自分なりに答えを出す。

表題作は世界が滅亡する物語だが、政府や社会的なものはほぼ登場せず、スポットライトが当たっている場所は圭子周辺だけと非常に狭い。セカイ系の作品の1つである。だが圭子が最後に見つける価値観は、きっと広く読者の心を突き刺すものだと思う。


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