子どもと背伸び
2020-02-15 21:21:24
テーマ:保育・教育
クラスでダンスが盛り上がっている。
なかなか自分の思いが出せなかった女児が、3学期になりようやく
自己発揮できるようになる。
子どもが生き生きと自分らしさを発揮できるようになると、目が輝いていく。
明らかに眼の色が違うのだ。
保育経験を積み重ねていくうちに、「夢中」になり、自分が変化していく瞬間というのは自ずと分かる様になってきた。
組織学習理論では、人が伸びていく、学んでいくことを「発達的チャレンジ」と言っている。中原淳さんは『背伸びの原理』ともう少し平易な言葉を用いて説明している。
背伸びとは、「今の力では難しいが、頑張ったり、他者の力を借りられれば達成できること」としている。
保育にもこの理論は当てはまり、つまり子どもの眼が輝き、大きく変わる瞬間は、「背伸び」をしている時とも言い換えることができる。
ダンスが盛り上がっていると書いたが、そこに至るまでの過程は紆余曲折、山あたり谷ありだった。例えば、Aちゃんという女の子は、このダンスに興味はあるけど
入れない状態がかなり長く続いた。原因は、友だち関係。端的に言えば、断られたらどうしようという不安や心配があり、もう3ヶ月以上、Aちゃんも保育者も悶々とした日々が続いていた。
あるきっかけがあり、ダンスに参加することができたのであるが、「自分」の足で踏み出せたこの行動は、彼女にとってとても大きな一歩だった。つまり、彼女にとっての『背伸び』であった。
保育という営みは、一人一人の「背伸び」を支えること、とも思えるのだ。
この時期、多くの園が「劇」をする。発表会という形で、保護者を招き、舞台の上で行う園も多いだろう。
行事に関しては、山ほど言いたいことはあるが、そのうちの一つで、本当に
「劇」が必要なのだろうか。
どうして、劇=見せる という単純な図式になるのだろうか。
その子にとって、劇というのが「背伸び」を促す機会になるのであれば
同意しなくもない。
年長を長年やっていて思うのは、年少年中と異なり、年長になると自分の好みが
はっきりしてくる。
やりたくない、という子は本当にやりたくないのである。
やっぱり、嫌いなものは嫌いなのである。
今まで私も3学期に劇を散々やってきた。
もちろん、好きで劇に取り組む子もいる。
やってみて楽しくなる子もいる。
一方で、やってみても面白さを感じないし、その時間が苦痛でしかない子もいる。
園の最後の時期の過ごし方として、それでいいのか?
子どもは、大人に忖度する。
付き合ってくれる。
一見すると積極的にやっている様に見えるが、その実は担任に言われたから
やっているというのが実情であることもある。
今年は、今のところであるが、最終的に「劇」はしなかった。
もちろんアクションした時期もあったが、子どもには響かなかった。
だったら、こちら側の計画を変更していく必要があるだろう。
行事というのは、園文化も絡んでくる。
だから、一様に「劇」を悪者にするつもりもないし、「行事」を全て肯定しない
というわけでもない。
全くチャラにして、考えていくのも茨の道(←今、この状態に近いが)
どうやったら、その子にとっての「背伸び」になるのか。
どうやったら、子どもが夢中になっていくのか。
遠回りしながら考えたい、そんな2月の忙殺されそうなこの頃。
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