日本一ながいチョコをうん十年ぶりに食す
なぜ写真を横向きにとらなかったのか。
その日本一の長さとやらが全く伝わらないサムネイル。ちぎれているパッケージ。比較対象としての意味をなさないシャープのリモコン。青いキャップをかぶった肌色の化け物。
パクリと食べると、そのすべてを置き去りにするほどの懐かしさが口の中に広がる。プリントを後ろの席の女子に配るときに震えた手。腕。
授業中、順々に端から当てていき、自分の手前でチャイムが鳴ったときの安堵感と、次の授業のときに覚えていたら自分からスタートするという恐怖感。
なぜ、学校あるあるを考えだしたのだろう。そうだ、それだけこのチョコが長く食べごたえがあるからだ。パフとチョコのハーモニーが永遠に続くように感じる。それはカラオケで歌ったケツメイシのさくらの最後のヒュルリーラに似ている。似ていない。
どっち!?三宅裕司がほくろをかきながら言う。関口宏が白髪をかけ上げながら言う。懐かしい。あのころの夢が詰まっていたテレビ。見たい聴きたい歌いたい。また三宅裕司。土曜の夜に夢があった。
あぁ、ノスタルジックになってしまった。それもこれもこのチョコが長いせいなのか。
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