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非難をしたくなったら、まず自分に刃を向けるという戒め方

人生の中で、「ほんとうのことだなぁ」と思うことは、時間を置いても不思議と忘れないでいる。
それは自分が放った言葉でも、他人からかけられた言葉でも、両方ある。

わりあい短気な気質である。というか、正直に言うとビビりで臆病者なので、非難めいたことを言われると、すぐに吠えたがる。反応する。弱い犬ほど、というやつである。

また、お調子者なので、気をつけないと余計な口を利く。ろくでもない。

そんな手合いなので、社会人3年目くらいに、当時の上司から指摘されたことがあった。

話の流れで、ぼくが(その場にいない)先輩社員の体形を弄るような発言をした。すると、上司から「お前も人のこと言えんのか」と、静かに、少し茶化すトーンで言われた。

たしかに、そのころぼくは人生最大に"育って"いたので、ほんとにどの口が言ったものか、恥じ入るばかりだった。

加えて、何でそこまで芯食らったのか、というと、尊敬する人に「コイツは品性に欠ける」と感じさせたことと、茶化した言い方はせめてもの優しさがあったこと、でもやっぱり嫌悪感が混じっているな、と感じたからである。

上司の戒めの一言の響きは、今もよく覚えている。


といって、すぐに改善できたわけではなくて、何度も痛い目を見た。余計な一言も多かった。ブーメランで返って来ることの多いこと多いこと。

  • 優越感に浸るための非難

  • マウントを取りたいだけの攻撃

  • 誰かに対する揶揄や侮蔑

  • 悪意だけでユーモアの無い陰口

こうした空疎で下品な雄弁に酔うと、あまり意識しないままに敵を作る。社内外の大勢がいる会議で、こっぴどくやり返されたこともある。

そして何より、品性を欠いた非難や攻撃は、それを発した自分自身がよく覚えている。「ああ、俺、他人のこと言えへんやん。舌噛んで死にたい」と。

別に反省している自分ってマジメだわ、と誇りたいのではない。
気にしいなので、そうした記憶が積み重なると頭のリソース(余裕)が減る。自分で荷物を増やしてどうする。

いつの頃からか、誰かを言葉のナイフで向けたくなったら、そのときは、まず自分にそのナイフを向けることにした。

  • どの口がぬかしとんねん

  • お前、人のこと言えた立場か

  • 何様やねん、ホンマに

  • あとで恥ずかしなって舌噛んで死にたい、と思わへん? 大丈夫?(笑)

  • 自分で「イタタタタ」とか後悔するでェ、きっと。

と、想像上で、性悪なジョーカーみたいなのを即興で拵える。ジョーカーはジャックナイフを片手に、これらの言葉を自分に向けてくる。

いちおう、こうした自己検閲を経たうえで、それでも言っておいた方がよかろうという場合に限り、口にするようにしている。言い方には気をつける。

前述の尊敬していた上司も、言葉少ない人だったけれど、自己検閲というか、よく吟味されていた気がする。内省を経た能動的な沈黙は金である、と思う。それが本物の金なのか、他人からはわかりにくいけれど。


結果、会社組織の中では、四方八方から舐められっぱなしだった。

でも善人たちばかりだったので、ほんとうに馬鹿にしたり、マウントを取ってきたりする人が少なかった。稀にいたくらいかなぁ。

そして驚いたことに、自分が受けた手ひどい中傷、心無い言葉の暴力って、あんまり記憶にない、といつの頃からか、気づいた。怒りという感情は持続しない、というのがぼくの実感である。

自己検閲はめんどくさい気もするが、結果として荷物が少なくて済む。
つい余計なことを言いがちな人には、おすすめのテクニックと思う。



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