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command+zで戻れない、アナログが貴重な価値になる。イラストレーションの今後10年


イラストレーター人口が過去最大だというはなし

7〜8年ほど前までデジタル作画といえばPCに加え、板タブ、液タブ、描画ソフトなどが必要で、なかなか初期投資のハードルが高かった。近年、高速インターネットの普及で会社でも自宅でも環境に差が無くなり、スマホやタブレットでイラストレーション業界に参入できるようになった。出先でiPadを使って描く人も多い。作品ファイルを抱えて売り込みに行くスタイルはたぶんもうほとんど行われていない。

自分もずいぶん前からクライアントワークは完全にラフから納品までデジタル完結していて、たまに手描きをスキャンすることはあるけれど、いまや毎日の仕事がデジタル無しでは考えられない。

サンフランシスコではAIによる自動運転タクシーが試験的に運用されている。ドローンや自走式ロボットによる配達もテストが進んでいる。

レストランで、客がスタートボタンを押すと自動調理をしてくれて、配膳も支払もAIが行う。シンプルな料理なら、そんなに遠い未来では無い。その時代、食事という目的以外で料理の価値とは、シェフが腕をふるい、客はその味を求め、人が人に料理を振る舞う、行為と時間を楽しむことだろう。

イラストレーターが飽和状態なのに加え、突如あらわれた生成AIという黒船が、今この瞬間もどんどんネットの海にあるデータやタッチ、アイデアを詰め込んで進化していて、浸食は止まらない。法規制には時間がかかるし、皆が反対なわけではない。加えて、AIが何を勉強したのかを立証することは難しい。

近いうちに発注者はイメージする通りのイラストレーションを自分自身で生成するようになるかもしれない。もちろん生成するにも一定のディレクションやデザインの知見が必要だから、クライアントというよりはディレクターやデザイナーの立場にいる人だろう。営業も受注や管理で生成が必須になってくるかもしれない。

すでに、生成専門の部署が検討され、写植からDTPになったように、プログラミングとクリエイティブが融合したような、生成というような職種ができるだろうと言われている。

(写真は知る人ぞ知る、写植の級数表。写植ってどうして美しいのだろう。)

「簡単に生成できるのにもかかわらず、高いお金を払ってイラストレーターにイラストレーションを発注する」のは、潤沢に予算がある場合と、アート性を求める場合、つまり前述のシェフのように、イラストレーター自身に価値がある場合になってくる。まあそれは現状もそうなのだけれど。

クリエイティブやエンタメに限っていうと、AIが役者のかわりを務めるようになる映像の世界も、ミュージシャンが同様にそうなる音楽の世界も、もしかしたら演劇やお笑いだって、生成した完成形が当たり前の時代になる可能性が高い。コストが下がれば当然、量産されるだろう。

アナログは原点回帰? エモさとは

今の技術では液晶モニタや有機パネルやプロジェクションマッピングなど、何らかのスクリーンを介して観る。紙のように薄く安価な有機パネルが量産されれば、チラシやポスターの代わりに、街中あちらこちらで映像の情報がワイワイしているような風景が日常になるかもしれない。

椎名誠の小説『アド・バード』みたいに電飾モニターだらけの街と、カラスのように徘徊するドローン。電気に支配され広告に管理された世界は、もはや荒唐無稽で皮肉たっぷりなSFの世界ではない。

そんな世界でなら逆に、アナログが見直される時代になるのではないだろうか。クリエイターの「つくりたい」は衝動であり欲求であって、いくら技術が発展したとしても無くなりはしない。

間違えてもcommand+zで戻れない、一発勝負の緊張感。手づくりの丁寧な仕事。ライブ感。もちろんその中でも古い概念からの脱却、新しさや驚き、発見も大切だ。次の世代の若い人たちがそういう考え方をカッコイイと思ってくれれば、未来は開ける。

「ヤバイ、エモい」なんて言うけれど、そういった「エモさ」こそがこれから高い価値を持つのかもしれない。

…なんやかんや言うとりますけど。アナログで描くのはすごく楽しい!

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