写植

写植

私が大学生の時、年に数回、課題の提出があったのですが、自分で作品とプレゼンボードを作り、教授と生徒達の前でプレゼンするという形式になっていました。

プレゼンボードは、当時まだパソコンがなかったので、ワープロを使って文字を打ち出し、それを切り貼りして使っていたのですが、当時のワープロって本当にシンプルな明朝体とゴシック体の書体しかなかったので、書体にこだわると、どうしても写植を使うしかなかったんで

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1980年代の会社案内

こんにちは。SNS担当のRYUです。今日は、アドパブリシティの創業以来の得意分野、「会社案内」について紹介します。

こちらは、1987年に制作された、化学工業クライアントの会社案内です。

表紙が2重構造になっており、トレーシングペーパー素材の「外表紙」がついています。デザインに「透過」の要素を加えた、当時としてはちょっと斬新なものだったのではないかと思います。

中面を見ると・・・それはもう、

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デザイン業界28年目を迎えるに当たって総括をしてみた

2019年4月13日本日46歳になりました。
誕生日が4月なので同時に新しいくキャリアの年度が始まります。
広告業界、デザーナーとして28年目がスタートします。

事前になんとなく呼びかけたTweetで、私のキャリアと仕事に対する思いや心構えなど乗り越えた壁や今後の展望を交えて簡潔に書いてみようと思います。
まず私は高校卒業と同時に地元のデザイン事務所で新卒採用として働き始めます。
当時はまだ[

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これまでのインターネットと、これからのローカルネット②1995年頃の団塊Jrロスジェネの有名なコピーライターの先生の会社でのデザイン仕事などの体験談

初回記事から読まないと分かりづらいかも…。1995年頃という時期は、パソコンやネットの世界だけでなく、政治や経済や文化などの世界も、激変した時代だと思う。それまでは悪く言えば、狭い村社会の中で心地よくおさまる事ができた。1995年に24歳ぐらいだった私は、理不尽な嫌な事を嫌とも言わずに、大人しくなったものだと思う。

だが日本では1993年に政権交代があり求職難になったのに、あれもこれも出来ろと団

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最初の転職

職場環境が、
体調に負荷をあたえるからといって、
すぐにやめるのは得策ではないと、
就業中から転職活動を始めました。

辞める一ヶ月前には決めていきたいと、
職安へ行って仕事を探しました。

といっても、
実は、この辺よく覚えてないのです。

職安の場所が、市内唯一の私鉄の沿線にあったのを覚えているので、多分職安に通ったのだと思います。

環境、立ち仕事でつかれていたわたしは、
下手と言われていま

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