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自分らしさを強制せず、もめごとを何とかする力を育む組織開発

コミュニケーション力とは、「誰とでも友達になれるということではなく、物事がもめたときに、何とかできる能力」のこととは、演劇家・鴻上尚史氏の言葉ですが、まさにビジネス・コミュニケーションを端的に説明するものだと思います。

20世紀末は協調性が求められる時代でしたが、現在はさらに踏み込んで多様性を受け入れる時代になりました。これは、1人ひとりが多様性を担保した存在であること、すなわち「他者とは違う自分」の演出を強要されていることでもあります。つまり、1人ひとりが好きなことを自分で選ぶことができる(周囲や常識などに合わせなくて良い)とは、1人ひとりが選ぶこと(オリジナリティを表現すること)の責任を負っていることでもあります。例えば、「あなたは、どう思いますか?」と1人ひとりが問われ、簡単に“右倣え”と言えない状況になっているのではないかということです。言いたいことが言えない状況は脱却できても、とくに言うことがないことを許さない状況も生んでしまっているのではないでしょうか。しかも、そんな他者を受け入れていくことも、また求められていますが、それはどんな他者なのでしょうか。実際に回答した言葉を、そのまま受け止めてもらいたいのでしょうか。それとも、「上手く表現できないこと(言葉が本心ではないこと)を察してよ」と思っているのでしょうか。

このような状況で、非認知的能力が注目されています。これは、数字に換算されない能力である点が重要に思えます。例えば、共感力という言葉も流行っています。これは同情心のようなシンパシーではなく、相手の立場に立つエンパシーという能力だと説明されます。つまり、「僕はロッテ・マリーンズのファンです」と言われたとき、「そうか、僕もロッテのファンだよ」と答えるのは同感であって共感ではありません。「そうか、君はロッテのファンなんだ」と相手がロッテのファンであることを承認することが共感です。

このような対応力は、何かの大小(あるいは強弱)によって、その能力の大きさを測ることができません。また、対応する方法は、対応者の個性に委ねられます。例えば、野球に関心のない人(よく知らない人)が、先のような対応したら、ファンだと打ち明けた人はスルーされたと感じるでしょう。この場合、「野球は詳しくないんだけど、ロッテの試合は観に行ったりするの?」と問えば、相手は自身が受け入れられたと感じるでしょう。そして、自身が関心のない野球そのものの話ではないテーマで、話を続けることができるでしょう。このように、共感力は知識化(体系化)することができない能力だと言えるでしょう。

では、共感力はどのように身に付ければ良いのでしょうか。今、考えられる方法としては、体感だと思います。具体的には、方法論としての傾聴力をスキルとして身に付ける訓練と、その実践によって得た体験(スキルの使用による周囲の変化)の内省化でしょう。コミュニケーションに悩んでいる人ほど、客観的に自分の周囲を見ていないことから、自身の振舞いを肯定的に評価しがちです。そこで、スキルの影響力という尺度を与えることで、周囲の見方を変え、自身の変化を肯定的に受け止めていくことができるようになります。ただし、それを定着させるためには、スキルに対する納得度を高めることが必要であり、それは一朝一夕にはいかないものです。したがってスキル習得は、当人任せにするのではなく、内省の場面を含めて、学ぶ機会を強制的に作っていく必要があるでしょう。

このような地道な意識改革が、やがて組織の、あるいはステークホルダーとのコンフリクトを解消へ向かわせるのだと思います。

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