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子育ては補助輪みたいなものなのかもしれない

子育てがはじまって、気がついたらあっという間に長女も4歳。次女はさらに時間が早く感じて、気づけば1歳半で歩きまわっている。

一度経験したことは、体感時間が短く感じる。子育ても同じで、はじめて戸惑いながら育てていた長女の時の0歳〜1歳の1年間と、次女の0歳〜1歳の1年間ではなんだか時間の流れ方が違う気がする。


先日、ついに長女の自転車の補助輪が外れた。

もともと室内用のチビ三輪車に始まり、ストライダーのようなペダルなし二輪車でバランス感覚の練習は積んでいた。

それにしても、ほとんど介助する事なくあっさり乗れてしまって、親としては楽チンだけどちょっと物足りなくもある。


僕ら親の世代ではストライダーなんてなかったから、運動神経の良くなかった僕は何度も転んで膝を擦りむきながら自転車に乗れるようになったのを覚えている。

そして、何度も親に自転車の後ろを押してもらったりしたことも。

今はもっと進んでいて、ストライダーみたいなバランス感覚を養うもので慣らしておけば、ほぼ介助なしですぐに乗れるようになる。

もちろん最初は補助輪をつけていたのだけれど、すぐに補助輪はなくても乗れるようになってしまった。


見守る、支える、一緒に悩む

子育てをしていると、ついつい自分の考えや経験を押し付けそうになってしまう。

思ったようにうまくいかないと、イライラして怒鳴ってしまったり。

今は虐待の報道なんかも良く流れているし、親になると自然とそういう情報には敏感になる。

だから、自分がキャパ超えでついイライラして子供に当たってしまうと、これって虐待なんじゃないの?と、自責の念が湧いてきたり。。。


結局、親といっても子供も大人も大差はなくて。たまたま先に生まれて、30数年経験が多いっていうだけ。

なにより僕らの価値観や常識は、こども達が大きくなる頃にはまるで役立たなくなっている可能性だってある。

してあげられることはそれほどなくて、ちゃんとごはんを用意して一緒に食べたり、学習環境を整えたり、絵本を読み聞かせしたり、幼い頃に関わって良い方向に導けることって実はそんなに多くはないんじゃないかと最近感じている。


言ってみれば子育ては自転車の補助輪みたいなもので、必要なのは最初のちょっとだけ。

後は見守る・支える・一緒に悩む。
それくらいしかできないんじゃないかなぁ。


あっという間に補助輪は外れて必要なくなってしまった。

程なく親としての補助輪の役目も卒業がくるんだろうなぁ。

こどもの自立は嬉しくもあり、寂しくもある。

でも、日々どんどん変化して成長していく生命と一緒に過ごせることは、最高のエンターテイメントとして人生を彩ってくれている。

最近はあんまり一眼レフで写真を撮ってあげれてないなぁ。あっという間の成長、もう少し頻繁に記録に残しておくようにしたい。


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