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SNSにある認知の壁と、壁の先

去年3月ごろからちゃんとSNSを運用しよう!と思い立ってはじめて1年半。途中、メンタルやられて2ヶ月ほど離脱したりありましたけど、なんだかんだでペースを掴めてきた感じがあります。

noteとtwitterがメインで、両方ともほぼ毎日なにかしら触ってます。仕事にはほとんど繋がっていないのだけれど、まぁ学生の一ヶ月のバイト代程度は入ってくる感じです。

で、やってみて気づいたのですが、どうもSNSには「認知の壁」みたいなものがあって、そこを越えると一気に楽しくなるんです。

でも、そこを超えるまでがね...きつい。


フォロワーさん=情報を送れるポスト

SNSって基本的には自分をフォローしてくれている人に対して、自分の発信したものが送れるんですね。まぁ、相手のポストに届くだけで、開封して読んでもらえるわけじゃないですけど。

で、その発信が時にはコピーされて配られたり、フォロワーさんから他の方へと回ったり、掲示板に張り出されたり、メディアに掲載されたりする。

1の発信が100にも1000にもなるのが魅力なんだけれど、その状態になるまではそれ相応の努力や工夫を必要とするわけです。

おまけに、その状態になることが必ずしも幸せなワケではなくて、テレビで有名になったばかりにプライベートがなくなって心を病む人もいるように、SNSだってメディアなので自分のコントロールを外れると苦しむことになったりします。

それでも、フォロワーさんが増えると情報を送れるポストが増えるから、できることが増えるし、出会える人も増えるし、良い事も多いのです。


暗闇の先のドア

でも、認知の壁を超えてその先にたどり着くまでは、孤独な暗闇を手さぐりで進まなければならない。

自分の情報発信が本当に正しいのか?これは誰かが読んでくれるのか?自問自答しながら、良いと思ったことを愚直に叫び続けなければいけないのです。

そしていつしか認知の壁のドアを見つけたら、そのドアの先には今までの暗闇とはまるで違った景色が広がっています。


その時、どのドアを開けるかは、続けてきた認知の積み重ねで決まります。

批評や批判、過激な物言いで認知を集めれば、そのドアの先は戦火の街中かもしれません。滅び去った誰もいない廃墟かもしれない。

笑いや喜びに満ち溢れた認知を重ねていった先のドアは、人々が平和に楽しく暮らしているユートピアかもしれません。

はたまた、専門的な知見と議論の認知を重ねた先には、哲学者のつどう学堂があるかもしれないし、学校の教室だったり、放課後の校庭だったり、街角のスナックかもしれない。

その先の景色が何になるかは、積み重ねてきた認知で決まるのです。



手紙を書くように発信しよう

先ほどSNSでのフォロワーさんは、情報を送れるポストだと書きました。そして、情報発信とはその誰かのポストにお手紙を送るような事なのです。

どこかで見た情報のコピーペーストを無造作に送りつけるのか、心を込めた手書きの手紙をそっと投函するのか、めちゃくちゃこだわってデザインしたポスターをスマートに届けるのか...いろいろな方法があると思います。

自分へのつぶやきや自分への手紙でも良いのですが、だれかを思い浮かべて手紙を書くようにnoteを書いたり、情報発信をするようにしてみて、僕は手応えがあきらかに変わりました。


だれかに手紙を書くように、noteを書いてみる。

その手紙を何通も何通も書いていけば、きっとあなただけの扉にたどりつける。

その先が、ステキな景色が広がっていると良いなぁ...と、手紙を書くのをススメながら思っています。

願わくば、創作して発信する人々が、自分なりの楽園へたどり着けますように。

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