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男親だからって娘を溺愛しているわけじゃない

うちには娘が2人いる。12月末で5歳の長女と、来年2月で2歳の次女。

メンクイの自分がほぼ一目惚れに近い形で一緒になった妻との子供なので、当然ながらかわいい・・・はずなんだが、母親ではなく僕の方に似ているので、将来きっとお母さんに似たかったと責められる気がしている。

そんな幼くもかわいい娘が2人いる父親というポジションだと、目に入れても痛くないでしょ〜?とか、お父さん溺愛しちゃってるんじゃないの?とか言われる。

が、そんなことは、ない。

いや、もしも僕が週五で朝から晩まで仕事して、帰宅も娘たちが寝静まっている夜中。土日のわずかな時間しか一緒に遊べない、とかならありえるのかもしれない。


でも、僕はフリーランスでSOHOなので割と家にいる。

半分とは行かないが、週に1-2回は送り迎えもするし、半端とはいえ炊事とかもする。

そうなると、外で稼いでくるポジションではなく、家にいるポジションに近くなる。つまり、昔のサラリーマンのお父さん+専業主婦のお母さんでいうところの、お母さんポジションが強めになる。

必然的に、こどもとの触れ合いの時間も増える。

これは夫婦生活でも言えるのかもしれないけれど、四六時中一緒にいるとお互いのゴキゲンがよくないタイミングがかぶることもある。

つまり、喧嘩が増える。

正直何もコミュニケーションのない状態よりは、多少の摩擦があってでもふれあいがあるのはいいことだとは思う。

とはいえ、やっぱりずっと一緒にいると疲れるのは、たとえ夫婦だろうと親子だろうと同じだと思う。


大好きだろうと腹は立つ

肉親だろうがなんだろうが、大好きだろうと腹は立つ。

そりゃあまぁ、望んで授かった大切な娘たちだ。我が命にかえても守らねば!という思いはある・・・と思う。

それでも、やっぱり理不尽なゴキゲンの波に翻弄されると腹は立つ。

おまえはどこのメンヘラかよっ!?というくらい、ワガママな女児たち。

昨晩までと今朝起きるので言っていたことが変わるのはもちろん、数時間前はおろか数分前のことがあっさりとくつがえる。

かと思えば数日前の口約束を一字一句覚えていて、「〇〇買ってくれるって言ったー!!!」などといきなり言い出す。ちくしょう、忘れているのかと思って油断してた。

街中で泣き出すことは日常茶飯事。欲しいものは手に入るまでゴネて、食う・寝る・遊ぶの全てに貪欲。最優先は自身の欲求。

これが付き合っている彼女なら丁重にお引き取り願うところなのだが、我が娘ではそうもいかない。

ワガママが可愛く思えるのは、触れ合う時間が少ないか、自分の心のコップに余裕がある時だけだ。忙しい時、心に余裕のない時に重なると流石に腹も立つ。


溺愛だけが愛じゃない

溺愛とは文字通り溺れる愛、つまりは客観視ができずに盲目的に愛着をもつ様のことを言う。

一見すると愛情の最上級のように見えがちだけれど、客観性のない溺れるほどの愛情は育児という観点からするとよくない気もする。

我が子とはいえ、よくないことは良くない。そこはしっかり叱りたい。

もちろん、他人の子供だろうとダメなもんはダメだ。遠慮せず叱り飛ばしていく所存である。

そういうちょっと離れた目線を持ちつつ、ちゃんと愛情を持って接するのがちょうどいい距離感な気もしている。

まぁ、この「ちゃんとした愛情」ってのも定義が難しいと思うんだけどね。

溺愛だけが愛じゃないから、つかずはなれず、適切な距離で彼女たちの成長を見守っていきたい。

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