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平成最後の日に友人に食事に誘われ、ずいぶんと久しぶりにバーベキューをしたのはいいのだけれど、あいにくの空模様だったため、ずぶ濡れになりながら肉に食らいついた。
夕食は親族との食事会だったのだけど、昼間の食事と雨(一応カッパを着ていたけど)がこたえたのか、思ったより食事が喉を通らなかった。
中途半端にアルコールを飲んだから、眠気が襲ってくることもなく、目が冴えてしまったまま「令和」の時代を迎えることとなった。

令和特集のTVを消して、ふとスマホを見たらノートが購入されたという通知が来ていた。
ネットを通じて、こうして僕の駄文を読んでくださることがいることがありがたい。
ノートを初めて(まともに投稿をするようになって)まだひと月も経っていない。
機能がいまだによく分からず試行錯誤しながらの投稿が続くけれど、「募集中」なんていうボタンが何だか気になったから押してみたことで、この記事を書くことになってしまった。
若干アルコールが残っている中での執筆だから、もしかしたら誤字脱字が多くなってしまうかも知れない。
その点はご理解の上、続きを読み進めて頂きたい。
もう夜も遅いので、九星気学風水の成り立ちを古代に遡ってから、一気に大正時代にまでタイムスリップする構成になっているけれど、睡眠不足が心配だから許して欲しい。
そして、この文章があなたにとって「面白かった!」と思えるものであれば、「九星気学風水的運勢占い・2019年5月」マガジン(980円)をぜひ購読して欲しい。
いわゆる「運勢本」とはちょっと違って、コラムや運勢の鑑定の方法も詳細に書いてあるから、きっと酒のツマミにくらいにはなると思う。
このコラムと、マガジンを読んで頂ければ、
「気学って知ってる?え?占い?ノンノンノン」とドヤ顔で友達に伝えられるくらいにはなると思う。

目次

1.気の発見
2.狩猟採集から農耕牧畜への変化と気
3.伏儀という天才
4.園田真次郎による完成

1.気の発見

九星気学風水は一般的には「気学」と呼ばれていて、割と日本人には馴染みの深い学問ではある。
僕の生まれ育った愛知県では、中日新聞という地方紙がメジャーなのだが、毎年お正月には必ず「高島暦」の付録がついていて、活字好きの僕は、毎年「一白水星の運勢は」とか「六白金星の転居方位」などという言葉を、意味もわからず読み進めていたのを覚えている。
お伊勢さんにお参りに行けば「伊勢暦」という小冊子を数百円で買って帰ったりしていたし、学問として意識してはいなかったとはいえ、気学という言葉は知っていた。
そんな「気学」だが、そもそも「気」とは何だろう?
そんな問いにぶつかったのは、僕が整体師を志したときだ。
鍼灸師の先輩に勧められて読んだ本に「気」という言葉がそこかしこに散りばめられていた。
最初は「かめはめ波」みたいなものか?と思っていたけれど、先輩は笑いながら「生命の持つエネルギーだ」と言った。

古代中国の人々は、地球上の全てのものに目には見えないけれど「エネルギー」があることを学んでいたようだ。
それを「キー」とか「チー」とか呼んでいたようだけど、象形文字が発達するにしたがって、「氣」という字を当てられるようになった。
この見えないけれど確かにある「氣」というものは、現代の日本人には理解しがたいかもしれないけれど、決して人だけに備わるものではなく、草にも犬にもある。

そして、「見えないけれどある」というのは面白い考え方で、物質だけど波であるという「光」と似たような概念を持っていると僕は思っている。
「気持ち」という言葉があるから、「氣」というのは「精神性」のみを扱うと思っている人もいるけれど、実は東洋医学では「氣」が「血」になったり「水」になったりと、非常に物質的な側面も持っている。
それを裏付けるとまでは言えないけれど、興味深い実験をした人がいるから紹介しておこう。
ダンカン・マクドゥーガルという医者が「魂(=氣)の重さを計った」とする論文を20世紀初頭に発表した。
6人の患者の生死の前後で体重を測定し、その中の一人の体重が21g減ったことから「魂に質量があるのではないか?」と結論づけた。
もちろん、彼の名誉のために言っておくが、彼はこの実験を持って「魂に質量はある」と言ったわけではなくて、「魂に質量がある可能性は否定できない」と言っているのだ。
ともあれ、人間にはいわゆる物理的に理解されているもの以外に、物質的なものがあるのかも知れない。
そして、それがもしかしたら「氣」と呼ばれるのかもしれない。
とすれば、それを5000年以上(もっと前かも知れない)も前に気づいていた古代中国人の頭の良さに頭が下がるばかりだ。
そういった生命のもつ何かしらの「エネルギー」というものを「氣」と名付け、それを学問していくことを「気学」と呼んでいる。
この「氣」には生命の持つ九つの種類のエネルギーの形を中心的に勉強していくから「九星」と付されている。
また風水も気学と同義語だ。
それゆえ九星気学風水と名付けられている。

「生命の持つ九つの種類のエネルギーの形を『中心的に』勉強」と書いたように、九星気学風水で扱うのは、それ以外のエネルギーもある。
古代中国人がすごいのは、氣=エネルギーという概念を、単なる人や動植物だけに当てはめず、地球、そして遥か彼方まで広がる宇宙にまで適用させようと試みたことだった。
地球が持つ気のことを「支」と呼ぶ。
その地球が持つエネルギーは十二種類あるから「十二支」と呼ばれていて、これを知らない人はほとんどいないはずだ。
「子、丑、寅、卯、辰、、、」と動物と関連付けられて覚えられているけれど、実は動物とは全く関係ない。
地球のもつ十二種類のエネルギーの形を漢字にしたら、こういう字が当てられたというだけだ。
その証拠に、十二支の動物は実は気学の考え方(もちろん、「気学」という言葉は日本にしか無い」)が広まった国の中で十二支に当てられる動物は違っていたりする。
僕が数ヶ月住んでいたことのある「タイ」では「卯」はウサギではなく、猫が当てられていた。
とにかく地球の持つエネルギーを「地気(ちき)」と呼び、それは十二支であらわされるのだ。

また、宇宙にもエネルギーがあると考えていた。
これは干と呼ばれ、十種類あるから「十干」と呼ばれる。
「甲、乙、丙、丁、戊、、、」というのは、契約書を書いたり結んだりしたことのある人なら、一度は見たことがあるんじゃないか?
この宇宙(=天)の持つ気のことを「天気」と呼ぶわけだ。
現在では「天気」は「ウェザー」になってしまっているけれど、本来は地球上に限定されることなく、数百億光年まで広がる宇宙に遍く広がるエネルギーのことを指している。

ちなみにこの十干と十二支の組み合わせを干支(えと)と呼ぶが、これは六十種類となる。
毎年一つずつ動いていくから満六十歳で生まれた年の干支に戻る。
これを還暦というわけだ。
だからこそ「干支」を「今年は亥年!」などというのは間違っている。
2019年は己亥年である、ときちんと「十干(=己)十二支(=亥)」をセットで呼称してもらいたい。
だいたいメディアがきちんとこういったことを行わないのも問題だ。
正月になれば「今年はねずみ年です。おめでとうございます!」などと女性のアナウンサーが喋っているのを聴くたびに、正直教養の無さにがっくりとくるものだ(もちろん、個人では理解しているかも知れないけれど、あえてこういう表現をした)。
だけど、そんなことを嘆いても変わることは無いだろうから、そういった知識をきちんと持った人をたくさん増やしていくしか文化を残していく術はないと考えて、各種セミナー事業を行っているわけだ。

話を戻して、その天地に挟まれて生命活動を行うものを「人(じん)」と呼ぶ。
もちろん「人」は人間だけでなく、全ての生命体が含まれる。
それらは九つの種類があるから九星と呼ばれる。
この九星を「人気(じんき)」と呼ぶわけだけど、現在では「ポピュラー」の意味で使われている。
ともかく、九星は人気であって、決して空の天体上の「星(ほし)」とは全く関係がないところから生じている概念だ。
星は「せい」と読むように「生」だ。
「日」の下にある「生」命を「星」と九星気学風水では呼んでいる。

これら「天」「地」「人」を中国では三才なんて呼んだりする。
直江兼続を主人公にした「天地人」という大河ドラマがあったが、直江兼続はもちろん、戦国時代の武将の多くは気学(とは当時は言っていなかったけど)を学んでいる。
そういえば、「真田丸」でも、真田信幸の部屋に易(=気学の一分野)で使う筮竹が置いてあったっけ。
現代では、そういった学問が一般大衆からかなり離別してしまったのが、何とも悲しい。
「科学的じゃない」と断じる人が多いけれど、科学が一体どこまで生命の不思議に近づいているのだろうか。
もちろん、僕自身も元々物理学を志していた(工学部中退だけど)から、科学のことは信用している。
けれど、「科学的なことが全てだ!」などと絶対的な帰依はするつもりはない。
科学だって不完全な学問の一つに過ぎないのだ。

科学で思い出したが、エネルギーというのは必ず方向性を持つ。
だから、気にも方向性があると考える。
エネルギーの方向性は「意志」と呼んでも良いだろう。
つまり、九星気学風水は「天」「地」「人」の3つの存在が持つ「意志」を解明していこうという、非常に壮大な学問だと知ってほしい。
よく言われる「方位学」だとか「統計学」というのは、あまりにも的外れだと断じておきたい。
もちろん、そういった側面も無きにしもあらずなのだが、それだけに限定されたものではないということは知ってほしい。
我々、気学を志すものは空を見ては「宇宙の意志」に思いを馳せ、地を見ては「地球の意志」に耳を澄ます。
当然、奥さんや息子の話にも耳を傾けているのだけれど、そういった明らかな「人の意志」と同様に、宇宙や地球の意志というものも学問の範疇に入っているのである。

2.狩猟採集から農耕牧畜への変化と気

「氣」という概念が人々にとって重要になってきたのはいつの頃だろうか。
もちろん、「氣」という字が出来て以降の歴史しか我々は知るよしもないけれど、おそらく狩猟採集生活から農耕牧畜生活に移行していく頃から「氣」というものを人類はまざまざと感じさせられるものになったのだと思う。

例えば狩猟採集生活において重要なのは、個人の能力の拡大だっただろう。
獲物より速く走り、槍を遠くまで投げる。
また、背の高い木によじ登ったり、ジャンプしたり。
個人の能力のいかんで成果のほとんどが確定するのが狩猟採集だ。
そこで発生したのがいわゆる「シャーマニズム」だ。
鷲の羽を頭に指したり、入れ墨を施したり。
様々な手段によって、「個の能力」を高めようという試みが世界各地で行われるようになる。
原始的な宗教の発生と言えるだろう。

一方で農耕牧畜生活に移ると、そういった個人の能力では及ばないファクターによって成果が確定することになる。
例えば、どれだけ高速で種を蒔いたとしても、日照りが続けば作物は育たない。
どれだけ牛の乳を絞るのが上手でも、夜間に牛が狼に襲われてしまえば、翌日から乳は絞れるわけがない。
そこで人類は「自分を超えた大きな存在」に出会うことになる。
自分自身では決められないことを決める力。
それを中東では「神」と呼び、ユダヤ教、キリスト教などを生んでいったのだろうし、インドでは「仏」と呼んだわけだろう。
そして、宗教と信仰につながっていく。

ところが中国ではそれを「氣」と捉えたことはすでに述べている。
いわゆる「天気」「地気」である。
もちろん、そういった成果を左右するファクターは他の生命体(前述の場合では狼とか)の場合もあるから、「人気」も対象となる。
つまり「自分」と「自分以外」の気によって成果が確定すると考えたのだ。
この自分が持っている気を気学では「生気」と呼ぶ。
そして、自分以外が持っている気を「活気」と呼ぶ。
おわかりだろうか?
「生気」と「活気」を合わせて「生活」という言葉が生まれるのだ。
日本人のほとんどが人生のうちで必ず一度は使うだろう「生活」という言葉は気学から生じたものだったのだ。

話がそれてしまったが、狩猟採集生活と農耕牧畜生活とでは、全く「気」に対する考え方が変わってくる。
こういった変化は人類にとって、非常に大きな変化だったのは想像に難くない。
そして、そういった「一見偶然に見える結果の原因を追求しよう」と考えた人々が我々の祖先にいたことに感動を覚える。

ちなみに九星気学風水を「占い」と言う人もいる。
それは構わないのだけれど、「占い」の意味を知っている人がどれだけいるのだろうか。
「占(うらな)い」とは「(結果の)裏(側にある原因の)成り(立ち)」、すなわち「うらなり」がなまって出来た言葉だ。
占いというのは、決して「見えないものを見る」なんていうものではなく、あくなき事実の積み重ねから原因を求めようとする姿勢のことを言うのだ。
だから、僕は一切霊感などないし、水晶に移るものも見えない。
あくまで、遁甲盤という、ある種物理法則のように規定されたものをベースに論理的に鑑定を積み上げるようにしているわけだ。

3.伏儀という天才

そうして「気」という概念が生まれたわけだけど、まだ概念が生まれただけで学問にはなっていない。
そんな中、紀元前3,500年くらいに大天才が中国に現れた。
「伏儀」という「夏」という国の王様で、伝説上の人物とされている人だ。
様々な議論はあるのだろうけど、僕は伏儀は実在したと思っている。
ニュートンにより近代物理学が一気に花開いたように。
また、アインシュタインによって宇宙研究が一気に進んだように。
歴史というのは、いつも一人の天才の出現によって大きく動いていくものだと思っているからだ。

それはさておき、伏義が森羅万象が持つ気、すなわちエネルギーのパターンを八個に分類していった。
これを八卦と呼ぶわけだけど、卦は気であり八つのエネルギーを表している。
「当たるも八卦当たらぬも八卦」なんて言葉で知られているけれど、これは本来、「中るも八卦」と表現したほうが正確だと思う。
その辺りについては、またの機会に譲ろう。

さらに伏義はその八卦と八卦を組み合わせて、気のパターンを六十四個に分類した。
これが易(えき)卦六十四卦と呼ばれるもので、九星気学風水はこの易経の解説から発展していくことになる。
八卦と八卦を組み合わせるというのは、自分の持っている気(=生気)と環境が持っている気(=活気)を同時に捉えるということに他ならない。
つまり「易」は「全(え)気」、全体の気、また「会(え)気」であり、自分と環境の気の出会いによって物事が動いていくという概念を持っている。
つまり易という学問はあくまで生命と生命のぶつかり合いから物事の結果が生まれると考えているわけだ。
仏教では「縁」という概念で、同様のことを説明しているのだけど、これもまた別の機会に。

ところが、伏義が六四パターンの気の配合を確定させたわけだけど、彼はそれを文章ではなく、「画象(かくしょう)」と呼ばれる絵にして表しただけだった。
当然、それだけでは伏儀の見ていた世界が後世に上手く伝わらない。
だから、伏儀のあと数千年は気学の発展は大きく進まなかった。

そして、夏の後の王朝に殷(商とも呼ばれる)という王朝があり、その王朝で甲骨文字、すなわち漢字が発達する。
漢字が発達したことで、易のもつ概念を文字として残すことが出来るようになった。
そこで登場するのが「文王」という王様。
殷の時代に現れた王様ですが、この人もまた伏儀と並ぶような天才であった。
僕が文王に出会ったのは、少年ジャンプという雑誌に連載されていた「封神演義」という漫画だった。
かなりぶっ飛んだ漫画だったけれど、面白くて原作にも手を出した。
そう考えると、文王ともかれこれ30年近い付き合いか。

冗談はさておき、この文王が伏儀が提唱した易の六四卦に辞と呼ばれる文章をつけていく。
ただし、この文章は獄中で書いたようで、一般には分かりにくいように工夫されていた。
そこで、さらに、この文王がかけた辞に対する解説が必要となったわけだ。

この易の辞の解説をしていったのが、有名な孔子なのだ。
孔子は易の十翼と言われる非常に格式高い文章を残している。
すなわち「彖 伝」の上,下,「象伝」の上,下,「繋辞伝」の上,下,「文言伝」「説卦伝」「序卦伝」「雑卦伝」の十個の易の解釈を翼(たす)ける文章だ。
孔子は論語で有名ですが、やはり最高傑作は易の繋辞伝だと思う。
この繋辞伝によって、易は占いとか天体学とかといったものを超えて哲学にまで昇華されたのだ。
嘘だと思うなら、読んでみると良いだろう。
元旦の書き初めに書きたくなるような素晴らしい言葉が宝石のようにキラキラと文中に輝いているのが見て取れるはずだ。

そして、九星気学風水の基本はこの易経に詰まっている。
この易経の説卦伝から後天定位と呼ばれる九星気学風水の基本の概念が生まれる。
だから、気学を勉強する人は易も同時に学ばないといけないけれど、漢文に慣れていないとかなり難しいから、昨今ではこの両方を同時に学ぶ人が少なくなっている。
そういった状況を憂慮され、我々の師である村山幸徳先生は気学と易を両方とも正統に学んでいこうという社会運勢学会という社団法人を立ち上げられたわけだ。
その「社会運勢学会認定講師」という資格を僕は取得して様々な活動をさせて頂いている。

その後、伏儀から時代を下って、八卦の表す八方位(東西南北、南東、南西、北東、北西)に中央を表す「五黄土星」を合わせて九つの方位を中心として理論体系が展開されていくことになるのだが(ここで九星となる)。
とにかく、伏儀ー文王ー孔子。
そしてその後も王弼、程伊川、朱熹、王陽明などの数々の天才たちによって、占術として、そして哲学として、また帝王学として発展していった九星気学風水(くどいけれど、まだこの呼称は使われていない)。
我が国では、聖徳太子、空海、道元、荻生徂徠など。
様々な偉人たちがバトンを繋いでくれた最も先端の時代に、僕らは今立っている。
そんなことを考えると、「占い」と他の占術と一括りにされるのに、何とも言えない違和感を感じるのである。

4.園田真次郎による完成

最後に、九星気学風水としてまとめ上げた人を紹介しておこう。
その人は園田真次郎先生といって、大正から昭和にかけて活躍された人だ。
この人が、九星術や陰陽五行、十干十二支など、バラバラに伝えられていた「気学のかけら」を拾い集めて、一つの体系だった学問にまとめた人だ。
最近では講演録なども出ていたりする。
僕も東京の占い専門の書店に立ち寄ると、よく立ち読みしたり、購入したりしている。
日本のいわゆる「気学」を名乗っている人たちは、ほとんどがこの園田真次郎先生の直系のお弟子さんの流れを持っている。
「◯◯流気学」とか名乗っていることも多いから、正直何が何だかよく分からないけれど、基本的には遡れば園田真次郎先生にぶつかるはずで、もしそうでないとしたら、それは亜流であって気学と名乗る資格は無い。

ともかく、気学というのは一旦の完成を見てからまだ100年も経っていない。
発生が5,000〜10,000年前だと考えると、えらく長い時間を使って発展していったのだなと思う。
そして、まだまだ気学は発展を止めていない。
当然のことだけど、園田真次郎先生がご存命の頃に「スマホ」なんて無かったわけだし、「仮想通貨」も無かった。
「インターネット」も無ければ「SE」という職業も無かった。
僕たちは、「氣」というエネルギーの性質を頼りに、それらが九星の中でどこに当てはまるか?ということを毎日のように観察しながら研究を重ねているわけだ。
また、気学と同時に気学をベースとして成立した「姓名鑑定」や「家相」「人相」などの比較的新しい占術も勉強しているわけだ。
たまに気学を知らない「家相鑑定士」や「姓名鑑定士」に出会ったりするから面白い。
算数を知らずに数学を勉強しているようなものだから、論理的に無理が来るに決まってる。
一方で一般消費者はそういったことを知らないのも事実であり、それは九星気学風水の鑑定士である我々の怠慢としか言えないだろう。
とにかく我々としては、より気学の研究を深めると同時に、より多くの人にこの学問の実態を知って頂く必要があると思っている。
このコラムを書こうと思ったのも、そういった理由からだ。

予想よりも遥かに多い分量を書いてしまった。
有料のノートにしようかとも思ったけれど、それでは

「より多くの人にこの学問の実態を知って頂く必要があると思っている。」

というこのコラムを書いた動機と矛盾してしまうから、とりあえず「#とは」の募集〆切までは無料で公開しておこうと思う。
もし、九星気学風水に興味を持ってくださった方がいれば、当社のセミナーなどにお越し頂ければと思う。
また、僕の著書を読んで頂けると、もう少し全体像が見えるだろうから、ここで紹介しておこう。

当社HP:

http://oftn.jp/seminar

拙著販売ページ(当社通販サイト):

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拙著販売ページ(Amazon):

http://ow.ly/IIkK50tlWEm

YouTubeチャンネル「ウラナイステーション」:

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石 川  享 佑(いしかわ きょうすけ)
昭和57年10月9日 愛知県豊田市に生まれる。
幼少から数学・物理を愛し、名古屋大学工学部物理工学科に入学も、入学と同時に見習いをしていた「整体業」に魅せられて半年で中退。整体の修行を経て、平成21年に2店舗を譲り受け独立、さらに他店舗の買収と精力的に経営を伸ばしていく。
その頃、気学に出会い、紹介から故村山幸徳先生に出会い師事。経営者塾や顔相、仏教塾を学ぶため各地の講座に出席し学びを深めていく。
その後、平成27年5月に福岡市にて「OFFTOOON」を開業。気学を活用した経営方針を立て、気の流れを実感しつつ、その経営手腕を発揮している。
また、平成30年より社会運勢学会認定講師として、各地でセミナーを開催している。

・株式会社サンリオ「マイメロディ九星占い」監修
・九州電力株式会社「QuuN」占いコンテンツ監修

メディア掲載実績
<著書>
知道出版「占いで知る!ココロとカラダのヒミツ」
<テレビ>
2016年7月 TNC「ももち浜ストア」出演
2017年4月 TVQ「きらり九州めぐり逢い」出演

<RADIO>
2016年11月19日 ラジオ「中島浩二のウィークエンドジャム」出演
2017年11月 KBCラジオ「夕方じゃんじゃん」出演
2018年10月より KBCラジオ「夕方じゃんじゃん」に隔週水曜日出演

<YouTube>
ウラナイステーション
https://www.youtube.com/channel/UC7GFEJqNhm_xRyglJ5D6psA?view_as=subscriber

<other>
2015年12月 株式会社ピュール会報誌にて「2016年の運勢」監修
2016年8月19日 日経新聞(夕刊)掲載


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