初めて自分からのめり込んだもの(お気に入り音楽遍歴⑥)

ついに高3前編、受験生です。
インターハイを控えた3月から夏まで、1番もやもやした時期です。なので暗いです笑
たぶんなんとなく予想がついている人もいるかもしれないです、年で

この時期の記憶とそばにあった音楽は思ったよりも鮮明に頭の片隅に焼きつけられていて、
忘れたくても忘れられないような、でもきっと大事なものだからなくしたくないと永遠に引きずっているものです。

ネガティブなものほど人間忘れられないものですね。
でもこの過去の自分が自分を救ってくれるときもあるので消えてしまわないように傷跡を愛でていきます



春休みは練習試合、大会、遠征の繰り返しだった。
いくつも上のレベルの高校と試合ができたり、地区の団体戦で初めて優勝したりとインターハイに向けて着々と実力がついてきているのを実感していた。
この時期の卓球ノートを見返すとなぐり書きのメモがたくさんあってとにかく強くなりたかったのが伝わってくる。

学年で対立したり部内恋愛のごたごたが色々あったがそのせいか同学年のメンバーの絆は深まっていった。

もともと中学からある程度成績を残していたメンバーだったため、みんな我が強かった。
まとまりは未だにないが、まとまりがないなりにお互いの良さをわかりあえているチームだったと思い返すと思う。


春休み前最後の授業は英語だった。
先生が時事問題を出していた中にダイアモンドプリンセス号が出てきたのを断片的に覚えている。
その後すぐに大会があって、そのまま遠征だった。移動中に「一応怖いししてこう」とマスクをして行った。

遠征が終わってからの練習の記憶はあまりない。

段々と練習が少なくなっていった。
大会が中止になった。
学校の練習場が使えなくなった。
市民体育館も閉館になった。

使える練習場を探してメンバーで連絡をとりあい、贔屓にしてもらっていた卓球教室をこっそり貸してもらったりもした。
少し遠い練習場でも使わせてもらえるならと通った。

モチベーションが下がらないように自主トレをしてラインで報告し合った。
ライン電話でオンライン勉強会をした。


いつも通りランニングを終えた午後、部活のグループラインに忘れられない通知があった。

「僕たちの青春が終わりました」

一緒に貼ってあったURLは見れなかった。
返信はしなかった。できなかった。
テレビをつけたらニュースキャスターが無機質な声でそのことについて淡々と事実を押し付けてきた。
新聞の1面を見て崩れ落ちた。

なんとなくわかっていた。
そうなんじゃないかなと。
でもよりによってなんでこの年に。
いやみんな苦しいのはわかってるんだけど。
こんなに嬉しくない史上初ってあったんだ。

全国大会にも行けないレベルだったけどずっと憧れていたし、先輩達が行けなかった分私達の代で達成するんだって思ってた。

どうすればいいかわからなかった。
どこに悔しさをぶつければいいのかわからなかった。
慰められても何を慰められているのかわからなくなった。

新聞を涙でぐちゃぐちゃにして以降は泣いてもたぶん泣き足りないから泣かなかった。
トレーニングをしなくなった代わりに狂ったように勉強した。

長引いた春休みが明け、本来であればインハイの直前のGW前、新しいクラスでテストを受けに登校した。
その後、顧問に呼び出されて部活に顔を出した私達は、本来であれば部活引退試合後に行う後輩に向けたスピーチをすることになった。

正直何を話せば良いのかわからなかった。
でもそれぞれがそれぞれらしく話した。

一緒に頑張っていた仲間の1人はハーフマラソン程の距離を走ってメンバーに泣きつきに行ったらしい。
あるメンバーは頑張り方は1つじゃないと気付けたと言っていた。

このメンバーで部活をやれてよかったとみんな言っていた。

自分も思ったままを言った。
泣いてもしょうがないと思っていたけれど、前に立って仲間の顔を見て話していたら、何かが決壊したかのように涙がとまらなくなって
「やっぱり悔しいです」
と言っていた。
気付いたらみんな泣いていて、「泣くなよ馬鹿!!!」と言われた。

その時のスピーチは動画に残されていて、とても見せられるような顔をしていなかった。
試合後に泣いたことはたくさんあったけれど、あんなにも人前で声を上げて泣くことはないと思う。

最も美しい黒歴史だと思う。






そんな中1人そのスピーチに来なかった奴がいた。
なんで来ないんだと呼び戻しに行った記憶がある。他の人は「もう来ないよ」諦めていたらしいが、わざわざ彼女が自習室にいるところに行って「始まっちゃうよ」と言った。彼女はよくわからないニヤつきを浮かべながらよくわからない言い訳して来てくれなかった。

全体のスピーチが終わった後、彼女だけ空いている教室で別撮りでスピーチをした。
彼女はこの期に及んでも「部活は人生においては無駄なことかもしれませんが」と言っていた。でも、
「絶対後悔がないように全力でやってください。」と言っていた。
そのときはじめて彼女が1番部活をやる意味について悩んでいたんじゃないかなと思った。
憶測でしかないけれど。






それぞれが色々な形で崩れてしまった希望を無駄にならないように必死にかき集めて、耐える理由を探しながら、いくつもある答えを抱えながら、とにかく前に進めなくても、せめて立ち上がろうとしていた。


今となって思い返すと、本当にこのときの私達はとてもきれいだった。
不本意な青春の終わりだったけれど。





きれいすぎて書いていて浄化されそうになった。
お気に入りというか刷り込まれてしまった曲紹介としか言いようがない。

一時期この曲聴くのもはや自傷行為並みだったからな。
まあ、こういう青春もあったんですよ。

次の代の方が大会ほぼ中止だったしまだ自分達は高校生活の大半は普通に過ごしていたから恵まれていたなとは思うけれど、比べるもんでもないか…


まじでこういう部活の思い出って「青春」だったなだて思う。
ハイキューとかピンポンとかがあるように、どの人にもドラマがあるよね、部活。

自分にとっては部活がほぼ居場所だったからなおのこと大事な記憶だね。

なんか書きすぎた笑
もしかしたら書き換えるかも
ではまた

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