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【目印を見つけるノート】326. ひらめきとセンスとエトセトラ

ひらめいたことを3日ほど考えていました。なんとなく形になってきました。これで秋までに書くことはおぼろげに固まってきた感じです。

あ、今晩は雲の写真をあげようかなと思っています。

コンゴ民主共和国での襲撃事件のニュースを見ました。
犠牲になったかたがたに哀悼の気持ちを申し上げます。

このようなことをすべて書けたらいいのですが、それだけで膨大な文字数になるでしょうし、知らないこともたくさんあります。
同じ気持ちです。

⚫Eureka

さて、ひらめきという言葉が出ましたので、それについて少しだけ思うことを書きます。

ひらめきというのは、どこから来るのか分からない場合もありますし、芋づる式に現れたり、段階を経て飛び出てくるものもあります。他にもあるかもしれません。

これらのひらめきは、「感覚」の分野に属するでしょう。感覚的というと「適当」、「思いつき」、「論理的根拠が希薄」だという解釈をされているような気もします。思いつきといえばそうなのですが、そう十把ひとからげにするものでもないかな、というのが私の思うことです。

古代ギリシアの学者、アルキメデスが入浴中に「Eureka!Eureka!」(分かった、分かったぞ)と叫んだのは有名な故事です。浴槽の水があふれる様子と、ものの重さ(体積)の量りかたを考え続けていたのがリンクしての「ひらめき」だったでしょう。

そのように、感覚に属するひらめきにもいろいろな要素があります。
科学者の方でもひらめき、発想が大切だとおっしゃっているかたもいらっしゃいます。
「今日はカレーにしよう」というのもあるいはそれまでのメニューや栄養価に関する情報を感覚が処理したアウトプットかもしれません。
そのために五感という器官もあるのでしょう。

「感覚」は「感情」とよくまぜこぜにされています。「感覚的」イコール「感情的」だと思われている方はいらっしゃいますね。
感覚の鋭い人は、感情的なのでしょうか。例えば、始終怒って当たり散らしているのでしょうか。対になっているであろう、論理的に考えることが主な方は怒ったりしないのでしょうか。
極端にひっくり返せば豊かな感情を持つ方は論理的に考えられないのでしょうか(怒るだけが感情ではないですね)。

例としては秀逸ではないかもしれません。

もっと複雑なのではないでしょうか。
それぞれの個人の内にある情報がいろいろなポイントで、角度で関わりあっている。
みんな違う、複雑です。

というように思いますので、それぞれ傾向はあるのだと思いますが、一面ぐらいしか分からないのではないでしょうか。

私は「感覚」といわれるあたりのものに深甚なる敬意を抱いています。

⚫今日の1曲

今日は意外と好きなTalking Headsでいきましょう。『Stop Making Sense』という有名なライブアルバムがあるのです。
Senseという単語は日本語でいう「感覚」だけではないのですよね。Common Senseといえば「常識」ですし、広い意味で使われています。
ですので、このアルバムタイトルも日本語にするのは難しいかもしれません。
「決めつけるな」ぐらいに受け止めています。
そのアルバムのSenseのある1曲を。
Talking Heads『Slippery People』

このアルバム、いいです。

それではまた、ごひいきに。

尾方佐羽


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