「繊細チンピラ」には謝罪させるべき

学校の生徒指導で話題になるのはSNSのマナーだそうで「情報モラル教育」がいかに必要であるかは教育現場の人たちは日々肌で感じていることであろうと思います。

人を威圧する言葉の暴力とは反対に、人に気を遣わせるために言葉でいやらしい言い回しを使う行為が最近多くみられるのはご存知ですか。

「繊細チンピラ」なるネットスラングを最近よく耳にするようになりました。私はこれは新しい「言葉の暴力」としてとらえています。

気になるだけなら見ない努力というものもあるはずです。

最近、幼稚園児や小学生が巻き込まれる事件がありますよね。再発防止のためをおもって今後に役立つように意見を述べていたりしても「誰も得しない」「もう見たくない」などとぼやいて議論や会話を遮ってしまう場合もあったりします。これでは再発防止の活発の有益な意見交換ができたかもしれないのに、そうやって気を遣わせる発言で場を凍らせることで再発防止の機会を失わせてしまっていたりするので「繊細チンピラ」もまた社会にとっては害悪であり不適切な行為です。そのような「繊細チンピラ」の欲求を満たすために発言できなくなる社会こそ進歩のない社会といえます。このような機会損失を生じさせることのないようその非は認めさせて謝罪を求めるまで対応したほうが良いと私は思います。実際のところ謝罪要求までいたっていないために自分たちは悪くないんだと誤認させてしまい「繊細チンピラ」が横暴化しているように感じます。

1.見たくないなら黙っていれば気を遣わせることはなかった
2.気を遣わせたことによって機会損失を生じさせるおそれが生じた
3.不適切な行為であるので謝罪を求める

「繊細チンピラ」をやっている本人は「迷惑行為」であることは自覚していると思います。同じことを自分がされたら嫌と感じることでしょう。それでも注意する人がいないから「迷惑ではない」と主張できるものとして横暴化するわけで、やっていることは未成年者の喫煙、飲酒、脱法ハーブとなんらかわりありません。自分がやられて嫌な行為について教育者はどんな注意してくれるのか試しているのです。あえて「何が悪いのだ」と教育者へ挑戦して、注意してほしいわけです。

ですから毅然とした対応をすれば、これに関しては解決に向かうと思います。ただ「繊細チンピラ」を迷惑行為として謝罪させるようにしたとしても、若者のストレスはまた新しいカタチで現れてくることと思います。その新たなチンピラが現れても我が国の保障する「表現の自由」で毅然とまた対応すればいいことであるのでまずは「繊細チンピラ」には謝罪させるように仕向けるべきと思います。

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