見出し画像

「人生ハードモード」について考えてみる

こんにちは。デザイナーのおがわ(@ogg_cc)です。

年末ということで、今年を振り返っている最中です。良いも悪いも様々な言葉が浮かんでくるので、ひとつひとつ消化しています。

その中で「人生ハードモード」という言葉について思考したことをまとめます。今年の出来事を総括すると、この言葉が相応しいと思ったからです。

学生から社会人になり、入社して2ヶ月で会社が大変なことになり、最後に退職して無職になるという怒涛の1年でした。

他者からも「人生ハードモードだな」と言われて、自身も悲観的に捉えていました。しかし、今ではこの言葉の解釈が大きく変わったため、思考のあらましを書こうと思います。


01. ハードモードとは


そもそも、人生がハードモードであるとはどういうことか。辞書に「人生ハードモード」の記述はないので前提を共有しましょう。

人生ハードモードの意味・要素は

  • 生きづらさを感じること

  • 思い通りにいかないこと

このようにまとめられ、ハードモードという表現はゲームの難易度設定をメタファーにしています。

「辛い・苦しい・やってられない」といった状況、特に自分ではどうにもできない外的要因から影響を受けているときに用いられるようです。災害や病気、事故などが例に挙げられます。

この前提をもとに、人生ハードモードに対する思考の内容を書いていきます。


02. 前提を疑ってみる


私は癖として、なんとなく受け入れている言葉に対し「本当にそうか?」と疑うことがしばしばあります。

これは単に言葉を否定するためではなく、言葉の正当性をより理解するためや、肯定も否定も含めて言葉を自分のものにするためです。

なんとなく言葉の"正しそう感"に魅せられ、本質を理解しないまま他者・社会に影響を与えることは危険だと考えており、このように言葉を疑うようにしています。

では、人生ハードモードという言葉の前提を疑ってみます。なんとなく受け入れているけど、よくわからない言葉に苦しめられるのはむかつくので…


03. 他のモードを妄想してみる


人生ハードモードと言うからには、その逆のイージーモードやノーマルモードのような他のモード(状態)があるはずです。

私に起きた出来事をハードモードとして、他の難易度だったら何が起きていたかを妄想してみます。

  • ハード:大規模な人員整理で先輩デザイナーがほとんどいなくなる

  • ノーマル:継続して先輩デザイナーに支えられながらタスクをこなす

  • イージー:爆発的なV字回復により大きなボーナスが出る

妄想なので実際にこうなったかはわかりませんが、生きている中でこのような分岐が繰り返されているイメージです。

ここで気づいたのは「他の選択肢が浮かぶということは、その選択肢を選んでいる」ということです。

人生をハードモードにしている原因は「起きたこと」という外的要因だけだと考えていましたが、「選んだ」という主体的要因が関わっていると考えられます。


04. メタファーの素に戻ってみる


人生ハードモードという言葉は、ゲームの難易度設定のメタファーになっています。

すでに隠喩されている言葉の理解を深めるために、なぞらえられた言葉に意識を向けてみます。

難易度設定のあるゲームとして「ウイニングイレブン」や「バイオハザード」を思い浮かべました。

これらのゲームのイージーとハードの体験を比べてみるとこんな感じ。

この難易度と体験の比較からわかるのは、「イージーは一瞬の快感を得ることができても退屈であること」「ハードは思ったようにものごとが進まないが、達成感と技術の上達が得られること」です。

そして、この体験は「好きでやっていること」でしか成立しないでしょう。やったことない、大して好きでもないゲームでハードモードをプレイしても難しさばかりで、すぐに辞めてしまうと思います。


05. 再構築してみる


人生ハードモードを思考する中で、イージーやノーマルといった他のモードを妄想したり、メタファーとなったゲームのハードモードを思い返してみたりしました。

思考していくうちに私が自覚していた、他者が言っていた、社会が提唱していたものとは大きく異なる認識が見えてきました。

ここで私なりの人生ハードモードを再構築してみます。

いろいろ思考した今、この方がしっくりきます。特にメタファーの件からは以前の認識が正確性に欠けるとも思います。

前提としていたハードモードはネガティブな状態を表す言葉でしたが、再構築したものは少なからずポジティブな状態を表しています。


06. おわりに:思考に対する想い


なんとなく受け入れている、"正しそう感"のある言葉を疑い、思考を経ることで言葉の解釈が変わりました。

ここで言っている思考とは、最初からゴールがあるわけでもなく、長い時間の中でふとしたときに考えていることを繋げて徐々にカタチになっていくようなものです。

最初は「ただのもやもや」であることが多いですが、そのもやもやを書き留め、日々の経験や感情を刺激にすることで何かの気づきが生まれます。

その気づきを繋げ、(私の場合は)言語化・文章化することでようやく思考として認識されます。

言ってしまえば、ほとんどが「物思いにふけている」だけかもしれません。

しかし、起きたこと・言われたこと・やったことなど、今の自分を作っているさまざまな出来事に対し思考しなければ「なんとなく」で「よくわからない」まま生きてしまうと思います。

私はこの行き着く先が虚無だと考えています。

意志を持たず、誰かの価値観に従い、何のために何をしているのかもわからず死んでいく。

「君の人生はハードモードだね」と言われ、なんとなく納得して「やらない理由」を作り、ひたすらに社会を恨むだけの大人になる。思考しなければこのように腐っていたかもしれません。

いろいろとしんどかった1年ですが、好きでやっているデザインという領域のゲームをハードモードでプレイできる。今はこの壮大な物語に対してワクワクしている限りです。




↓  こちらもおすすめ(過去の記事)↓


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?